当文書は、同人誌『正かなづかひ 理論と實踐 第五號』(はなごよみ刊・2013年12月31日初版・2014年11月24日第二版・Z72-G47)に掲載された特集「国語問題文献紹介」より、紹介文の執筆者から転載許可を得た部分をHTML文書化したものです。これに際して以下の変更を行ひました。
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(2025年2月9日・コシヌケ1040)
本号では国語問題に関して出版された文献を紹介する事とした。
歴史的かなづかひの正しさを主張する立場のみならず、歴史的かなづかひを否定する立場の文献も紹介してゐる。表音主義者による日本語の「改造」を主張する文献も数多く含まれる。その中には、現在見ると異様としか思はれない主張が――或は奇怪としか感じられない表記すら――見出せる。
本誌はあくまでも歴史的かなづかひの正しさを主張する雑誌である。しかし、敢て表音主義者の主張をありのままに紹介したいと思ふ。かうした人々の手によつて、「現代表記」と呼ばれる書き方が「作られた」と云ふ事実を、読者の方々に知つていただき、その問題を考へていただきたいからである……。
六人による共著。最初は大野晋と杉森久英による、戦前戦後の国語改革の経緯の紹介に始まり、岩田麻里による漢字廃止論への反論と漢字の擁護、入沢康夫の仮名遣に関する思ひ出と「歴史的仮名づかひによる詩作に対する浅薄な批判」について、山崎正和による方言や話し言葉と書き言葉の問題について、そして最後に丸谷才一は国語改革のもたらした弊害について述べてゐる。
杉森久英は「五委員の脱退は目ざましかったが、すでに国語の破壊は九分通り完了したあとだった。半鐘が鳴ったときは、火事は燃えるだけ燃えて、あとに何も残っていなかったのである。」と書き、また文化を「破壊することは簡単だが、復旧することはむずかしい。」と述べてゐる。確かに手遅れだつたが、我々はそこから教訓を学べるだらう。(押井徳馬)
安田敏明は『国語審議会――迷走の60年』(講談社現代新書)等の著作がある近代日本言語の研究者。「国語」と云ふ事や国語改革の実態について、詳しく調査して結果を発表してゐる。本書は、戦前から戦後にかけて国語改革に大きな影響を与へた金田一京助の生涯を検討するもので、その人間性と主義・主張の問題をとりあげてゐる。アイヌ語研究、音韻論と、国語問題における主張について、多数の資料を用ゐて論じてゐるので、参考になる。
安田は、金田一京助・小泉信三/福田恆存の論争をとりあげてゐる。論争の経緯をたどつた上で、安田が下した結論は斯うである。
……。この一連の論争の実りはさほどない。しかし、この引用(福田恆存「金田一老のかなづかひ論を憐れむ」の一節)にあるように、金田一が主張する「現代かなづかい」≠「表音式かなづかい」という議論のもつ曖昧さ、「現代語音」とは誰がどう認定するか、といった曖昧さを指摘した点に論争の意義はあろうかと思う。それはこれまでも指摘してきたが、例外の多さと、規則化に際して文法や文語の知識を必要とする点に大きな欠点があるということである。
安田自身は必ずしも「現代表記」を否定する立場にはない。どちらかと言ふと現状を追認する立場にあると言へる。さう云ふ意味で本書は論争的な内容を持つものではない。が、安田には公正にも事実を眺めようと云ふ研究者の態度を持つてゐる。そのため、本書も(正漢字正かなづかひを支持する立場から見れば決して痛快と許りは言へない記述を多数含むものの)多くの示唆的な内容を含んでゐる。
思うに、金田一が音韻にもとづいてかなづかいを制定していくべきだとして、「現代かなづかい」を「歴史的かなづかい」と切断して、発話通りの音声ではなく、「現代語音」にもとづくべきだ、とした点は言語学的には正論といえるだろう。しかしながら、もとづくべき「現代語音」の概念にせよ、具体的な設定は、全国的な調査などをおこなうことなく、曖昧なままにされた。金田一の論に従えば、現代語の音声を抽象化したものが、現代語の音韻になるわけであるが、結局のところこうした、調査を経ない曖昧さのために、現代かなづかいは「発音式」とみなされたままとなったのである。このあたりが根本的な不幸であった。
国語問題に関して踏み込んだ発言をしてゐない点――どちらかと言ふと、現状を認めるやうな発言が見られる点は、不満に思はれる。が、公正に対象を論じようとして、読者に検討の材料を数多く提供しようとしてゐる点で、著者の安田は良心的な仕事をしてゐる、と言ふ事ができる。金田一春彦のセンチメンタルな回想と並行して読むと良い、ドライな内容の本である。(野嵜健秀)
昭和三十三年から三十五年にかけて発表された国語問題関連の文章、計三十八本を収録する論集。国語審議会で五委員が脱退する事件が起きる直前にまとめられたものである。国語の表音化を主張するグループと、表音化に反対するグループの意見を、発表時のまま再録。文章は発表順に並べられてゐる。版元は国語の表音化を推進する立場の出版社だが資料性は高い。
内容は多岐にわたり、様々な意見が含まれてゐるので、一言でまとめる事はできない。読み手は注意しながら批判的に読む必要がある。
ただし、非常に皮肉な話だが、本書に掲載されてゐる主張の中で、表音化を主張する人々のものは、既に殆どが古びてをり、今では敢て誰も言はうとしないものになつてしまつてゐる。表音化に反対する人々の意見を見て、反論を考へてきたからである。一方、表音化に反対する人々の意見は、今でも屢々言出されるものが多い。永遠の真理に基いてゐるからではあるが、同じ事を繰返して許りゐるため、反論のための詭辯が発達したわけである。
が、これは、国語改革を実施に移した人々の論理が今では通用しない代物である事実を示してゐる。国語改革を正当化するために現在用ゐられてゐる理論が全て後附けで設定されたものである事は、もつとはつきり認識されてよい。(野嵜健秀)
タイトル通りの回想録だが、保科孝一が文部省の臨時国語調査会に長く関与した事もあつてか、名士のエピソードが豊富である。黎明期の国語学界の様子はそれほど多く記述されてゐない。多くの人を褒め称へる手際の良さに、保科の官僚らしさを看て取る事も可能だらう。一方、上田万年を「人の短所をいちはやくさぐり出し、それをおさえて、その人を制御しようという悪い癖があった」等と手厳しく批判してゐる。ただ、その上田から保科は「しかられたり苦しめられたりしたことは、あまりなかった」と書いてゐる。
先生の永眠されたとき、あれほど先生の恩顧に浴しておりながら、顔も出さない人もあった。つまり、恐れ服していたが、心から先生の恩顧を感じていなかったからであろう。
さて本書は、鷗外がかなづかひの問題で保科に「後を託した」事を申告してゐる本でもある。「第七 国語問題と新聞社」で、大正十年六月に組織された臨時国語調査会の事を保科は語つてゐる。そこで鷗外がどのやうな態度であつたかを保科は述べる。
