免許を取った時から、二年ほど乘ってゐた十年ものの中古の日産マーチのエンジンが駄目になってしまひ、仕方なく新しい車を買ふことになった。とはいへ――
「買ふなら個性的な車が良い!」と云ひ張る私と、「買ふなら下取りが良い車が良い!」と讓らない親父の妥協點はなかなかなかった。個性的で下取りも良い車――んなもんある訣なからう! ボケ!
そんな事を思ひながら、二十歳(三月なので四月産まれの私はもうすぐ二十一歳であるが、まだ二十歳なので、此處は「はたち」と云ひ張る)の私と兩親と、樣々な車輛販賣業者で車を見ていた訣である。
で、あったのだ。あったのだよ。
それが海のそばの小さい中古車販賣業者の扱ってゐた、ダイハツミラジーノである。ウィキペディア曰く「クラシック風軽自動車」、あくまで「風」の、それっぽい、アレである。元ネタは、海外のあの例の可愛い車である。
丸っこくリニューアルされる前の最後の初代ミラジーノのミニライトスペシャルである。綺麗な赤色、アホ毛みたいな眞ん中にちょんと立ったアンテナ、愛らしい丸い目、しっかりとフォグランプも附いてゐて、イギリスのアルミホイールブランド「ミニライト」仕樣で、カッコ良い。黒い合皮風のハーフバケット。完璧である。
「コレが欲しい」
私は即座に口にした。親父は、「またこいつイナゲな(標準語譯:變な)車みつけたの」と云ふ、暗がりの蛸みたいな目で私を見る。が、ミラジーノを見て、「おっ」と云ふ顏をした。
「ミラジーノか。これなら下取りもしっかりしとるからの。ええよ」
なんともあっさりと許可が出た。早速見積もりである。
「昨年十二月車檢のものなら新古車がございますので安くなりますよ」
と云はれたので、車檢期間が短くなっても安い方が良いと思ってそのまま契約した。
あれから十年以上乘ってゐるが、昨年と一昨年に交叉點で夏場に突然エンジンが死ぬ謎のトラブルが二囘あってJAFにお世話になったのと、エアコンのつまみが壞れてバカになった以外にそんなに大したトラブルは無かった。因みにつまみは五百円で買へた。
大規模なのは誰かにドアパンチされて塗裝がぱっくり切れてしまひ、塗り直す事での補修が困難だったので一枚ドアを換へた位だらうか。
あと、運轉席のシートが二箇所程ちょっと裂けた。新しいシートを買はう買はうとして四年程經ってしまった。レカロが良いとかほざいてゐたからかもしれぬ。
親父のお下がりのナビと、安物の後部用スピーカーと、舊いiPodしか對應してゐないFMトランスミッターが附いてゐる以外には特に何も施してゐない。安上りである。その安上りのまんま、最近はセックス・ピストルズなんか聽いちゃったりしてゐる。
舊い自動車の自動車税が上がると聞いた。舊いモノを乘り續ける事こそが、本當のエコであると思ふ。
新車がエコだなんて、嘘っぱちだ。絶對に良い物を長く乘る事が良いに決まってゐる。
坂道でウンウン唸り、エアコンが効きにくい車には、壞れるまで乘るつもりだ。
昨年の話である。
「新しい車を買ふ」
「はあ」
親父がかう云ひ出したら正直誰も止められない。言葉で止めても無駄なのである。何をどうしたって買ってしまふのだから。
昔から車道樂の男で、母と付き合ひだした頃にはピンクのスカイラインなる謎のセンスの車に乘ってゐたのだから酷い。ピンクとか可愛い。ずるい。私も乘りたかった。それはさておき、うちの親父は三年に一囘どころか下手をすると半年で新車を新車に買ひかへたりする樣な飽き性の人間である。
私は一度親父の歴代の車を數へたのだが、自分の車や親父の仕事車も數へると、三十年余りの人生の中で三十臺どころではない臺數の自動車に乘ってゐるといふ計算になった。愛車遍歴に出たらフリップが酷い事になるに違いない。そんな親父が車を買ふと云ふのだ。實にうんざりする話である。
某日、フィットの試乘をさせて貰へると云ふ事で、知り合ひの中古車を扱ふ業者がわざわざホンダの人を店に呼んでくれた。
雨上りの空にピカピカのビビッドスカイブルー・パールが眩しい。見た目はいたって普通である。所謂「今時のクルマ」であり、特に此處がどうの、あそこが素晴らしい、だのと云ふ感想は抱かない。
