闘病記/ぽんぽんぺいんにご用心

公開
2017313
執筆者
いとう はむこ ( @hamuko_5364 )
執筆者からのおことわり
本文中にはいくつかの疾病とその治療に関する記述がありますが、全ていとうはむこ(以下筆者)の体験談です。筆者は医療者ではないため、筆者が取つてゐる行動には医学的に正しくない場合が多々あります。
特定の疾病の鑑別や治療に関しては専門医や総合診療医の指示に従つてください。素人診断によつて生じる如何なる結果についても筆者及び正仮名オルグは一切の責任を負ひかねます。

一 王の話をryFGOやつてません)

病気の話をしよう(FGO以下略)。

ふざけてゐません、ふざけてゐませんよ?

筆者は先日少し大きな病気に罹りました。この機会に、自身の備忘録かたがた少し語つてみようと思ひます。


本題に入る前に、筆者がこの(censored)年の間にどの様な病気を体験してきたのか思ひ返してみるのも一興でせうか。

感冒や一寸した食中り、幼少期の風疹や麻疹などを除外し、入院や長期治療を伴ふ既往症、持病を列挙してみました。

ええと。斯うしてみると、病気のデパートとまでではありませんが病気のコンビニエンスストア程度には病歴がありますね。流石は(censored)歳ですね。そろそろ死ぬんかな。

エピソードとして語れるほど記憶に新しく且つそれなりにまとまりのある内容になりさうなものは、痛風と白内障と腸閉塞についてでせうか。鼠径ヘルニアなど左右二回も手術してゐて語ることも多さうですが、何分罹患したのが昔すぎて詳細な記憶が曖昧なため割愛します。

それぞれの病気での体験と、それによつて得た教訓などについて語つていければと思ひます。

二 腸炎型駆逐艦痛風です(実在しません)

筆者が取り上げる体験談で、時系列から云つて一番古いのが痛風です。罹患した当時はそれと陽炎型駆逐艦との関連性など全く意識してゐませんでした。筆者は陽炎型なら天津風と浦風と萩風に性欲を持て余します(筆者はシップファッ〇ーだつた!)。

痛風とは主に高尿酸血症に起因する関節炎です。血中に溶解しきれない尿酸が関節に析出し、好中球がそれを異物と見做して攻撃することにより炎症が起こります。

ある夏の土曜日、筆者は昼間の仕事中から右足親指がしくしくと痛むのを自覚してをりましたが、深く考へずいつも通り晩酌して床に就きました。さて、経験者ならお察しの通り、その痛みは「しくしく」から「じくじく」を経て「ざくんざくん」へと変はります。最後にはまるで患部を万力で締めあげられてゐる様な「ぎりぎりぎりごりごりごり」とでも形容するのでせうか、要は激痛です。

筆者は骨折したことはありませんが、痛風の痛みは骨折よりも強いとされます。何とか眠らうと安定剤と睡眠薬を倍量投与(抑もアルコールと併用もしてゐますので大変危険です。読者は絶対に真似をしないでください)しましたが、全く眠れる様子がありません。

恰もそれは八悶九断か新血愁か心霊台かの如き激痛に文字通り悶絶しながら夜を明かすこととなりました。途中で何度か意識が飛んだかも知れませんが、いつ果てるとも知れぬ苦痛の中でいつ明けるとも知れぬ夜であつたことは確かです。ですので、暁光と雀の声にあれほどの希望を感たことは初めてでした。

「ゆつくりと、夜が白み始めてゐた」(cv 堀江由衣)

このモノローグが来たら TrueEnd ですよ、大勝利ですよ(とんらん)!

何はなくとも病院ですよ病院。どこの病院に……まあ、賢明なる読者諸兄は察してをられるでせう。今日は日曜日だ!!

