公開
2017-07-03
執筆者
佐藤俊 ( @SatoSuguru)
※※※
佐藤上(@SatoSuguru)/2017年06月11日 - Twilog
おことわり
出品作品はすべて撮影可能ですとのことで、執筆者が撮影した展示品の寫眞を掲載してゐます。本記事の寫眞の無斷轉載を禁じます。

「漢字三千年」展見に行つた

新潟県立近代美術館で開催されてゐた「漢字三千年-漢字の歴史と美-」展を見てきた。

この展覽會のテーマはサブタイトルにもある通り、誕生以来3000年の長きにわたって、人々に愛され使われ続けてきた漢字が、その時代に最もふさわしい形で表現され、読みやすさや書きやすさ、そして美しさを模索され発展してきた事實を、文物・作品を通して具體的に示すこと。多くの展示品を通して、漢字の誕生からその廣がり、また美術の題材としての漢字を學ぶことができる。

展示品は主に中国の漢字の歴史に關するもので、中国の“國寶”である「一級文物」など貴重なものも多い。一方で日本や朝鮮、ベトナムで漢字が使用されてゐたことは解説で觸れられてゐるが、

これらが日本に關する事物として展示されてゐるくらゐである。


展示はまづ漢字の起源に關するものから始まる。

最初の展示物は土器に記された記號。所有者を示すものであらうとのことで、これは漢字と直接繋がるものではないが、その後の漢字の誕生を豫感させるものである。

續いて「甲骨文字」。卜占に使はれた龜甲や牛骨に神意を伺ふ文言が刻まれてをり、漢字は初め“神事”に用ひられるものであつたことが窺へる。この甲骨文字が後々漢字として發展していくことになる。

次に「金文」。これは青銅器に鑄込まれたものであつた。文章は「○○が祭事に使ふためこの器を作つた。子子孫孫家寶として扱ふこと」と書かれてゐる。“祭事”に使はれるものであつたらしい。この青銅器の展示は金文がある場所にスポツトライトが當てられ、錆に埋もれがちな文字がよく見えるやう工夫されてゐる。青銅器は作られた當初は金ピカだつたさうなので、當時は文字も良く見えた事であらう。

やがて、漢字は筆で木簡や布、紙に書かれるやうになり、「古文」「篆書」「隷書」の時代になる。この時代になると「国家間の盟約」や「處方箋」などの“實用”に用ひられるやうになつた。


この展覽會の目玉でもある「兵馬俑」である。この兵馬俑の胸部分に「不」の文字が刻まれてゐる。この「不」は兵馬俑を作つた職人のものであるやうだ。つまり秦の時代には身分の高い人間だけでなく職人のやうな庶民も漢字を使つてゐたことが分かる。


その後「行書」「草書」「楷書」と言つた、現代の日本人にも見慣れた漢字が現れ、廣く使はれていくやうになり、さらに漢字は實用的なものとしてのみならず美術の題材としても扱はれるやうになつていく。


他に氣になつた展示品も紹介しよう。この「魏三體石經拓片」は三國魏の時代のもの。當時使はれてゐた「隷書」と竝べて、より古い時代に使はれてゐた「古文」「篆書」で同じ經文を刻んだもの。謂はば中国の“ロゼツタストーン”。


この鍵のやうなものは王莽が開いた「新」王朝の貨幣。圓い銅錢に古風な刀錢の形をくつ附けてある。新は古代の制度に立返らんとしてゐた。字も篆書で書かれてゐる。ちよつとユニークな銅錢である。


漢字にはまた「装飾性」もある、といふことで。この掛軸は清の西太后の書。「福禄寿」の三文字を福禄寿の姿に書いてゐる。西太后と云ふと苛烈な政治家のイメージが強いが、こんなお茶目な書も書いてゐたと云ふのが面白い。


この瓶には「百壽圖」、百種類の「壽」の字があしらはれてゐる。つまり「壽」の書體は百種類あると云ふ事だ。より「壽」の意味を表したいと云ふ願望がこれだけの差異を生んだのであらう。


書は「墨」も重要な道具であるが、墨そのものも美術品となつた。これは秦の時代の分銅を模したもので、かなり大きいものである。


さて展示品の最後となるのは林則徐と李鴻章の書である。二人とも清代末期の人物。つまり近代までで展示は終了といふことになる。「簡體字」や「繁體字」に觸れないのは“政治色”が強くなつてしまふからだらうか。


以上、「漢字三千年」展の概要そして特に興味深い展示物を紹介した。漢字の歴史を一眸できるし、貴重な展示物も多い。見應へのある展覽會であつた。

「漢字三千年」展は、新潟では既に終了したが、他の會場を巡囘してゐるので、まだ見ることができる。興味を持たれた方はどうぞ。