「しきみ、お前運轉しろ」
「は?」
何故か私が試乘する羽目になった。仕方がないので運轉席に坐る。惡くはない。取り立ててわあって云ふ程良くもない。此處の所中古ばかり買ってゐたので、新車の臭ひを久々に嗅ぐ氣がする。シートはハーフバケットタイプで此處はポイントが高い。フラットなものは乘ってういて怖い。
「えーと……エンジンかけるの何處?」
なんせロートルなのでキーレスは初めてだ。
「このボタンですね」
ディーラーの人に、赤い非常ボタンみたいなものを指差される。昨今の車はキーでエンジンキーで鍵穴周辺がガリガリにもならないのだ。それが進歩かどうかはわからないが。
ボタンを押すとエンジンが始動し、おっかなびっくり車を発進させる。のろのろと敷地をでて、良くわからない道へと進まされる。田舍の細い道から、田舍の大きな道へと出る。都會方面は通らせて貰へないらしい。
感覺的にミラジーノと比べて(比較対象が微妙なのはさておき)1.3倍位の大きさではなからうかと感じる。ゴルフよりは小さい、と云ふか、鼻っ面が少々短いな、とは感じる。運轉席から鼻の先が見えないので不安ではある。トンネルを通るのが怖いと思ったのは久しぶりかもしれない。計器類の情報が多くて、一瞬何處を見て良いのかわからなくなるのだ。
ぐるりと謎の田舍を通って、試乘は終はった。そつがない車だとは思ふが、「素晴らしい!」みたいな感想は出てこない。粛々と云はれた通りに動いてくれる車だとは思ふ。
見積もりをして貰ってこの日は終了した。この時はまさか、これだけで親父が買ふとは思ってなかったのだ。
「フィットを買ふから」
「はあ」
決定したらしい。まあ、良いんぢゃないんでせうか。知らん。
私は餘程の事がない限り、親父の決めたことに逆らったことがない。結局無意味だからだ。それに、二人とも讓らないので逆らふと毆り合ひになる。私個人としては毆り合ひは構はないのだが、母が泣く。面倒臭い。
と云ふわけで、色も車種も全部決まったものが、試乘したのとは別の中古取り扱ひ業者で、新品でオーダーといふ、なんの利權が絡んでるのかわからない不義理をして親父は注文した。どういふ經緯でさうなったのかは知らない。知りたくもない。
と云ふ訣で、なんの盛り上がりもなく新車が用意される事となったのである。
「フィットが來た、取りにいかう」
「はあ」
業者の所にフィットが來たらしい。代はりに賣りに出すスズキのエブリィに乘って、兩親とフィットを迎へに行く。
飽き性の親父が重視する「下取りの値段」を考慮し、白(特別色のプレミアムホワイト・パール、プラス32,400円)を買った。業者の人に、ナンバープレートを銀色の細いフレームで圍んで貰ったやうだ。このフレームがあった方が恰好がいい。雰圍氣が締まって見える。
ちなみに、ハイブリッドはリコールが多いと聞いてゐたので、ガソリン車の1.3L(グレードだと13GのFF)である。
運轉席と助手席のビニールのカバーを外した内裝を、改めて眺める。ホンダの車は、基本的に必要なものは揃つてゐるが、揃つてゐるだけで内裝の見た目が安つぽいと云ふのが刑部家での常識である。他の家では知らない。
久しぶりのホンダの車だが、「ふーん、ホンダにしてはまあまあぢやね?」である。勿論グレードが上がればもつと「良い裝備」になるのだらうが、さういふ問題ではない。基本的にホンダの車の内裝は地味で貧相でやる氣を感じない。
當然の樣にナビ「樣」が附いてゐる。業者さん曰く「これ高いんですよ」とのこと。どうやら基本裝備のものではないらしい。
エクリプス製の中古。これは直接フィットの性能とは關係ないので簡單に。
スイッチを押すとディスプレイが出たり引つ込んだりする。ああ、ハイテク。山陽側と山陰側ではテレビ局の設定が違ふらしく、山陽側で設定したテレビ局の設定では映らない。ナビは勿論、DVDが觀られたり、ケーブルで携帶音樂プレーヤーを接續できたりする。要するに、今時である。説明書がないので、多分「私が」觸って覺えるしかない。兩親はかういふのを覺えるつもりがないので、家のテレビやビデオの配線なども全部私が行ってゐる。