ところが、鷗外は十四新聞社から選出された委員の顔ぶれを見ておそれをなし、会長を容易に引き受けられなかったが、南次官が半日くどいたので、ようやく承諾された。鷗外は新聞記者が苦手で、ウッカリするとつかまって、ひどい目にあいはしまいかとおそれられたのであるが、いよいよ開いてみると、いずれもりっぱな紳士であり、国語問題に非常な熱意を有することがわかったので、鷗外会長も会を重ねるに従い、深くこれに信頼されるようになった。
それで、調査会はとりあえず漢字の制限問題から着手したが、これは新聞社がその経営上一日もはやく、漢字の制限を実行する必要に迫られていたからである。
……
かくして、常用漢字表が大正十二年六月にできあがったので、東京と大阪の二十新聞社が協同して、九月一日から常用漢字表で新聞を作ることを宣言し、着々その準備を進めたが、九月一日関東大震火災により、新聞社が焼失または破壊したので、せっかくの計画も一時中止のやむなきに至った。しかし、その後回復するに従い、漢字の制限を実行したのは、周知のとおりであるが、鷗外会長は常用漢字表の成立を見ずに、その前年七月九日病によってたおれられたのである。
臨時国語調査会に、十四新聞社の幹部を委員としたことは、非常な成功で、会を重ねるに従い鷗外会長もそれは認められたようである。その後、行政整理によってたびたび廃止されようとしたが、新聞社委員の運動によって、いつも阻止することができた。
保科と新聞業界との「癒着」はなかなか興味深いところである。閑話休題。
さきに述べたとおり、臨時国語調査会に十四新聞社の代表が、その委員にあげられることにおそれをなして、鷗外博士は会長たることに、二の足をふまれたが、南部次官の説得により、ついに応諾された。さてそれらの連中と、漢字制限の方策について、だんだん研究調査を進めてみると、いずれも至誠をもって事に当り、すこぶる熱心に努力するのを見て、鷗外博士も大いに安心し、各委員とともに常に協力された。
しかるに、博士は会長就任後わずか一年余にして、大正十一年七月九日永眠されたから、大正一二年六月に発表された常用漢字表はついに見られなかった。博士は新聞社側の要望により、まず漢字の制限から着手されたのであるが、かなづかいについては、自分には考えがあるから、しばらくあとにしてくれ、わたしに無断で着手することのないようにと要望されていたので、わたしもその命に従い、これには別に手をつけなかった。
ところが、大正十一年六月の半ばごろであったと思う。文部省にいたわたしに、至急会いたいから役所まで来てくれという電話があった。当時博士の勤めておられた役所は、虎の門にある元工部大学の跡、ちょうど現在の文部省のところにあった。わたしは取るものも取りあえずかけつけたが、博士のやせ衰えて、ありありと死相のあらわれている様子を見て、なんともいえないショックを受け、胸一杯になり、しばしものも言えなかった。
これまでたびたび書類を持ってその決裁を受け、委員会の現状を報告していたが、わずか十日ばかりお目にかからないうちに、まるで別人のようにやせ衰えられたので、「おからだがよほどお悪いのですか。」と伺うと、「ウウもうだめだ。ときに君に来てもらったのはほかでもないが、例のかなづかいの問題についてだ。かねて君に話してあるとおり、かなづかいについては、わたしに考えがあるから、あとまわしにしてくれといっていたのだが、その後よく考えてみると、これもやはりわたしの手でやるべきだと思うから、いそいでその対策を進めてくれ。かなづかいをどうするかについて、いろいろ参考になる資料を集めておいたから、これをそっくり君にやる。よく研究してみたまえ。」というおことばで、すこし意外に感じられたが、さすが鷗外博士だけあって、ただ空に考えておられたのではなく、ヨーロッパにおける綴字(セツジ)改良論(Spelling reform)に関する、多くの言語学者の意見やドイツにおけるその改良に関する各種の資料を集めて、熱心に研究を進められ、わが国でもヨーロッパにおけると同様、古典のかなづかいを現代語に適するよう改めるべきであるという結論に到達されたので、死期の迫るのを予知され、にわかにわたくしを呼んで、その意向を伝え、これまで研究のため集められた資料を、ソックリわたしに与えられたのである。これで見ると、博士のかなづかいに対する心機に、一大変化の生じたことがうかがい知られるのである。
鷗外博士が古典を大いに尊重されていたことは、周知のとおりである。しかし、博士は、古典は古典、現代語は現代語として、厳重に区別し、これを混同されるようなことはなかった。ヨーロッパの言語学者も、文部当局も、これを厳重に区別して、正字法を改正し、またこれを実行に移そうとしている。そのことは博士の集められた参考資料にも明らかであるし、ドイツにおける正字法改正の実況を見ても、ほぼわかるのである。
博士が古典かなづかいの改定には反対であることは、臨時仮名遣調査会において述べられた意見によって見ても、その一端をうかがい知ることができるが、古典のかなづかいはそのまま保存し、現代語に対しては、それに即した適正なかなづかいを制定することには、おそらく反対はされなかったろうと思う。現代かなづかいはそのまえがきに、
このかなづかいは、大体現代語音にもとづいて、現代語を書きあらわす場合の準則を示したものである。
とあって、現代の口語に適用するのがそのたてまえで、これを万葉集や源氏物語のかなづかいまでも、改めようとするのではない。もし博士が健在で、この案の制定に参加されたら、決してこの案に反対されなかったであろう。ところが、国学院の超国家的な学者の中に、博士がかなづかいの改定に反対して、憤死されたのであると言いふらしているのは、とんでもないあやまりで、博士の病死されたときは、臨時国語調査会では、もっぱら漢字制限の問題について審議中であって、かなづかいはまだ問題になっていなかった。これはむしろ博士をしいるのはなはだしいものである。
続けて保科は、「かれら一派」は大槻文彦の死を早めたのもかなづかいの改定がたたつたものと言ひふらしてゐるが、大槻は表音主義者だつたからそんな事はあり得ない、出たら目である、と書いてゐる。
そして、鷗外が古典かなづかひの改定に消極的だつたのは山縣有朋の意を迎へての事だつたのだらう、と推測して見せる。その証拠に、鷗外が保科にかなづかひ改定を命じたのは山県逝去から二箇月後の事だつた。保科は時系列を明かにして具体的に論じてゐる。確かに辻褄は合つてゐる。
が、斯うした尤もらしい推測と並べて、鷗外がそのままの形で「現代かなづかい」を認めたであらう、と思はせるやうな書きぶりをしてゐるのは、何うかと思はれる。
わたしはその遺命を奉じて、改定案の作成に着手し、大正十三年十一月脱稿して会の承認を得たのである。博士もし在世ならば、その成案の内容について、二、三の修正は加えられたかもしれないが、古典のかなづかいはそのまま保存し、現代語におけるものを改めるという方案は、異議なくこれを認められたであろうことは、深く信じて疑わない。
