歴史的かなづかひについて

公開
2019年5月10日
執筆者
野嵜健秀 ( @nozakitakehide )
初出
同人誌『国語問題――歴史的かなづかひについて――』(平成二十四年五月六日発行・書肆言葉言葉言葉)
(c)2012 T.Nozaki

不思議な歴史的かなづかひ

みなさんは歴史的かなづかひの本を見て、とても奇妙な気がしてゐる事と思ひます。

「歴史的かなづかひ? なんで今では使わなくなった書き方で書いているの」――「ちょっとおかしいんじゃないの」――さう感じてゐる人も多い事でせう。

今、ほとんどの日本人が小学校で習ふ国語の文章は「現代仮名遣い」です。歴史的かなづかひを学ぶのは中学生から……それも古典の授業でだけです。だから、多くの人が、歴史的かなづかひは古典専用の表記だ、と思つてゐます。

歴史的かなづかひの価値を認めてゐても、現代の文章を書くのに歴史的かなづかひを用ゐるのには抵抗を覚える、と言ふ人もゐます。

私達は「現代仮名遣い」を、「今、何の不自由もなく使っているから」と言つて、何の反省もしないで、無自覚に使つてゐます。しかし「現代仮名遣いは戦後になつて初めて「正式の書き方」となつた表記なのです。そして、それまで汎く使はれてきた歴史的かなづかひは一気に消滅してしまひました。こんな急激な「変化」には、疑問を懐くのが自然ではないでせうか。

少くとも、私達は自分が使ふものである言葉については、一度よく考へてみるべきです。

不思議な「現代仮名遣い」

現代文の授業では、漱石も太宰も芥川も、全て「現代仮名遣い」で読む事でせう。現代文は「現代仮名遣い」が当り前……ところが、彼等が書いた原稿も、最初に掲載された雑誌も、全て歴史的かなづかひで表記されてゐたのです。今、私達が「現代仮名遣い」で読んでゐる明治・大正あるいは昭和初期の文豪の著作は、歴史的かなづかひで書かれてゐました。それを私達は「現代仮名遣い」で読んでゐる。

現代の日本人は過去の日本人の文章を、ありのままの姿で読んでゐません。多くの場合、「書き換え」られた文章を読んでゐます。漱石、鴎外、芥川、太宰……彼等は皆、歴史的かなづかひで文章を綴りました。それを現代の日本人は「現代仮名遣い」に「書き換え」を行つて味はつてゐます。

――奇妙な話ではないでせうか。なぜ同じ日本人の書いた文章を、わざわざ「書き換え」ねばならないのでせうか。

不思議な国語改革

全ての元凶は、国語改革にあります。

昭和二十年八月十五日、日本は対米戦争の負けを認め、アメリカに降伏しました。日本はアメリカ軍に占領される事となつたのです。昭和二十一年、日本人は憲法を改正し、「平和国家」への歩みを踏み出しました。

その直後、日本人は歴史的かなづかひを公的な機関で使用する事をやめ、公文書では「現代表記」を用ゐる事を決定しました。「現代表記」は飽くまで公文書での書き方を定めたものに過ぎません。けれども、「内閣告示」で「現代表記」が定められると、一般の新聞・雑誌も「現代表記」を一斉に採用しました。

当時は敗戦後の混乱時代でした。同時に、「あたらしい憲法のはなし」が出版され、民主主義の時代が来た、と宣伝されてゐた時代でした。軍国主義・皇国史観が否定され、「神道指令」によつて「国家神道」が禁止されたのみならず、日本史すらも教育が停止されてゐた時代です。突然表記が変つた事にほとんどの人は関心を払ひませんでした。せいぜい漠然と「民主化政策」の一環と捉へただけであつたやうです。

「内閣告示」の文言上は、飽くまで公的な機関での公文書でのみ用ゐるべき「現代表記」でしたが、教育機関も公的機関に違ひありません。結果として「現代表記」は教育現場でも教へられる事となりました。さう云ふわけで、以来、戦後世代の日本人は「現代表記」で教育され、「現代表記」の本や雑誌で娯楽を享受する事となつたわけです。

「現代表記」の本質

「現代仮名遣い」「常用漢字」と云ふ言葉を読者の方はご存知だと思ひます。これは昭和二十一年に定められた時には「現代かなづかい」「当用漢字」と言つてゐました。それが昭和四十年末代から六十年代初頭にかけて改定されて「現代仮名遣い」「常用漢字」と名を改めました。内容は殆ど変りません。ここではそれら戦後に定められた「新しい日本語の表記」をひつくるめて「現代表記」と呼ぶ事にします。