座席を片方だけ倒して收納することができ、あるいは兩方倒すと完全にフラットになるので、荷物が多いときには活用できる、と説明を受けた。使ふ機會があるかどうかは別として。
「さて、天氣も良いし、ちょっと萩にでも行かう」
「はあ」
と云ふわけで、萩しーまーとへと行く事になった。
暫く乘ってゐると、クッションが薄いのか母が「ちょっと尻が痛い」と云ふ。クッションを敷くことで解決できる問題ではあるが、感覺的にダイハツのミラジーノよりもクッションが惡いと云ふのは少々頂けないのではないだらうか。
後部座席にはゆとりがあるが、ドリンクホルダーが眞ん中にしかないのが不便。多分後部座席に肘當てのない車は大體さうなのだらうとは思ふが、これは前の席に引っ掛けるなどして別付けする事で解決したい。
アイドリングストップシステム、親父的には「鬱陶しい、邪魔」とのこと。私は氣にならないのだが、かういふものは、昔から車に乘つてゐて、かつ氣が短い人には向いてゐないのかもしれない。
しばらく、と云ふかずっと、田舍の山道を走って行く。萩のしーまーとで魚と日本酒を買った。
さて歸らうと後部座席の方へ行かうとしたら、親父がキーを私に突き出す。
「なんぞ」
「お前、運轉替はれ、俺は疲れた」
「はあ」
ところで――
「キーを受け取りたいのはやまやまなんだけど、このワンピースポケットないねん」
「その邊に適當に置いとけ」
さう云って親父は私にキーを渡し、さっさと後部座席に乘り込む。
仕方ないので、私が運轉するしか無い。
山陽側から山陰側に行く爲に山道を多く走る所爲か、燃費はカタログの値より少々宜しくない感じで記録されてゐる。計器類の縁がぴっかり緑色に光れば燃費の良い運轉の印らしい。燃費に良い運轉は難しい。
輕自動車はちょっとした坂道でもエンジンが「おりゃー頑張るぞー」みたいな音を出すのだが、流石に馬力があるのでちょっとやそっとの坂でもエンジンの音が變らない。すましている。うーん、なんとも日本人らしい。
基本的に母の親戚の關係上、山口縣東部から北部へ遠乘り(とまでは云はないか)する事が多いのだが、輕自動車をうんうんわんわん云はせて運轉するよりは遙かにストレスがない。まあ、それが當り前である。
以前フォルクスワーゲン・ゴルフGTIに乘ってゐたが、さう劣ってはゐない。勿論ゴルフ程馬力はないが、そもそも日本のクソ田舍に住んでいて、休日たまに遠出する位の人間にはそこまでの性能は必要ない。これくらいで十分なのだ。
ただ、野嵜さんがフォルクスワーゲン・ポロに乘っていて「運轉が樂しい車」みたいな事を仰っしゃるが――ああいふ餘裕と云ふか、遊びみたいなものはない。正直、走っててなんの感情も抱かないのである。
「車が憧れ」の時代は完全に終った。今や便所サンダル位の氣輕さでドライブ出來る時代だ。
だが、運轉する事から沸き起こる純粹な喜びのないドライブは、何かが違ふ。
ときめきの少ない效率性のみを重視したカーデザインも、正直カッコ惡い。
昔の車をオールドタイマー誌で眺めると、どれもこれも尖ってゐて、スターの樣に輝いてゐる。勿論、殘った車といふものは、良いものであったから殘ってゐるのである――さう思ふでせう? これが意外とさうでもなく、所謂「不人氣車」や「商業車」みたいなのもちゃんと殘ってゐる場所には殘ってゐるのだ。しかも、今みたら割りと惡くないデザインだったりして、時代的に不遇だったりしたものもあったりしたのだらう。そんな車だって、あるんですよ。知らないだけで。
私には、自宅のガレージでちまちまと舊い車をレストアする樣な氣力も財力も土地も技術もない。
だけれども、すれ違ひ樣で、なんてこと無いスーパーの駐車場で、舊い車をみると、なんとも云へない花がある。確實に心がときめくのだ。
あの頃はいい時代だったねと、云ふだけの車業界は、いづれ何らかの形で衰退するだらう。國内では買ふ人間もだんだんゐなくなるのだから。
今の車は、殘しておいて、後世の人に自信を持って良い車だと云へるだらうか。
「夢のある車に乘りたい」
たったそれだけの事が出來ないなんて、なんて寂しい事だらうか。
さう思ひながら、今囘は筆を置かうと思ふ。