なるほど、鷗外もかなづかひの改定には全く反対と云ふわけではなかつた。さうした考へは、実は「假名遣意見」中に既に現れてゐたのである。鷗外は「口語の廣く用ゐられて來るやうなものを見ては之れをぽつぽつ引上げて假名遣に入れる。さう云ふやうに楫を取つて行くのが一番好い手段ではあるまいかと思ふのであります。」と言つてゐた。これを見れば、鷗外が「古典かなづかい」に固執してゐたわけではなかつた、と云ふのは、確かにその通りなのであつて、と言ふより、考へに一大変化が生じた等といつた事はなかつたわけだ。
しかし、鷗外はそれに続けて、斯う述べてゐたのである。「私は、正則と云ふこと、正しいと云ふことを認めて置きたいのであります。」斯う云ふ鷗外が、「現代かなづかい」の「規則」を、そつくりそのままの形で認められたものだらうか。
表音的仮名遣を否定した橋本進吉にも、戦後の国語改革を推進した人々は敬意を払つて見せた。本書でも保科はさうした慇懃さを忘れずに見せてゐる。鷗外に対しても、保科は同じ態度を示してゐるのである。亡くなつた人々に敬意を示しつつ、その権威を利用して、「現代かなづかい」を正当化しようとする――さうした態度を、保科らは少しもをかしいとは思はない。しかし、彼等が自分らは「御墨付」を貰つてゐるのだ、と申告する時、吾々は眉に唾をつけつつ、批判的に眺めても良いのである。(野嵜健秀)
日本語ワープロ「一太郎」や仮名漢字変換システム「ATOK」で有名なジャストシステムの雑誌、「JUST MOAI」の連載記事をまとめた本。近・現代の日本語にまつはる逸話を、豊富な図版と共に紹介する。活版印刷、写植、謄写版、和文タイプ、ワープロといつた日本語を扱ふ技術の発祥の物語や、カナ文字運動、ローマ字国字論、人工文字、漢字廃止論、横書きといつた国語国字問題についても扱ふ。現代かなづかいの話が殆ど出て来ず、漢字の話中心なのが少し物足りないものの、国語改革運動が生れた背景を知る上で非常にわかりやすい資料と言へよう。日本語のコンピュータ処理が出来なかつた時代には、漢字廃止や漢字制限を掲げてこんなに熱心に活動する人がゐた、と云ふ事に驚く現代人は多いだらう。(押井徳馬)
明治時代の終り頃に発行された歴史的かなづかひの手引書。著者・岡田正美は当時、国字の改良を強く主張した人物。しかし本書の内容は可なり合理的である。國語假字遣編(上卷)が百二十二ページ、字音假字遣編(下卷)が十六ページ。
凡例に「假字遣はもと、單に先例を示すに止まるべきものなり。」「前項にいへる先例とは著者の從ふべきオーソリティーと認めたる先例のことなり、猥なる先例のことにはあらず。」とある。
岡田は明治二十八年、『帝國文學』に「漢字全廢を論して國文國語國字の將來に及ふ」を發表し、漢字全廢の手順を述べて「法令の力を借りて」「之を使用するを禁止し」等と書いたと云ふ話である。明治三十二年、帝國教育會「國字改良部」に所属。明治三十五年、國語調査委員會の補助委員になつてゐる。(野嵜健秀)
本書は「國民教育」誌に連載された随筆をまとめた随筆集である。収録された随筆は、国語教育の方法について論じた「先生方へ」、家庭教育について述べた「おかあ樣方へ」、子供向けの創作「小さな人たちへ」、その他の随筆をまとめた「くさぐさの話」の四つの章に大きく分けられてゐる。著者は国文学者で当時の文部省圖書監修官。朗読運動国定教科書「ヨミカタ」「コトバノオケイコ」の朗読をレコードに吹込むエピソードが出てくる。
「先生方へ」の章に含まれる随筆「國語教育の建設」で、国語問題にも触れてゐる。当時の国語教育は、従来の「讀方・綴方・書方」の三本立から「讀み方・綴り方・書き方・話し方(聽き方)」の四本立に変り、音声言語の指導にも力が入れられるやうになつた。その点、教材の作り方にも変化が生じてゐる。当時の教科書の性質として「軍国主義的色彩が濃い」と、思想的な側面からのみ屢々語られるが、「正しい日常的なことばで表現されること」が重視されてゐた事は注目されて良い。
一方、当時の教科書の漢字数に触れて、著者は述べてゐる。
……。尋常小學國語讀本卷十二までの漢字數は約千三百六十字足らずである。この範圍の漢字は、われわれが、國語の正敍法を、平がなに漢字をまじへて書く體を正統なものとし、かな・漢字を認める以上は、少くとも尋常小學國語讀本の漢字數に近きを要すると豫測されてゐた。然るに今囘の國語審議會の答申案の漢字數とは、相當の距離がある。然し、國民學教育の實際に當つては、現行國語讀本そのままを忠實に教授すべきである。それに對して一點の疑惑を插しはさむべきではない。飽くまでもかな漢字交り文を以て正書法なりと認めるわれわれは、漢字廢止などといふ意圖を毛頭有するものではない。
この記述が本書に収録され、公刊されてわづか三年後、文部省は将来の漢字の廃止を前提とした「當用漢字」「現代かなづかい」を公表する。しかし、戦争に負ける前、文部省で教科書を作つてゐた人々の中には、漢字かな交り文が正書法である、と認識してゐた人がゐた。
なほ、字音假名遣について、著者は以下のやうに述べてゐる。
……。低學年の兒童が將來漢字を習得すると同時に、その必要性を喪失する字音かなづかひは、兒童に強要すべきものではない。國語かなづかひはいかにしても力を盡して、それが獲得に指導上大いなる努力を拂ふべきはもちろんであるが、字音かなづかひの場合は、指導上の手加減を要する問題として考へて來た。……。
著者は「これからの國語」で、自分は「極端な傳統主義者」でも「極端な實用主義的な便利主義をとるもの」でもない、「中庸」をとる立場である、と述べてゐる。即ち、「かなづかひの中には隨分繁雜なものがあるから、それを國語の傳統なり、國語の構造なりをこはさない程度に於て、統一して行くことはたいさう結構だ」と云ふ主張を支持する立場である。「字音かなづかひの特定なもの」(「太平洋」を「たいへいやう」と書くやうな場合)については表音的に(「たいへいよう」と)書いてもいいとする考へ方があるが、「この問題はも少し檢討してみる必要があると思つてゐ」る、しかし、「國語かなづかひまで、表音的にしてしまふといふ説には、私は全然賛成しかねるやうに思ひます。」と言つてゐる。(野嵜健秀)
著者のタカクラ・テルは日本共産党員で、特に国語国字改革の推進を主張した人物として知られる。戦後の日本共産党はタカクラ氏の指導下にあつて、ながらく特異な表記を用ゐてゐた。「赤旗」が一時期まで「アカハタ」と表記されてゐたのはそのため。
助詞の「は」「へ」「を」までも「わ」「え」「お」と書く。長音は「ー」で統一。固有名詞は全てカタカナ表記とする。蔵原惟人も苦言を呈したほど急進的だつたが、独自の理論に基く、それなりに筋の通つた書き方ではあつた。
理論的にはマルクス主義に拠つてをり、言葉の大衆化を名目として「復古的」な従来の日本語表記に反対する、と云ふものだつた。(野嵜健秀)
基本的には制定されたばかりの「当用漢字」と「現代かなづかい」の一覧表である。「あて字その他のかなで書くべきものについて」「当用漢字以外の漢字のつかわれている漢語の言いかえについて」「現代かなづかい早わかり」といつた説明も含む。
ミタカ國語研究所は山本有三が戦後に創設した民間の団体。所長に迎へられた安藤正次が本書の「まえがき」を書いてゐる。