「日曜日に病院が開いてないなら、みんな死ぬしかないぢやない!!! あなたも!!! わたしも!!!」(cv 水橋かおり)

それに思ひ至つたときの絶望たるや。某孵卵器さんが大喜びしさうな程の、希望から絶望の相転移。正しく心が折れるとはあんな時のための言葉だと思ひます。ソウルジェムなんて真黒です。

実際には休日当番医は探せば見つかるでせう。しかしさうでなくても命に関はることの少ない整形外科では然程多くの病院が休日診療はしてゐません。それを探すまでの忍耐力はその時の筆者にはなく、文字通り泣く泣く救急搬送の憂き目(後述しますが、この時に筆者が下した判断は誤りです)となりました。

結局、搬送先の病院で痛風と診断されて鎮痛消炎剤と「コルヒチン」を処方されました。コルヒチンとはイヌサフランやグロリオサに含まれる薬効成分ですが毒性も非常に強く、中毒した場合には死ぬこともあります。序に云ふと解毒剤はありません。先人はどんだけハイエンドでニューウェイブな実験して実用化したんですかね、これ。作用機序は好中球を阻害することで痛風発作の重症化を抑制できるとされてゐます。つか白血球阻害しちやふの? なにそれこはい。

痛みが引いてからは、尿酸値を抑へる薬を継続して飲んでゐます。お陰様で尿酸値は正常値を上回ることもなく、二度目の発作も起こさずに済んでをります。

今回の件でお前が得るべき教訓は(cv 三木眞一郎)……石を投げないでください、真面目にやりますから。真面目にやつてますから。

それ以来筆者が心がける様になつた事が二点あります。一つ目は、鎮痛剤の常備。これは医学的見地から好ましくない行為で決して推奨できません。

ここで語るべき点は、二つ目の方です。皆様に休日診療医を探す必要が発生した場合、インターネットで調べることが殆どと思ひます。ですが痛風発作の時の筆者の様に、命に関はりはしないが苦痛でそんな余裕がない状況も起こり得ます。余裕がないのは甘えだなど余人ならばこそ云へること、痛風の激痛の中でHPを見て近くの病院を探して、なんて無理無理無理deathね。あり得ません。

では何うするのか、種明かしをすれば極めて陳腐で単純な話です。それは効果があるからこそ多用されるし多用されるから陳腐にもなります。大抵の地域には休日診療医を照会できる電話番号があります。その番号と最寄りのタクシー会社の番号を携帯端末に登録しておけば、無駄な救急搬送を行はず可及的速やかに医療機関の助けを受けることができます。不要不急な救急搬送によつて起こる諸問題については改めて申し述べるまでもないでせう。

不幸にも転居直後や出先で困つた状況に陥るかも知れません。その場合は、119番して救急車を呼ばずに休日診療ができる病院を教へて貰ふ手段もあります。但し119番は飽くまで消防機関への緊急電話ですので推奨はできません、最悪の場合の最後の手段として覚えておく程度にお願ひします。

三 白濁(意味深)

白内障。目の疾患で、水晶体が灰白色や茶褐色に濁ることにより物が霞んだりぼやけたりして見える様になります。四十五歳以上の中高年に好発するとされてをりますが、原因によつては若年者にも起こり得る病気です。進行すれば失明し、一旦発症すれば現在の医学では手術以外の治療方法が存在しません。

筆者が異変に気付いたのは2014年以降でした。右目だけ視力の低下が進み、眼鏡は汚れてゐないのに視界が不鮮明な感覚が拭へなかつたのが最初に覚えた違和感です。そして視界は不鮮明なのにやけに光が眩しく、夏季冬季問はず晴天下での運転がストレスに感じ始めました。かと云つて夜なら夜で視力低下の影響をもろに受け、これも非常に辛い。

例によつて筆者は深く考へずに放置しました。運転免許の更新に支障を来す程の視力低下がなかつたことも筆者を無頓着にさせた原因と云へませう。しかし2016年の春先、突如強度の飛蚊症を自覚したところで、漸く眼科医を受診します。