さてこの「現代表記」とは何だつたのでせうか。いや、何なのでせうか。

――一言でまとめてしまへば、「将来漢字を廃止する前提で、日本語を改造するために構想された表記」である、と云ふ事になります。大袈裟な表現のやうですが、実際「漢字を廃止する」方針が文部省(当時)に存在した事は事実です。

「むずかしい漢字」を廃止し、かなやローマ字だけで日本語を表記する――そのためには、漢語を廃止する事が必要だと考へられました。また、明治時代には表音文字である仮名やローマ字で書くからには発音通り書くやうにしなければならないと誰もが当然のやうに信じました。それは間違ひなのですが、文部省は役所ですから一度決めた方針はなかなか改められません。また、えらい国語学者であつた上田万年が表音主義者であり、漢字廃止の方針を定めた人物であつたので、教へ子や学閥に属する人々は大抵それに従つてしまひました。

明治時代の国語改革

明治以来、「漢字を廃止する」方針が文部省に存在し、「漢字を廃止する」ために国語の調査が続けられました。国語の改革を主張する人々は、何度となく仮名遣ひの改定を企てました。

教育現場で一度、発音通りに書くかなづかひが採用され、教へられた事があります。「教育」を「きょーいく」のやうに書く、と云ふかなづかひです。俗に「棒引きかなづかひ」と呼ばれ、明治三十年代に採用されたのですが、これは違和感を覚える人がたくさんゐました。数年で実行が停止され、関東大震災が発生して世間が混乱に陥つた間に制度が廃止されてうやむやになりました。しかしこの間、古典と切離された世代が発生し、昭和になつて軍部の指導層を占める事になります。その結果、日本はとても勝ち目のない大東亜戦争に引込まれたのである、と中河与一や保田与重郎が述べてゐます。(保田与重郎・中川与一『日本の心 心の対話』)

大正期から昭和初期にかけても、表記の改定が主張され、文学者・軍人の森鴎外や国語学者・国学者の山田孝雄といつた人々が必死になつて改革を阻止しました。当時、民間には右派の人々が勢力を拡大してをり、保守派議員が多数当選して議会に送り込まれてゐました。彼等の活動によつて辛うじて急進的な国語の改革は押しとどめられてゐました。

今、右派・保守勢力と申しましたが、ちよつと註釈が必要かと思ひます。さうした立場の人々を戦後の日本人は甚だ警戒します。ところが、「国粋主義的」で「封建的」と呼ばれる戦前に、民間から発生した、言はゞ民主的な政治活動としては、さうした立場から政治的な主張をする人々が多くゐたのです。寧ろ政府・官僚=権力側には極端に進歩的な人が多く、国家の近代化・西欧化をひたすら推進しようとしました。右派・保守派は当時、反権力の人々であつたのです。さうした人々も無闇矢鱈と反時代的な事を言つたのでなく、ただあまりに時代を進めようとする権力側の暴走にブレーキをかけようと、保守的な立場をとつただけでした。戦前のさうした民主的な人々が国語改革への反対運動を行つてゐた事実は改めて省みられる必要があると思ひます。

――と言ふのは、戦争で負けて彼等の民主的な活動が封じられた結果として、権力側の急進勢力が暴走し、様々な問題を残したからです。国語改革も戦後の「民主化」を大義名分とした急進主義的な国家改造政策の一つだつたのです。

暴走した急進主義

敗戦後に実施された国語改革で、「現代かなづかい」「当用漢字」が定められ、一気に世間のことばが改められました。それは他の民主化政策と結びつけられ、喧伝されました。今でも「現代表記」は民主的で、それ以前の表記は反民主的――封建主義的、国粋主義的、等々――であると言ふ人がゐます。

ところが、実際の歴史では、曲りなりにも民主的な選挙で選ばれた多くの議員が、国語改革に反対し、その実施を押し留めてゐたのです。逆に敗戦後の国語政策は、官僚主導で行なはれ――言はゞ密室の中で実施が検討され、国民の与り知らぬところで決定がなされたものだつたのでした。国語改革を実施した国語審議会は、メンバー同士の談合で次期メンバーを決める等「永久政権」的な形で運営され、のちに非民主的だと非難されてゐます。