明治の初年以來の懸案であった漢字の問題、かなづかいの問題が、このたびこそは、いよいよほんとうに解決されようとしている。これは、わが國語の純正な発達のためにも、新生日本の多事多難な時代に直面している國民のためにも、まことによろこばしいことである。
しかし、今回発表の「当用漢字表」にせよ、「現代かなづかい」にせよ、いずれも大体の準拠を示したものに過ぎない。したがってこれを実際生活に具現しようとする國民一般のためには、さらにその手引きとなるべきものが必要になってくる。本書は、とりあえずその要求に應じるために編まれたものである。しかし、もともとすみやかな普及を目ざし、簡潔をむねとして、短時日の間に作られたのであるから、意をつくさない点も多々あろうと思う。そこは使用者各位の活用にまちたい。この仕事にあたったのは、当研究所の同人、安藤正次・小林英夫・高橋健二・西尾實・湯澤幸吉郎の五名である。
なお、本書の編修刊行については、文部省の有光次郎氏・釘本久春氏、国語審議会関係の諸氏、当研究所の山本有三氏、三省堂の平井四郎氏などのお力ぞえに負うところが多い。ここにあつくお礼を申し上げる。
冒頭の言葉から解るやうに、国語改革の推進派の人々にとつて、「当用漢字」と「現代かなづかい」の制定は彼等が正しいと信ずる或種の書き方を国民に普及せしめる絶好の機会であつた。そして、これで国語問題は解決される、と彼等は信じたのだつた。
安藤は「「当用漢字」と「現代かなづかい」」で、国語改革について解説してゐる。「当用漢字」について説明して、以下のやうに述べてゐる。
当用漢字表は、そのまえがきにもある通り、法令・公用文書・新聞・雑誌、その他、すべて一般社会で使用する漢字の範囲を示したものである。当用漢字というのは、さしあたってわれわれ国民のつかう漢字の義である。
漢字の制限に関しては、これが明治の初年以來の懸案であるだけに、いろいろの意見や試案が世に出ている。しかし、そのいずれをみても、はっきり、取捨の客観的標準を示し得たものはないといってよい。制限の一線は容易にひけない。ひけないのがむしろ当然であろう。理論にかたよっていては実行がむずかしくなる。実行に重きをおくと理論がくずれてくる。当用漢字表一千八百五十字の漢字の選定も、これが一字も動かすことのできないものとは言いきれないし、また、その取捨が國民感情や社会情勢のために左右されたことのあることも否定しがたい。しかし、それも今日の國民生活の上で、漢字の制限があまり無理がなく行われることを念願したためであることは、確言することができる。
当用漢字の選定にあたって、はっきりした客観的標準をきめることができにくいのは、一つのなやみではあるが、それは何とかきりぬけられる。また、別の難関とみられるものに、國家の法令や官廳・会社などの文書に用いられる專門語・慣用語の漢字、自然科学や人文科学などの学術用語の漢字をどうするかの問題がある。これらのうちには、普通に用いられない漢字が少くないし、また容易にあらためられないものもあるからである。しかし、これらの場合のものも、関係當局なり当事者なりの理解と英斷とによって、何らかの処理解決の道がひらけるであろう。
……。
安藤は、国語改革に様々な問題がある事、特に、理論的な一貫が困難である事を指摘してゐる。それに対して、理論的には妥協してでも国語改革は実施するのが大事である、と安藤は述べてゐる。「そこはバランスが大事なのだ」と云ふ教訓を引出して、読者=国民を納得せしめようと云ふわけだ。そして、国語改革そのものに無理がある、と云ふ考へ方をせず、さらに国語改革を進めればそのうち解決の道が見出せるだらう、と云ふ楽観的な見方をしてゐる事に注意を促したい。解決には関係者・国民の「協力」を要請する、と言つてゐるが、実質的な強要である。協力がなければ改革は失敗する、改革の失敗は許されない、と言つてゐるのだから、協力しない人間は社会的に許されない、と言つてゐるわけだ。この辺、改革の実施者・推進者が必ず用ゐる論法である。
「現代かなづかい」の説明では、次のやうに述べてゐる。
現代の語音にもとづいてことばを書くということは、「現代かなづかい」の性格を規定する要件の一つである。かなづかいの準則のよりどころを古にもとめるか、今にもとめるかは、明治の初年このかた、かなづかい問題に関する論議のわかれ道となって來ているが、「現代かなづかい」は、準則のよりどころを今にもとめるのを、そのたてまえとしている。
今までのかなづかいが、なぜ、一般社会に権威をもち得なかったかというに、要するにそれが國民の言語生活と遊離していたからである。一千年も前の書記習慣、しかもそれは、久しきにわたって古典の世界のものでしかなかったものを、現代口語の上にうえつけようとしても、それは労して效のないばかりでなく、ほんとに不合理でもある。われわれは、その本質からみても、その歴史からみても、現代口語のかなづかいの準則は、そのよりどころを今にもとめるべきものと信ずる。
……。
現実問題として、「今」なる基準は、地域や職種、或は個人個人によつて差異があり、一概に決定する事はできない。だから不安定な基準であるわけで、さう云ふ「基準」にもとづいて表記を決めようと言ふのは無理があるわけだが、「無理でもやらねばならぬ」と信じた改革の実施者・推進者には無理を通す必要があつた。そこで「今の人間に古典は縁がない」と極附ける論法をとつたわけだ。しかし、当然の結果として、現代表記は今の人間をさらに古典から遠ざける事となつた。ところがそれを改革の実施者・推進者は認めない。無理に無理を重ねて、改革の正当性を主張する。結果、彼等の論理は破綻してゐるのであるが、しかし、彼等は「それでもこのような形にしなければ、改革は不可能だった」と言ふ。
無理だから改革を行なはない、と云ふ選択は、彼等にはなかつた。「当用漢字」「現代かなづかい」実施以来の「手引き」で、彼等は必ず改革の正当性を訴へてゐる。それは、今に至るまで全く変らない。裏を返せば、今でも国語改革の実行者には後ろめたさが残つてゐるのである。(野嵜健秀)
著者の永野賢は昭和二十四年から国立国語研究所に勤務。山本有三の研究者としても知られる。
本書は中学生向けに書かれた日本語の啓蒙書である。「ことばのはたらき」を述べた最初の部はまづまづ無難な内容である。しかし、「日本語の歴史」の解説の辺から様子がをかしくなつてくる。
「漢文が輸入されてから今日のような漢字かなまじりができあがるまで」の流れを述べて、漢文、変体漢文、宣命書き、万葉がな文、かな文、片かな文、和漢混淆文、普通文、現代文、と列挙してゐるが、続けてローマ字について述べてゐる。このローマ字文の説明は2ページに亙り、えらく力が入つてゐる(かな文、片かな文ですら1ページ弱、ほかは半ページに満たない)。
次の説明は「かなづかいと発音」で、この見出しを見ただけでも著者・永野の狙ひがはつきり見て取れる。実際の解説も見てみよう。
歴史的かなづかいは、「思ふ」と書いて、「オ・モ・ウ」と読みます。「やうな」と書いて、「ヨ・オ・ナ」と読みます。つまり、発音とかなが合っていないのです。