これまた受診したら直ぐさま白内障の診断が下り、それ以降進行を遅らせる点眼薬を使用しながら経過観察となりました。前述の通り、白内障は一旦発症すると根治するには手術以外の手段がありません。進行を止めることもまた、出来ません。即ちいつか手術しなければならないことが決定付けられたのです。そのタイミングを計りながら生活することになりました。

丁度その夏、筆者は職務上の理由で一か月以上ほかの地域でレ〇パレス住まひの出張を命ぜられることとなります。当然上司には、件の病状で進行すれば手術が必要で、その場合は当時担当してゐた業務は術後管理の観点から数日間は遂行が不可能となる旨報告し、再考を促しました。

まあ。黙殺されたんですけどね。

一応上司のことを擁護してやるなら、筆者の年齢で手術が必要なほど白内障が進行するとは余り考へてなかつたのでせう。まあ、何かよく分からんけど。

さて、斯う云ふ場合は出張先で病状が悪化するのは世の常です。世の常でないのなら私の運気がさう云ふものだと云ひ替へませうか。まあ、本厄なら仕方ない(否仕方なくない)(つか歳隠した意味なくね?)。

斯くして急激に病状は進み、右目を鏡で見ると丁度瞳孔の真上に白濁した斑点が認めらるる様になりました。老齢の犬や猫の瞳が白濁してゐるのを見たことがあるでせう。丁度それの小型版の様な感じです。その頃は右側の視界が極端に狭窄し、距離感も狂つてしまひ、職務はおろか日常生活にすら悪影響が出る有様でした。医師の診断によれば術前検査の段階で右目は失明に近い状態だつたとのことです。創作中では隻眼の人物が何不自由なく生活してゐたりしますが、あれは所謂創作上の嘘と云ふ奴か、或は相当訓練を積んでゐる前提なのでせう。少なくとも筆者は片目が見えないだけで相当な困難を感じました。

果たして手術の日程を決めて休暇を取得するまではまた一悶着ありましたが、それについては勤務先への恨み事になりますので伏せます(伏せてない)。敢へて伏せず云へるのは、医師から最低限と提示された期間よりも何日か長い休暇を取得してやつた事くらゐでせうか。良がッペ?その直前一か月ろくに休んでねンだから(威圧)(訛り)。

さて肝心の手術は、術前の点眼など準備は必要ですが特にアクシデントがなければ30分程度で完了します。場合によつては日帰りでの治療も可能とのことです。勿論100%安全な手術は存在しませんから、不幸な合併症やアクシデントから失明に至る場合も極低い確率ながら存在する様です。

詳細は専門家が語ればいいのですが、この手術で筆者が実感したことは二つでした。

先づ一点、失明と云ふ言葉に抱く筆者の印象が誤つてゐたことです。さだまさしの『解夏』に失明とは暗闇を意味しない旨の表現がありました。筆者のそれは全盲ではなく、また原因も違ふため一概に同一視するべきではないのですが、筆者の右目の視界は、全てが白濁してゐる状態でした。あれで明暗が分からなくなつたのが失明だとしたら、盲目の世界は暗闇ではありません。それは宛ら「白い闇」です。なんか厨二病が疼くパワーある言霊ですね。あと、白濁の後ろに「意味深」と書けない筆者のフラストレーションを知れ(ダメです)。

二点目は即ち「世界とは斯くも明るい光に溢れてゐたのか」の一言に尽きます。この述懐には寸毫の誇張もありません。

右目の手術なので左目を覆はれて右目は開瞼器をかけて無影灯に晒される訳ですが、何しろ眩しい。白内障が進行した水晶体は白濁し光が乱反射してしまひますし、更に術前の点眼で散瞳を施してゐるのだから尚更です。その視界は只管に白く、ただ白く、どこまでも白い訳です。最早失明寸前の右目には恐らく文字通り目の前にあつたり眼球に挿入されたりしてゐるであらう手術器具も全く見えません。その意味では全く恐怖感もなく手術に臨めたことは僥倖と呼ぶべきかも知れません。グロ注意ですが、手術の動画はいくつも YouTube などに公開されてをりますので興味と耐性がある方はご覧いただくのも宜しいかも知れません。筆者も見ました……なにこれこはい。