「現代表記」それ自体にも極めて危険な性質が存在します。

漢字を廃止する前提で、暫定的な表記の規則=規範として定められたため、「当用漢字」には多くの問題が残りました。漢字の出たら目な簡略化により字形の体系が破壊された事、字体表の範囲で書けるやうにするため熟語等における「漢字の書き換え」が行なはれた事、等々。

仮名遣ひも悲惨な事になつてをり、「だいたい発音通り」と云ふ「原則」を定めながら、それでうまくいかないところは以前の歴史的かなづかひの理論を用ゐて説明をこじつける、と云ふつぎはぎ的なやり方で説明しようとしてゐます。

全体として非常にやつつけ気味の規則なのですが、兔に角「漢字を廃止する」までの間に合はせであると云ふ事で、「現代表記」は強引に実施されてしまひました。

――が、そこには重大な問題があつたのです。

「漢字を廃止する」までの暫定的な規則として定められた「現代表記」ですが、どんなに問題が指摘されても、改革推進派は「漢字が廃止されれば一切の問題は解決する」と言切つて、ただ暫定的だから問題があるのは仕方がない、と開き直つたのです。どこが悪い・ここが悪い、と具体的な批判がなされても、「現代表記」の手直しはなされませんでした。と言ふより、本質的に批判不可能な形で「現代表記」は実施されたのです。

体系性を失つた漢字、表音的だが表音主義で一貫できないかなづかひ――これを教育で教へ込む事にも問題があります。先生は生徒に「現代表記」の規則を説明しますが、生徒が納得しない事があります。その時、先生は必ずかう言ふのです――「そういう規則なのだから何も考えないでおぼえなさい!」。

「現代表記」の重大な問題がこれです。理屈で教へられない。「現代表記」は、頭から受容れて、何も考へないで、ひたすら諳記しなければならないのです。理屈で考へ始めると、必ず矛盾が見つかる。鼻血は「はなぢ」なのに地面は「じめん」である。頭の良い子ほど、「現代表記」の規則に悩まされます。しかし、それを国語改革の当事者は大変良い事であると信じてゐました。「現代表記」を定めた当時の国語審議会の会長であつた土岐善麿は、「正書法」の概念を使へば「現代表記」を説明できる=「現代表記」の押し付けは「正書法」であると言へば正当化できる、と考へてゐました。(座談会「國語政策と國語問題」「聲」第六號)

急進主義への反省

さすがに民主主義の時代になると、明治時代のやうな、頭ごなしに国民に政策を押しつけるやり方は疑問視されるやうになりました。

昭和三十年代、世情が落着いてくるに従つて、国語改革への疑問が世間に噴出するやうになります。国語審議会では国語改革に疑問をいだいてゐたメンバが激しい抗議を行ひます。遂には五人の委員が審議会を脱退するパフォーマンスを演じて、漸く文部大臣を動かす事に成功しました。そこまでしないと政治家も国語問題に目を向ける事がなくなつてゐたのです。

「漢字を廃止する」と云ふ文部省内部の方針・国語審議会の方針は、やつと見直されるやうになります。

「現代かなづかい」「当用漢字」の得失が十年がかりで検証され、その結果は「現代仮名遣い」「常用漢字」の制定に繋がります。そこでは「漢字を廃止する」方針の撤回が宣言され、漢字かな交り文が日本語の表記のあり方であると明記されるやうになります。漢字制限の性質は「存在しない」事が謳はれ、「現代仮名遣い」も「常用漢字」も飽くまで「目安」であると云ふ事になりました。

定着した「現代表記」と云ふ既成事実

「現代仮名遣い」「常用漢字」の実施は、国語政策に大きな転換をもたらしました。明治以来の大方針であつた「漢字の廃止」は、国語政策の目標ではなくなりました。日本語の表記は漢字かな交じりが正式であると定められました。流れは大きく変つたのです――制度上は。

しかし、国語政策の方針について・規則の性質について大きな変更があつたにもかかはらず、実際の「かなづかい」と漢字は従来のものから全く変化しませんでした。「当用漢字」から「常用漢字」へ、「現代かなづかい」から「現代仮名遣い」へ、制度が移行したにもかかはらず、社会で使はれる漢字もかなづかひも、全く変化しませんでした。