発音とかなが合っていないのですから、実は、読むのにも書くのにも、ずいぶん不便でした。覚えてしまえば、あとは習慣になりますが、覚えるまでが、大変な苦労でした。それに比べると、現代かなづかいは、発音とかなの合わないものもいくらかはありますが、だいたい一致していますので、歴史的かなづかいよりも、ずっと覚えやすいのです。
例示をよく見れば、「ような」と書いて「ヨ・オ・ナ」と読む「現代かなづかい」の矛盾も明かなのであるが、著者は「だいたい一致してい」る、と結論を述べ、読み手(の中学生)の判断を奪ふ。
続けて、永野は書いてゐる。
現代かなづかいが制定されるまでは、公用文も新聞も雑誌も教科書も、すべて歴史的かなづかいで書かれていたのですが、いったいなぜ、発音とかなとの合わないものを使っていたのでしょうか。
歴史的かなづかいというのは、ざっと千年前のことばの発音を表わした書き方なのです。そのころは、発音とかながちゃんと合っていたのです。それが、時代とともに発音が変わったのに、書き方のほうは、それに合わせて変えられなかったために、発音とかなが食いちがってしまったのです。それを、現代のことばの発音に合うように改めたのが、「現代かなづかい」なのです。
斯うした説明は、今では「常識」として定着してしまつてゐる。永野らの宣伝・「洗脳」が效力を発揮したのである。
永野は引続き、「日本語における発音とかなづかいの歴史のあらまし」を説明してゐる。ここでは、定家仮名遣について『誤りが少なくないばかりでなく、秘密伝授によって少数の人に受けつがれたにすぎませんでした。ですから、中世の人びとは、今日いわゆる「歴史的かなづかい」と同じかなづかいを守っていたとはいえないわけです。歴史的かなづかいという見地からみれば、まちがいの多いかなづかいで文章を書いていたといわなければなりません。』と述べ、契冲のかなづかひについても「しかし、そうはいっても、古典と同じかなづかいを厳密に守って文章を書くことのできたのは、一部の限られた学者だけであって、一般の人びとは、自分流の発音にもとづいたかなづかいで書いておりました」と言つてゐる。
これによってあきらかなことは、「歴史的かなづかい」というものは、昭和二十一年に「現代かなづかい」が制定される以前、有史以来一貫して使われてきたものではない、ということです。いわゆる「歴史的かなづかい」は、平安時代中期という限られた一時期――「源氏物語」を頂点とする、かな文学の栄えた時代――の発音に即したかなづかいであって、それ以前、あるいは、それ以後の時代は、発音の点でも、かなづかいの点でも、いろいろちがっていたのです。そういう平安中期のかなづかいが、明治になってから学校教育に取り入れられるようになって初めて、一般の人びとのあいだに復活するようになったものなのです。世間には、「歴史的かなづかい」というものは、有史以来、一貫して変わらないもののように思いこんでいる人が少なからずありますが、それは、正しい日本語の歴史を知らない人だと言わなければなりません。
典型的な「歴史的かなづかひ非存在論」である。現在も永野と同じやうな説明をして「歴史的かなづかいは明治より前には存在しなかった」と主張する人が後を絶たない。もちろん、歴史的かなづかひは理念・理想として常に存在したのであり、現実には誤・混乱が見られただけである。永野らは目に見えない理念を徹底して無視し、目に見える事実のみを現実として報告する事で、読み手の判断を誘導するのである。
しかし、事実の話としてはまだ斯うした説明も認められる。問題は、理念の話で噓を吐いてゐる事である。永野は次のやうに言つてゐる。
日本語の歴史の教えるところは、わが国では、発音とかなは、常に、一致しよう、一致しよう、という方向を取ってきた、ということだと言ってもさしつかえないでしょう。
そんな歴史はない。火を見るよりも明かな虚偽だが、永野は相手が中学生と云ふ事で、平然と噓を吐いて、読み手を欺すのである。ここから、永野は「現代の発音に基づいて決めた「現代かなづかい」には、発音とかなの一致という点では、問題が残されておりますが、方向としては、正しいと言わなければなりますまい」と結論付ける。「方向としては」と云ふ言ひ方をしなければならない時点でをかしいのだが、永野は気にしない。斯うした説明に接し、その詭弁に屈した中学生の精神・頭脳が悪影響を受ける事は確実である。
「日本語の種々相」の章は、「長所とか短所とかいうことを離れて、日本語の特徴というような面」を扱つてゐるので、比的穏当である。方言に対する標準語の意義を説いたり、一般人にわからない職業的な専門語をとがめてもつぱらやさしいことばを使ふやう勧めたり、と怪しい記述はところどころにあるが、あからさまな噓はないと言へる。敬語の説明では、国語審議会の「これからの敬語」に従つて男女の差を肯定したり、「敬語の正しい使い方ができるということは、社会人としての不可欠の要件で」あると述べたりしてゐる。
「これからの日本語」の章は非道いの一言に尽きる。永野は、国字改良の運動に「長い歴史」がある事を強調し、その合理性を訴へる。
ところで、漢字制限の問題にしても、かなづかい改定や言文一致の問題にしても、国語の不合理な点を合理的に改良しようということにほかなりません。これらを一括して、「国語国字問題」というのです。
ところで、そういう合理的な考え方に対して、実は、たくさんの反対論があったのです。漢字制限の問題に対しても、かなづかい改定問題や言文一致の問題に対しても、多くの反対がとなえられました。ことばや文字は、人為的に改めるべきではない、自然にまかせるべきだというのです。現在でも、ずいぶん根強い反対論をもっている人もあります。
けれども、ことばや文字というものは、わたしたちがお互いのあいだで、考えや気もちを伝えあう手段です。いわば、道具です。手段や道具は、わたしたちの生活を高めるために存在しているのです。不便になったのなら、便利なように改めればよいはずです。
……
戦後、憲法をはじめとする法律文公用文の口語化によって、「言文一致」は一応、あらゆる領域にわたって成功をおさめ、また、「当用漢字」「現代かなづかい」の制定によって、「漢字制限」「かなづかい改定」の問題は、いちおう、解決を見たわけです。国字改良に対する少なからぬ反対論にとうとう打ちかったのです。
この著者の書きぶり、喜色満面である事が見事に伝はつてくる。あまりの露骨さにあきれて物も言へない。しかし、この言ひ方では、騙される読者も多かつたらうと推測されるのである。
同じ章に、「ことばの生活の機械化」と云ふ文章が入つてゐる。印刷機、タイプライタ、モノタイプ、テレタイプの説明である。永野は以下のやうに結論を述べてゐる。
しかし、戦後、ついに漢字式のテレタイプが完成しました。穴のあき方の種類をふやし、また、漢字をできるだけ少なくすることによって、両方から歩みよった形で、しかも、機械の装置を小さくするようにしたのです。そして、そのためには、当用漢字という漢字制限の基準が一応立てられていることが、大いに幸いしたのでした。