前置きが長くなりました。斯くして右目から白濁し使ひ物にならなくなつたレンズが除去された瞬間のことを、筆者は一生涯忘れ得ないでせう。


その刹那、全てに光が戻りました。

その刹那、全てに彩が戻りました。


手術室ですから落ち着いた寒色と金属色と無影灯の色しかありません。それでも尚、視界を覆ふ白い闇が晴れてしまへばその景色から流れ込む光は鮮烈で、清浄で、そして美しいものでした。

手術完了後に眼帯を外した時も当然大変喜ばしかつたのですが、筆者の記憶では「光が戻つた瞬間」の衝撃と比較すると若干大人しい感動だつたと云へるのではないでせうか。

余談ですが、有名保険会社で提供されてゐる商品ならば、白内障の水晶体再建術を行つた場合出費の多くは給付金で賄へます。更にがん保険の特約や社会保険の高額療養費制度なども活用すると利益が出ることも珍しくないでせう。ただ、多焦点レンズを使用した先進医療の場合はまた事情が異なりますので、保険会社や専門医に確認してください。

筆者がこんな書き方をすると、白内障が大した事のない病気と誤解を招くかも知れませんが、誤解なき様。放置すれば最後は失明します。手術以外に根治術はありません。更に通常の水晶体再建術では手術後必ず老眼を発症し、元通りには戻りません。多焦点レンズなら遠近両用で見えるとされてゐますが、実際にはイメージするほど簡単ではない様です。罹らないに越したことはありませんよ。

四 ㍀㍀㌷㌅にご用心

腸閉塞とは何らかの原因で腸管がつまり、消化物が排出できなくなる疾患です。これも決して珍しい疾病ではありません。珍しくはありませんが、適切な治療を行はないと死にます。腸が腐り、腸に穴が開き、糞が腹腔内にあふれて死にます(意訳)。

杉花粉の飛散が始まる頃、ある事情から筆者は休職し実家で静養してゐました。長いこと家を離れてゐる間にいろいろと家族リスク事案も生じてをり、あまり静養になつてゐない気もしましたがそれは別の話。

それはぽんぽんぺいんから始まつた。

ある寒い土曜日。その日は朝起きた時から臍部に間断的な痛みがありました。折しも筆者は筋力トレーニングのメニュー見直しを行つてゐました。丁度腹筋背筋の鍛錬を強化してゐたこともあり、腹筋への過負荷による筋肉痛と誤認して放置しました。

なんかコイツ、後でひどい目に遭ふのに放置しすぎぢやね?馬鹿なの?死ぬの?

迂闊と呼ばないで!これでも筆者は昔から、石橋を叩いて叩いて仕舞ひには叩き壊してから落ちるタイプと云はry

筆者は平時から一日二度も三度も便通があり、便秘の傾向もありませんでした。その日も便秘も下痢もなく平常通りの便通が午前中に二度あり、消化器の異常については疑ひもせずにゐたと記憶してをります。

ただ、今になつて思ひ返すと矢鱈と黄色い尿が出てをりました。脱水を伺はせる兆候ですが、脱水は腸閉塞の原因にもなり得れば、症状でもあります。相関乃至因果については専門家の鑑別が不可欠で、予断で私見を述べることは極めて危険と云はざるを得ません。

午後には便通とガスの排出が全くなくなり、排尿も少なくなつてをりました。腹痛は増悪し横臥しても腹痛は楽にならず間断は次第に短く痛みは強くなりました。しかし、その段階で医療機関を訪れるべきだつた、とは後からだから云へる事です。下痢や嘔吐などはなく食欲も落ちてゐないことなどから機会を逸しました。

夕食後に酔ひ蕩れた父親と言ひ争ひを一戦やらかし、イライラしながら頓用の睡眠薬を投与して床に就くのですが……それが眠れない夜の始まりになりました。

痛風の時もですが、何うも筆者は土曜の夜が鬼門の様です。週末に恨まれてんのか?