国語政策における制度の変更は、社会に何の影響も与へませんでした。

――ここからは推測です。けれども、大して的外れなものではないと思はれます。

昭和二十年代に決定され、実施された「現代かなづかい」「当用漢字」は、日本人の表記に対する意識を一変させました。昭和三十年代以降、殆どの日本人は「現代表記」を当り前のものと看做すやうになりました。逆に歴史的かなづかひや正漢字は「現代に相応しくない」と云ふ意識が定着してしまひました。

さうした状況下、国語審議会は従来の方針の見直しを迫られます。そこで審議会のとつた行動は、ただ調査を行つて時間を稼ぐ事だけでした。これは大変な深謀遠慮の下に行はれたものと思はれます。と言ふのは、さうする事で、十年がかりで定着させた「現代表記」を、調査の間中――調査の名の下に、そつくりそのまま維持し、継続させる事に成功したからです。結局、二十年乃至三十年に亙り、「現代かなづかい」「当用漢字」の体制は維持されました。最早「現代表記」は既成事実です。

戦後世代の日本人にとつて、歴史的かなづかひも正字体も「自分のもの」ではありません。戦後の「現代表記」こそが彼等にとつては「既得権益」であるのです。そこで方針の見直しが行はれても、内容の変更は彼等にとつてまるで受容れられない事でしかありません。

戦後世代が育ち、積極的に戦後の「現代表記」を「保守」して呉れるやうになるまで、国語審議会は制度の見直しを引伸ばし、「現代表記」の改定を遅らせたのです。戦後四半世紀以上使はれて、「現代表記」は全く定着してしまひました。「いまさら歴史的かなづかひに戻されても困る」――さう云ふ世代が育つてしまつたのです。

国語審議会は――そして文部官僚は――戦略的に大成功を収めました。彼等は先輩の官僚が実現した政策は守るのが当り前、守れれば大勝利なのです。文部省の役人にしてみれば、現状維持でも「自分たちの成果が守られる」のならば、それで十分満足です。「現代表記」の見直しのやり方は、いかにも官僚的な戦術によつて行はれたものと言つて良いでせう。

一方、民間の・学問的な表音主義者は、今の段階から進めない事に苛立つてゐます。野村雅昭氏のやうな人々が現在も国語政策の根幹に居坐りながら、漢字の全廃を主張してゐます。しかし、彼等の活動は事実上封じ込められてしまつてゐると言つて良いでせう。歴史的かなづかひへの回帰を拒否する世間は、しかしこれ以上の国語の表音化を許しません。とは言へ、彼等の企みは中途まで実現したのです。彼等も、何の進展もないからといつて、今の成果を放棄する積りはさらさらありません。

しかし問題が……

既成事実とは言へ、「現代表記」には問題が残つてゐます。本当に沢山の矛盾点、理論的な不整合が「現代仮名遣い」にも今の「常用漢字」にもあります。個別の問題については今は触れません。

ただ言へるのは、全体として「現代表記」は過去の日本語の表記と別物になつてしまつてゐる、と云ふ事です。

これは大変な問題であると言へます。と言ふのは、結局過去の日本語の歴史と現代の日本語との間には、深い溝ができてしまつてゐるわけで、現代の日本人は過去の日本語の文献に接近する障碍を持つてしまつてゐるからです。それの何が問題か、と今の日本人は必ず言ふのですが、考へて見て下さい、「同じ日本人」の書いたものなのに、現代の日本人は過去の日本人の書いた文章を、ありのままの姿で味はふ事ができないのです。……ならば、吾々は、自分が日本人だと言つてゐるけれども、実は最う日本人ではないと考へるしかないのではないでせうか。歴史の断絶は民族の歴史の断絶であり、吾々のアイデンティティの根幹にかかはる問題であります。

さらに言ふならば、吾々が民主主義の立場をとつてゐる、と考へてゐる事も危ふくなります。民主主義ならば、全ての政治的主張は批判が可能でなければなりません。批判可能な形で政治的主張が言出されてゐるからこそ、議会では議論が可能になるのであり、言論の形で討論が行はれ得るわけです。批判できない絶対的な命令が押しつけられるならば、それは民主主義ではありません。

ところが「現代表記」は批判できない絶対的な命令なのです。もちろん文言には「目安」のやうな事が謳はれてゐます。けれども、現実的には「現代表記」に誰も逆らへない――一般の社会で「現代表記」でない表記を用ゐる事は事実上不可能となつてゐます。

誰も積極的に禁止はしませんが、歴史的かなづかひを用ゐると「空気読め」のやうな言ひ方で必ず非難が加へられます。さうした「空気」を作る事それ自体が非民主的であると言つて良いでせう。