当用漢字のことといえば、日本式のタイプライターの活字盤を、当用漢字と諸符号だけにしたタイプライターも出現し、かなり普及しているようです。
以上のように、文字の印刷と通信とに関する進歩した機械を駆使するためには、漢字の数はできるだけ少ないほうがよい、ということが、すべてを通じていえるのです。タッチ式タイプライターなどのばあいは、漢字全廃が最も理想的です。いや、かなもじ専用でなければ、タッチ式はできません。
……
機械の発達が、人間のことばや文字の生活を便利にする、そして、それが望ましいものであれば、ことばや文字のほうを、できるだけそれに合うように、簡略にしうるものは簡略にし、廃止しうるものは廃止することによって、ことばの生活を高めてゆきたいものであります。
国語改良論者が一時の勝利を誇つたのも束の間、ITの進歩は、彼等の考へが誤つてゐた事を早々に証明してしまつた。現在のPC、インターネットでは、既に数万字の文字が扱へるやうになつてゐる。ここまで機械が発達する事を見通せず、開発途上の機械のために言語の簡略化を国策として推進した国語政策の担当者らは、機械の進歩を信じてゐなかつたのである。今や十分に従来の文字を扱へるやうになつた機械を呪つて、漢字制限のために機械の性能を制限しようと考へる国語改良論者すら存在するさうである。
永野は、以下のやうに、弁明と説教を試みてゐた。
ここで、念のために注意しておきたいのですが、漢字の数を減らすとか、かなづかいをやさしくするとかいっても、それは骨を折ることをきらってそうするのではない、ということです。ただ、むだな骨折りはする必要がないというのにすぎません。ですから、むだな骨折りをしない代わりに、節約したエネルギーを、ほかの学習に振り向けるようにすることは、大切な心がまえです。
これは本当にただの言ひわけに過ぎない。大体、言葉を学ぶのに、「むだな骨折り」などと言ふのはをかしいのである。言葉を叮嚀に扱ふ事から学問の訓練は始まる。さう考へると、漢字制限だの国語改良だのと云ふのが壮大な無駄であつたわけである。
著者の永野は、インターネット時代が到来した西暦二千年の秋に亡くなつてゐる。『山本有三正伝』は未完に終つた。(野嵜健秀)
「はしがき」に以下のやうな記述がある。
この本は、言語学の本でもなければ、国語学・文字学の本でもありません。わたしたちの暮しについて、考えたい事を書きおろしたものです。
福田恒存氏が最近、こんなことを書きました。
国語政策を論ずるのに、「言語学的な、あるいは国語的な知識がないことは、それ自身たいした弱味ではなく、それを弱味と感じるところにおおきな弱味がある。……私たちは、単なる知識に敬意を表してはならない。」《「読売新聞」昭和三十三年四月十四日夕刊》
わたくしは手を打って喜びました。いまは、まったく、わたしたち、みんなが、暮しの中からコトバや文字のことをとり出して話し合うべきときだと。もちろん、わたくしは、氏のような「文化感覚や哲学」の持主ではありませんけれども。
略歴によれば鬼頭礼蔵は「学生のときから、言語改革のシゴトにこころざし」をいだいたとの事で、本書の他に『ローマ字教え方早わかり』『ローマ字学習指導案』の著作がある由。
本書は鬼頭の信念・思想を表明した著作で、戦後の「言語改革」を推進するための「啓蒙書」である。内容は表音主義の立場から日本の言語生活・言語政策のありやうと進むべき方向を示したもので、特に變つたものではない。
鬼頭は「日本人の読み書き能力」調査を析してゐる。
〔編註:転載省略。138〜152ページ目〕
「日本人の読み書き能力」調査は、読み書き能力調査委員会(のちの国立教育研究所)が連合軍司令部民間情報教育部の協力を得て、全国の市町村二百七十地点で、十五歳から六十四歳までの日本人男女二万一千八人を対象に行つたものである。単なる「文字をどれだけ知つてゐるか」の調査ではなく、「正常な社会生活を営むのに、どうしても必要な文字言語を理解する能力=リテラシ」の調査であるとされてゐる。この調査で六十点以上を得た者は七八・七%、七十点以上は六八・九%、八十点以上は四九・一%、九十点(満点)は四・四%である。この結果から、以下の結論が引出されてゐる。
満点(つまり、生活するためギリギリ必要な読み書きの力を持つ者)は、四・四%であり、不注意によるあやまりを見込んでも、六・二%にすぎない。
つまり、「リテラシ」を有すると認められた日本人は六・二%程度である、と云ふ結論である。(著者の結論ではなく、調査委員会の報告に見られる結論である)
完全文盲(かなさへも書けない=まったく一文字も書けない+なにか書いたけれども正しい答はひとつもない)は一・七%、不完全盲(かなはどうにか読み書きできるが、漢字がまったく読み書きできない)は〇・四%(『国語学辞典』には二・一%とある)である。
ここから、日本人は「漢字の書き取りができない」「文・段落の理解がよくできない」と云ふ結論を鬼頭は引出してゐる。そして鬼頭は「だから、日本語をもっとやさしく、漢字を減らしていかなければならない」と結論する。「漢字をもっとシッカリ教え」よとの主張に対しては、「その結果はまた、国民の批判力・独創力や文章の理解力を犠牲に」する事になる、「ファシズムの地盤を固めることにな」る、との見解を示してゐる。
この調査報告について、鬼頭は「わたしたちは、この(調査で出題された)問題がむずかしいの、やさしいのと議論にヒマをつぶす『学者』ではありません」と言つてゐる。
ただ、いまの憲法をはじめ、国の制度は、この問題の読み書きよりは、ズット高い程度の力がないと、うまく運べないようになっているのですから、教育がそのような力をつけているか、どうかを本気で考えなければならないと信ずるのです。
なるほど。言つてゐる事は「正論」である。もつとも、このやうな発想をもとに二十一世紀に生きる日本人を評価してみたら、依然として「リテラシを有していない」と云ふ結論が引出されるのでないかと思はれる。この「リテラシ」と言ふものは、文字を使ふ能力と言つても、拡大解釈が過ぎるやうである。それは思想や教養に関する能力である。文字が問題なのではなく、教育が問題であるとは、報告書の結論も示唆してはゐるのだが、文字が原因であるかのやうに表面的には繕はれてゐる。言語改革に目が眩んだ人々が自分達の目的達成のため、強引に解釈を歪めたらしい。
★
本書の巻末に、当時出てゐた「コトバや文字の本」のリストが掲載されてゐる。資料性が高いので転載しておく。(野嵜健秀)
〔編註:転載省略。342〜349ページ目〕
言語学的なエッセイを集めたものだが、戦争中の出版物であり、時局的な話題が多い本である。
表題になつてゐる巻頭の文章「言靈をめぐりて」は、冒頭を除いて「日本語――起源と其の成長――」等と同じく純然たる言語学の解説で、言靈を論じたのもカムフラージュらしい。比較的穏健な印象の説明が続くが、「音聲」と区別して「音韻」の観念を強調してゐる事には注目しておいていい。
茲に於て、吾々は始めて言語の定義を下し得るのだ。言語は、音韻を形式とし、意義を内容として社會的に成立してゐる符號の體系である。