仰臥してゐると痛みが増悪します。

横臥すると少し楽になります。

直に痛みは強くなります。

態勢に関らず痛みが強くなります。

やけに喉が渇きます。

変にゲップが出ます。

次第に胸がむかむかしてきます。

冷や汗が滲み出してきます。

痛いです。

苦しいです。

ボスけて。


やばい、思ひ出してゐるだけで辛くなつてきました。やだもー、これトラウマぢやん。


午前三時頃、遂に苦痛に耐へ兼ねて救急搬送を決意しました。その段階ではまだ余力があり、母を起こして救急車を呼ぶ旨を伝へ、お薬手帳や保険証などを手元にかき集め、自分で119番しました。

因みに、筆者は自分で119番をコールするのがこれで三度目です。件の痛風と、それより昔に過呼吸の発作でも一度搬送を受けてゐたりします。その双方ともに不適切な救急搬送だつたのが大変心苦しいところです。今回ばかりは、三度目の正直と云つては変ですが、初めて救急搬送の判断が正しかつたことになります。と云つても、昼間のうちに病院に駆け込んでおいた方が尚良かつたのですけれどね。まあ、それは後出しジャンケンもいいところです。抑も一つ間違へば死ぬ病気だつたのだから救急搬送で正しいです。

日曜日の早朝と云ふこともあり、受け入れ先がなかなか見つからなかつたさうです。筆者は救急車に収容後は苦痛と疲労と若干の安心感に虚脱気味でしたので記憶が曖昧ですが、付き添ひで同乗した母は気が気ではなかつたとのことでした。最終的に受け入れ先は隣県ですが車で15分ほどの病院に決まりました。

病院では問診、触診、聴診、レントゲン、CTなどを受けた記憶があります。問診の内容は、痛みの度合ひ、下痢嘔吐の有無、ガス排出や便通の有無などでした。そして夜が明ける頃には腸閉塞の診断を受け、そのまま入院。恐らく鎮静剤か痛み止めかの類ひが点滴に入つてゐたのでせう、苦痛で眠れない夜は斯うして終はりました。


ああ、書いてゐて具合悪くなるかと思つた、苦痛の記憶が生々しくトラウマめいたアトモスフィアをですねアイエエ!

でも大丈夫です、今はガスも便通も、透明な尿も出てゐます(きたない(臭さう)。


さて。今回の腸閉塞の治療は、何はなくとも先づ絶食が絶対条件とされてゐます。絶食で胃腸を休ませてそれで腸の蠕動が戻れば良し、さうでない場合には管を挿入して減圧、重症の場合は開腹手術などが考へられるとのことです。

筆者の場合、入院した段階での医師の見立ては糞便性腸閉塞であり、絶食で快方に向かふ可能性が高いとのことでした。

ponponpain の次は ponponempty

日曜日未明に搬入されてから始まつた絶食。月曜日の段階で既に少量の便通と複数回ガス排出があり、医師からは造影剤を入れての検査を提案されてゐます。筆者はそこまでの便通で入院前の食事が全部排出されたと考へられませんでした。無暗にゲップが出る状態と膨満感、かなり弱くなつたとは云へ間断的な腹痛は続いてゐたのです。造影剤を入れることに不安を感じる旨を医師に伝へたところ、検査は翌日となりました。

膨満感が残つてゐること、点滴で水分が補充されてゐること、ずつと横になつてゐることから、この段階では然程強い空腹は感じませんでした。

すごく……不味いです……

火曜日の午前中、造影剤の検査を行ふことになりました。実に48時間ぶりの口に入れたものが、その造影剤になる訳ですが。いやあ、その、大変に不味いんですね、これが。造影剤と聞いてバリウムを連想してゐましたが、その程度であればどれだけ良かつたか。バリウムよりも甘つたるくて、バリウムより薬臭くて、量がバリウムより少ないだけが若干の救ひか。因みに、撮影後排泄を促すためなのか、飲むとすぐに下痢が始まりました。