そもそも「現代表記」自体が非民主的な代物なのです。

何より最初に「発音通り書けるようにする」と云ふ方針の下、「新しい正書法」として規範が創作されてゐます。さうしてそれが頭ごなしに国民に押しつけられてゐます。「これはよい表記なのである」と言つて、いかにも親切のやうな顔つきで、押しつけが行はれてゐますが、どんな形であれ押しつけであるなら民主的ではありません。

さすがに「漢字が消滅するまでの暫定的な規範」と云ふ言ひわけは、もはや通用しなくなりました。「現代表記」は「定着した規則」となつてしまつてゐます。ならば――だから、今こそ、「現代表記」の問題をとりあげて、批判を加へる事は、必要なのです。

なぜ規範全体が創作されねばならなかつたのか

カール・ポパーは「反証主義」と言つて、自然科学の仮説は全て、事実によつて否定される可能性のある形で法則化されねばならない、と主張しました。トンデモ科学の批判では、ポパーの所謂反証可能性は必ず持出される考へ方となつてゐます。

そのポパーは、『歴史主義の貧困』で、社会科学を批判して、歴史や社会の全体としての法則化を否定してゐます。歴史の流れの中で世の中はどうなつていくものである、と云ふ見方――これは見方である限り有用であるにしても、真理として主張されるならば問題になる。さらに、「真理としての歴史法則」を信奉して、それを推進する事を主張するならば、それは大変な誤である、と言ふのです。

社会の制度は全て、偶然に成立し、ただ何となく秩序を保つてゐるやうに見えても、全体としては自然科学のやうな筋の通つた統一性を持つてゐません。けれども、自然科学の考へ方から類推して考へる事はできます。個別の制度については、法則を見出し、将来を予測する事ができる、とポパーは指摘します(例へば経済活動、株の動き等々)。そこでは自然科学ほどではないにしても或程度の法則化が可能ですし、事実によつて仮説的な法則の正しさを検討する事ができますし、それは実際に有用です。

ソーシャルエンジニアリングの考へ方では、さうした個別の制度についてのみ改良を企てる事があり得ます。しかし、仮説的な法則を立てて社会を全体として改革する事、制度全体を改変してしまふ事は、避けねばなりません。飽くまで漸進主義のやり方で社会や制度を改良するのでなければ民主主義ではないとポパーは言ひます。

なぜ今ポパーを持出して説明するのか――と言ふと、その社会の制度の一つに、言葉もまた含まれるからです。言葉は社会的に成立した制度であり、全体としては統一性があるわけでもありません。全ての言葉は偶然そのやうに定められてゐるだけです。ただ、部分においては或程度法則が成立ちます。日本語で言へば用言の活用――四段活用、上一段活用、さ行変格活用、等々。否、日本語の文法と言ふものが、言葉の法則を分析した成果であると言へませう。

歴史的かなづかひは、一面、過去の日本語の発音に基いた規範であると言はれますが、他面、日本語の規則に従つて書く決りであると言へます。そこには全体を貫く自然科学のやうな法則は存在しません。が、動詞の活用のやうな部分においては法則が存在します。のみならず、用言・体言・助詞・助動詞といつた部分部分にそれぞれの性質を認め、法則的に説明をする可能性を持つてゐます。かなづかひは矢張り一種の社会的制度なのであつて、ポパーの指摘が当嵌らなければなりません。

歴史を見ると、かなづかひは平安時代、既に自然に成立してゐました。定家の「定家かなづかひ」や契冲の「復古かなづかひ」は全て既存の規範の部分的な改修でした。歴史的かなづかひは、細かい部分的な改修の積重ねでありました。だから歴史的かなづかひは、ポパーの思想によれば、民主的に成立したものであつたのです。

それが戦後の国語改革では、一気に変更が行はれてしまひました。そこでは「発音通り書く」と云ふ、表記なる制度全体に対する法則的な原則に基く根本的な変更が行はれてゐます。これは明かに全面的な改変であつて、部分的な改修ではありません。ならば、国語改革はポパーの考へるやうな民主的で漸進的な制度の改良ではないのです。「現代表記」は民主的ではないやり方で定められた、全体主義的革命によつて成立した表記である、さう言つて良いわけです。

まとめ

もともと「現代表記」は、過去の日本語の表記を全面的に変更した表記であり、原則的にも、また実際のやり方にしても、非民主的に成立したものでした。それは民主主義の現代の日本にふさはしくありません。