この本で金田一は音韻を用ゐる表記の方法を提唱してゐないが、のちに「現代かなづかい」を正当化する際、屢々「音韻」なる用語を振回すやうになる。金田一にとつて便利に使へる概念であつたらしい。
「大東亞新秩序の建設と新國語學」は山田文法を援用した単語の分類に関する考察で、橋本文法の解説である。
「大東亞共栄圈と國語の問題」は「文化戰」の話だが、占領地に日本語をどうやつて普及させて行くか、を論じてゐる。短い文章だが、現代の国語を「亂雜」と見るべきでない、「國語のこの状態は、だまつて長い目で見守つてゐてよいのである」、「音標文字主義者は、耳に聞くとほりを書記すべきものときめてかゝつてゐるのである。そこに先づ第一歩の誤謬がある」、等と言つてゐる。
漢字交りのこの書記法は、先進國に類がないから野蠻に見えたまでで、書記法それ自身決してローマ字書きの方法の会に立つものでは必ずしも無い。或點では寧ろ、極めて便利な、極めて巧妙な書記法だとさへ云へるのである。
のちの金田一の主張から見れば相当に穏当な内容の発言である。
しかし、さすがに金田一らしく、怪しげな主張が続く。
尤も世上には『尋常小學校』を假名で書くことが出來なくつても、實際上には、常に漢字のみで書くから、差支が無い。その樣に、字音假名遣は、平生知らなくつても少しも差支がないから、困難をしてこれを覺え切らなくともよい、といふ論がある。併し、若し聞かれたら、何と答へるのか。覺え切らずに日常濟んでゐるのは、たまたま免れて耻無きものである。若し教習中、東洋・蝶々・明朝の類の讀みを教へて、學ぶものが、記憶の爲めにノートを取つて、振假名を施さうとして、トウかタウか、ヨウかヤウか、等々聞き返して來たら、何とするのか。免れ得て耻の無かつたものも、一度に權威を失墜させてしまはなければならない。
この脅迫じみた言ひ方が、金田一の特徴である。このパターンの言ひ方は、字音假名遣の議論で未だに生殘つてゐる。
現在、言語学者の重鎭として認識されてゐる金田一京助であるが、言語学そのものへの貢献は案外少く、「新知識の紹介者」の域を出ない。現在は、アイヌ語の調査や国語辞書への名義貸し、そして子孫に言語学者を輩出した事で記憶されてゐるだけである。
時局迎合的である事が指摘され、実際、その言葉には言質を取られぬ爲の曖昧さと猾さが随所に見て取れる。戦時中までは軍国主義的な空気に逆らはない態度を堅持しながら、敗戦とともに「日本語の民主化」を主張する立場に転身し、戦後の国語政策を擁護する改革支持者となつた。福田恆存との論争では、相手の年齢が自分の息子と同じと分かつた途端、急に態度を変へた。(野嵜健秀)
息子の金田一春彦がの金田一京助について回想してゐる本。京助の人間性や言動について具体的に書いてゐる文章が多い。京助の性格はさまざまな場面で出て、春彦はなつかしさうに綴つてゐるが、軽薄なところは遺伝したやうだ。(京助の「性癖」として春彦は「八方美人的処世法」を指摘してゐる)
京助はもと国文科志望で、先輩の示唆に従つて(国文科の先生が良くないと吹込まれた由)言語学科に入つた。言語学科では新村出に学び、橋本進吉といつた学友から強い影響を受けたが、周囲にさうした「純粋に客観的に物を見ることができる、理性的な学者がい」たのは幸だつた。その後、他にやる人がゐなかつたのでアイヌ語をやる事になつたが、文学趣味が強く出て、ユーカラ研究に基く博士論文は文学だと評されたと云ふ。
国語問題がらみでは、有名な金田一・福田論争への言及がある。
……。
それらは、強い感情の裏付けをもっていたので、言葉に表すときには、激しい語調を伴った。感情が裏付けになっているだけに、冷静にすきをつかれて反論されると、たわいなかった。昭和三十一年だったか、『中央公論』誌上で、福田恆存氏とやりあって衆目を集めた仮名遣い論争の時など、その例である。しかし、その信念は、時に身の危難をも忘れさせることもあった。
この論争は、小泉信三が書いた「日本語」(「文藝春秋」昭和二十八年二月号掲載)を発端とし、金田一京助「現代仮名遣論――小泉信三先生にたてまつる」(「中央公論」昭和二十八年四月)、福田恆存「『國語改良論』に再考をうながす」(「知性」昭和三十年十月)、京助「かなづかい問題について」(「知性」昭和三十年十二月)、福田「再び国語改良論についての私の意見(のち「再び『國語改良論』に猛省をうながす」と改題)」(「知性」昭和三十一年二月)、京助「福田恆存氏のかなづかい論を笑う」(「中央公論」昭和三十一年五月)、福田「金田一老のかなづかひ論を憐む」(「知性」昭和三十一年七、八月)と展開した。この間、京助は大久保忠利に送つた私信で憤懣をぶちまけつつ「論戦の終結を宣言」してゐる。春彦は京助の側に理がなかつた事を認めてゐるわけだ。
京助の性質から言つて時枝誠記の説はだいぶ気に入らなかつたらしい。
……。父の残した本を見ると、さかんに鉛筆で線を引いたり、点を打ったりしてある。中には意見を書き加えてあるものもある。時枝誠記博士の『国語学原論』などは、至るところ気に入らなかったようで、
「ソレハ君ノ興味ヲ持ツ言語学ダ(一三ページ)」とか
「単ナル寄セ集メニアラズ、キチントシタ体系ダ(一六ページ)」
というようなことが、勢いのいい字で書きこまれている。
橋本進吉の説と時枝誠記の説とでは大きく性質が異る。橋本からおそらくソシュールの言語学の影響を受けたであらう京助に時枝説は受容れ難いものであつた事は想像される。しかし、橋本にソシュールと異る発想もあつたであらう事は、時枝も指摘する通り、考へて良いのである。(野嵜健秀)
熊沢龍は国語審議会委員。全日本国語教育学会理事長も務めた。
本書は「はしがき」によれば「言語理論の解説」との由。前半は一般的な言語学の講釈である。「言語学」は概論。「言語―その本質と機能―」は、言語とは何か(言語の本質)を検討した文章で、国語教育についても触れてゐる。
正しい国語素養を身につけさせることが、国語教育のもくてきだといったが、国語教育の射程はそこにとどまるものではない。共通の語意味や共通の文意味を思い浮かべることができるということは、単にことばが通じ合うというだけのことである。真に話の意味がわかるということは、相手の立場に立ってものを考えることである。……
後半エッセイ的な文章を集めてある。吉田茂の「バカヤロー解散」に触発されて書いたと云ふ「わるいことばの分析」、熊沢の言語観を示した「ことばと文字」、言語学の扱ふ対象を説いた「言語の形式と心理」、時枝誠記の言語過程説に関する論説「言語行動と意味」を収める。
このうち「ことばと文字」は国語・国字問題を論じた文章である。
ことばはわかりやすく、使うのにも学習するのにも便利なほうがよい、というのが国語問題に進歩的な立場に立つ人の意見であります。これに対し、ことばをわかりやすくさえすればよいという便利主義は、ことばを道具視するもので、国語に対する侮辱である、こういうような意見や感情をいだくのが、国語問題において保守的な立場をとる人たちであります。
そこできょうはことばは道具であるか道具でないかということについて、言語理論の上から述べてみようと思います。