あのさぁ(棒読み)……下痢するために不味い物を飲むとか闇の罰ゲームか何かですかね。誰だよ千年パズル解いたの。まあクッサイ淫夢ネタは至極何うでもいいとして、下痢があると云ふことは閉塞は解消されてゐるのだなと感じて安心したのを覚えてをります。実際その日の午後には医師からも経過が良好である旨説明を受け、翌日から流動食が開始となりました。

すごく……美味しいです……

それは、重湯と具なしの味噌汁でした。重湯には練り梅が付けられました。前日に造影剤を口に入れてゐますし、薬と水分は許可されてゐたので、厳密には72時間ぶりの飲食ではありません。ですが、何はなくとも塩味ですよ塩味。味噌汁のみそ味と出汁の香り。練り梅の酸味。重湯にほんの少し振られたであらう塩。それだけなのに、それは何と云ふ滋味だつたか。言葉通り染み渡る様でした。

そりやすずさん達も、泣いてばかりでは塩分が勿体ない、と云ふ訳ですよ。

結局一週間の入院となりました。病院食が評判のいい病院でしたが、退院後までお粥しか食べられず副菜もほかの患者とは別メニューだつたのは残念です。ただ、72時間絶食後の食事と云ふなかなかに稀有な体験をしましたし、それだけ絶食してゐるとたかが流動食でも大変に美味しいものでした。

その後は大建中湯の処方を受け、その後は経過観察も不要とのことで治療は完了してをります。ちなみに大建中湯は不味いと医師に云はれましたが、私は割と好きです。要するに人参と山椒と生姜ですが、案外美味しいんですよ、これ(ぉ)。

(イオク様は知らない概念)後始末

今回失敗だつたのは高額療養費の申請を事前にできなかつた事です。二日目以降は苦痛も少なく元気でしたし、体力を落とさない様にスクワットと柔軟体操をする様な気遣ひはしてゐたのですが、高額療養費のことをすつかり忘れてゐました。シャワールームで物故くためにスマホにアレな画像を落としたりとかそんな気遣ひはできてをりながら(黙れ)、会計の事を一切失念してゐました。一週間あつたのだから申請を先に済ませたら窓口の段階で減額ができた筈です。

今回は手術を伴ひませんでしたがかなり高額の医療費です。鼠径ヘルニアで手術を伴ふ入院をした時と同じ程度の額が飛んで行き、請求書を見たときは割と絶句。鼠径ヘルニアの場合は生命保険の手術給付金があり、白内障の時同様利益が出ました。ですが今回は赤字です。つまり腸閉塞はコスパが悪いです。コスパが悪い病気は悪い文化です(?)。手術が伴へば、給付金は鼠径ヘルニアよりかなり高い様ですのでもしかして利益が出る……すでもか(cv 久野美咲)。

しかし腸管にまで侵襲する手術なら術後のQOL低下は、鼠径ヘルニアや白内障などのそれと比較にならないことでせう。それこそ癒着性腸閉塞の心配が一生ついて回ることになりますので長い目で見れば腹は開けないに如かず、抑もこんな病気にならないことが一番ですね。

五 終はりに

今回のオチ、と云ふか後日談(パクりぢやないよリスペクトだよ)。在り来りですが、病気はいつ降りかかつてくるか分かりません。勿論一番困るのは病気で命を落とすことですが例へ命に別条がなくても金銭的な問題など、様々な問題が生じます。その為に平時からできることを、冒頭に述べた通り筆者の備忘録かたがたここにまとめてみたいと思ひます。