「漢字を廃止する」「発音通り書く」と云ふ原則を導入する過程で暫定的に用ゐられるべき「現代表記」は、不具合が多く、理性的に理解する事ができませんが、批判する事が原理的に許されなくなつてゐます。だからこそ、「現代表記」はこれ以上の改良も不可能であり、発展性がありません。言葉が時代に即して変化するなら、改良の不可能な「現代表記」が今後の日本語の変化に即して生きて行く事は不可能であり、時代が下れば結局また全面的な変更が必要となつてしまひます。その時、吾々が書いた文章は全て過去の文章となり、葬り去られます――「現代表記」が過去の文献を葬り去つたやうに。

「現代表記」は過去と現在の間に歴史の断絶を生じさせるものであり、現代の日本人と過去の日本人とを切離すものです。過去の日本人との歴史的な断絶は、現代の日本人のアイデンティティを消失させるものです。現代の日本人は、根無し草のやうに、ただ現代と云ふ狭い世界の中で、孤独に存在して行かなければなりません。

もちろん、「現代表記」は現代の日本人にとつて見慣れた表記であり、歴史的かなづかひは異様な表記であるに過ぎません。が、さうした感性的で感情的な物の見方に、人は留まつてゐるべきか何うか――

歴史的かなづかひは気持ち悪い、さう言つて拒否する事は簡単です。が、気持ち悪い、と云ふ言ひ方で他人を拒否する事が、常に好ましい事であると言ふ事はできません。中学生や高校生が同級生を「気持ち悪い」と言つて虐める事はしばしば見られる事実です。キリスト教やイスラム教の信者の人を「気持ち悪い」と言つて拒否する事は、もはや差別になつてしまひます。

気持ち悪さを感ずるにしても、そのゆゑんをよく反省して、考へてみる必要があります。新興宗教の気持ち悪さは理由がある事でせう。けれそも、それを言ふなら、「現代表記」は新しい表記なのであり、寧ろ新興宗教に近いのです。

別に行きなり歴史的かなづかひを使ふやうになれとは言ひません。現代の日本で歴史的かなづかひを用ゐるのには多大なデメリットを抱へ込む事になります。あなたが今、歴史的かなづかひの使用者を非難してゐる人であるならば、あなたが歴史的かなづかひの使用者となつた時にどのやうに周りの人から扱はれるかは想像がつくでせう。あなたがした仕打ちが、今度はあなた自身に返つてくる。

――それでも、歴史的かなづかひには依然として意味がある、と云ふ事は、理解していただきたいのです。

「現代仮名遣い」の「前書き」にすらも「歴史的仮名遣いが、我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして、尊重されるべきことは言うまでもない。」と書かれてゐるのです。

あなたが「現代仮名遣い」の支持者であり使用者であつても――否、さうであればこそ、あなたは歴史的かなづかひを尊重しなければならないのです。

参考になる本

福田恆存『私の國語教室』(新潮文庫・中公文庫・文春文庫、文藝春秋の福田恆存全集・麗澤大学出版会の福田恆存評論集にも入つてゐる)は、歴史的かなづかひについて考へるための基本図書。

民主主義のありやうと全体主義に対する批判は、カール・R・ポパー『歴史主義の貧困』(中央公論社)を参照せられたい。トンデモ科学批判にはポパーの著作が必読となつてゐるから探していろいろ読んでみると面白いだらう。

国語学・国文法については橋本進吉、時枝誠記、山田孝雄といつた人々の著作に当られたい。彼等、文法学の大家は皆、歴史的かなづかひの支持者だつた。

国語改革の歴史は福田恆存『國語問題論爭史』(土屋道雄による新版が出てゐる)や文化庁『国語施策百年史』等が委しい。

戦前の右派・保守主義者の活動については葦津珍彦の著作が詳しい。直接国語問題とは関係がないが、『国家神道とは何だったのか』(神社新報社)は戦前に対する見方を根本から覆すものだから一度読んでみると良いかと思ふ。

各種団体

国語問題協議会
http://kokugomondaikyo.sakura.ne.jp/
小汀利得、福田恆存を中心に昭和三十四年に設立された団体。
会報「國語國字」は国語問題に関する貴重な資料である。
神社新報社
http://www.jinja.co.jp/
昭和二十一年創刊。神社本庁の機関紙であるが歴史的仮名遣を紙面で全面的に採用する国内では唯一の新聞となつてゐる。