1 休日診療の活用

痛風の件でも述べましたが、不要不急の救急搬送は避けなければなりません。タクシー扱ひなど以ての外です。

今すぐできることは「休日診療」と地元の地域名で検索し、その相談窓口を登録しておく事です。同時に最寄りのタクシー会社を登録しておけばモアベターよ(古い)。

勿論、その番号に架けて応答することができない容体なら迷はず119番をコールしませう。

2 高額療養費の活用

手続きの詳細については、社会保険及び国民健康保保険のHPに準じます。特に国民健康保険に関しては全く知見がありませんので、ここでは社会保険の例を前提にしてゐます。

通院から手術や入院に移行する場合や、手続きに明るい家族と同居してゐる場合は特に普段からすることはないと思ひます。

但し独居で救急搬送となつた場合は手続きが遅れることもあるでせう。事前に手続きを行ふことで窓口に払ふ額そのものを抑へられるのと後から給付で一次的に高額を全て払ふのは割と大きな差があります。最終的な額は変はりませんが、短期的なキャッシュフローで考へるとどちらが良いか比較する必要もないでせう。

高額療養費申請用紙を一組平時から携行してゐると、緊急入院や救急搬送の時に慌てずに済むのではないでせうか。

3 その他携行品の整備

筆者が常に鞄に携行してゐる品物を列挙してみませう。近所の外出で手ブラ……もとい手ぶらで出かける場合もありますが、基本的に鞄に常備してゐる物です。今回の救急搬送から入院を経て見直しをかけて先述の高額療養費制度の用紙を追加しますが、元々は20113月の災害以降一貫して非常時の備へを意識してゐます。

鞄は持たない主義などと云はずに、この際持つ様にするのも如何でせうか。手ブラは着エロだけで十分です。手ブラでは出かけません。

若干趣旨が変はりますが、屋外で一人の時に被災しても水さへ確保できたらなんとか一日程度は生きてゐられる備へです。

今回の件で、そこに高額療養費制度の用紙をファスナー付きビニールに入れて追加です。また、おくすり手帳は一時期まるで医療機関の利権であるが如き扱ひでしたが、今はおくすり手帳がないと逆に手数料を取られます。安心して持ちませう。

4 心構へ

ここに列挙した内容を面倒と思はないことが肝要です。勿論病気に罹ることは不幸であり、不幸に遭遇しないに越したことはありません。ですが、遭遇した際の困難を少しでも軽くできる様にしておいて損はありません。準備と云ふ行為その物もまた、健康に対する意識付けに繋がると云ふ考へ方もあるのではないでせうか。

また、白内障の手術後見た光に溢れる世界や長い絶食後の食事の様に、回復の喜びも存在します。それは病気に立ち向かつた者への褒賞とも云ふべき物です。その喜びを濁らせかねない不安要素を軽減し、病気を克服する日をより良き日として迎へられたらそれはそれで幸ひな事ではないでせうか。それもまた、より良い人生を送るために有用であると筆者は考へます。本稿がその一助となれば光栄です。

<了>

参照文献

「この世界の片隅に」(下巻)
(2009)
著: こうの史代
双葉社
「解夏」
(2002)
著: さだまさし
『解夏』
幻冬舎
「大建中湯」
(201736日)
参照先: おくすり110番・・病院の薬がよくわかる
「医療費が高くなったとき」
(日付不明)
参照先: 医療費が高くなったとき(高額療養費) | 国民健康保険ガイド 保険料・手続きの解説
「健康保険ガイド」
(日付不明)
参照先: 高額な医療費を支払ったとき(高額療養費) | 健康保険ガイド | 全国健康保険協会
「コルヒチン」
(20161027日)
参照先: コルヒチン - Wikipedia
「失明」
(2016325日)
参照先: 失明 - Wikipedia
「腸閉塞症」
(2017114日)
参照先: 腸閉塞症 - Wikipedia
「痛風」
(20161023日)
参照先: 痛風 - Wikipedia
「白内障」
(201738日)
参照先: 白内障 - Wikipedia