熊沢は斯う書き起こし、ことばが記号である事、戦時中「聖戦」のやうな言葉が用ゐられた事を示しながら、言葉の働き(「ことばのはたらきはいろいろありますが、その中でいちばんたいせつなのは、人と人が協力するための通信であります」)や道具の重要性(「人間は道具を使うからこそ、他の動物とちがったものになっているのであります」)を述べる。が、一往、次のやうに熊沢は結論づけてゐる。
このようにみて参りますと、ことばは一般の道具とはちがうといわなければなりません。道具は一般に人間の外にあって、人間の使用を待っている有形のものであるのに対し、ことばは人間の中にあって、人間の使用を待っている無形のものであります。道具はよりよいものにかえることは容易でありますが、ことばはその人の過去の体験と固く結びついておりますから、これと絶縁して新しいものにかえるということは非常な苦痛であり、ある意味ではその人の生まれ変わることを意味します。漢語を多く使用し、漢語的な書物によって教養を積んできた古い世代の人たちに、漢語を捨てろということは、漢語的な思考、漢語的な感じ方を改めよということを意味するのであります。こういう人たちが、国語問題において進歩的な意見をはく人たちに怒りを感ずるのは、根拠があるので、それは深くことばの本質に根ざしているのであります。
一面、尤もらしく、公正にも見える結論だが、「古い世代の人」に限定した分析と云ふ形を取つてゐる点で、問題がある。熊沢は次のやうにも述べてゐる。
国語問題を考える人の中で、ごく少数ではありますが、日本語を捨てて英語やフランス語にかえようとする意見を持つ人があります。これは民族の伝統を捨てるということ、もっと激しくいうなら他の民族に変われということを意味するのです。多くの日本人にたえ得ることではないと思います。
熊沢は、保守的な意見、急進的な意見、ともに否定してみせる事で、自分の穏当かつ公正な立場をアピールする。しかし、果して彼の立場は、中庸を得たものか。
音韻だけを考えてみましても、いまの音韻は昔のものとくらべると相当の変化を示しております。たとえばハ行の音を私たちはハヒフヘホと発音しますが、以前はファフフィフフェフホと唇を合わせた発音をしておったのであり、もっとさかのぼればパピプペポであったろうといわれます。いまでも沖繩の諸島には、墓をパカという島があり、ファカという島があり、同時にわたしたちと同じようにハカという島があります。木の葉もパー、ファー、パー、のような発音が島々にそれぞれ残っておるのであります。また上海のハイに見えるように海という文字の発音は中国では hai であるのに日本では、 kai と発音されます。また「漢口」のごとく、「漢文」の漢は中国では han であるのに日本では kan と発音されます。このことは昔の日本人にhの音の発音習慣がなかったこと、したがって、ハ行音をいまのわたしたちのようにハヒフヘホと発音していなかったことを証明しています。このほかいろいろの根拠からハ行の子音がP音F音H音と変わってきたことは学界の大勢が認めておるところであります。
タ行の音がいまのタチツテトとちがっていたであろうこと、母音がいまのとは別にieoの変種があったであろうことなども学界の定説であります。また撥音・促音・拗音なども中国の音を学んでから発生したものであることも証明されています。
このように、音韻の変化がいちじるしいにもかかわらず、文字のほうはそれほど変化していません。ハ行の音がどう変化しようとも、ハ行の文字は以前としてもとの文字であります。また、新しい音が発生しても、すぐそれに応じた新しい文字が生まれては来ないのであります。撥音が発生してからも、これをあらわす新しい文字が生まれるまでには相当の年月を要したのであって、それまではこの音を他の文字「う」などで現わしたり、また全然文字をあてずにいたりしていたのであります。こういうところから考えますと、学問の力で発見できない昔の音の姿は、わたしたちにまだ容易にその全容を見せてはくれません。文字をたどってわたしたちが昔の文献を読む場合、昔の人のような発音で読むということは、国語学や国文学の大家でも、なかなかできることではないのであります。
音韻が変わると同時に、文法も変わって参ります。「栄える」という語はもとはヤ行の下二段活用「栄ゆ」であり、「植ゑる」という語はもとはワ行の下二段活用「植う」でありましたが、いまはどちらも下一段活用であります。そしてヤ行のエもワ行のエも今は同じように発音されます。そこで、現代かなづかいでいけば同じ表記になってしまうのであります。歴史的かなづかいで行けばヤ行活用の語とワ行活用の語とは、文字の上では区別ができるわけです。また、四段活用の語は、未然形が「読まむ」「書かむ」というようにア列の音から未来の助動詞につながるのでありますが、いまの発音にしたがえば「読もう」「書こう」というようにオ列の音から未来の助動詞につながるので五段活用となっています。しかし、これも歴史的かなつかいに従えば、依然として四段活用であります。
このように歴史的かなづかいによれば、もとの語といまの語との連関が示されるのに、現代かなづかいによるとその連関が失われるというところに、保守派の人々の現代かなづかいに対する不満があります。なかには、現代かなづかいは文法を乱すといういい方までして反対する人があります。しかし、これは文法がことばの法則であることを忘れているのであり、文字がことばの記号であることを忘れている人の議論であります。文法はそのときそのときのことばの法則であって、ことばが変われば文法も変わるのは当然であります。以前のことばの法則と、変わったいまのことばの法則とが一致しなければならないとするのはあやまった前提であります。また、文字だけが一致しておればことばの法則が動かないと思うのもまちがいであります。
歴史的かなつかいでもいわゆる音便と称するものがあって「書きて」「読みて」が、「書いて」「読んで」と書かれてきたのであります。「慕ひて」が「慕うて」、「切りて」が「切つて」と書かれてきたのであります。これらは五十音図の同行に活用する原理とは、いちじるしく違反しているにもかかわらず、これを認め、その表現を発音どおりにしてきたのであります。もっとも、音便という名が示すように、これは便法として例外的に認めたという苦しさがうかがえますが、ここにことばの変化を認め、表記もそれに従わざるを得ないということを証明しています。
おなじみ音韻論と、共時的な文法論の講釈である。熊沢は、音韻の変化を示して言葉が変化する事を述べる一方、或時代の言語(=音声言語)の様相を切取つて研究する言語学の方法を常識として示す。欧米諸語の言語学で常識とされる音声言語を重視する態度を強調し、音声言語に対して書記言語が大変大きな位置を占める日本語の特質を無視する日本の言語研究者に特有のイデオロギー的態度を示してゐるのである。
もちろん、日本の言語学研究者は、自分の苦しさを知つてゐるから、音便と云ふ例外的な現象を必ずとりあげて、日本語でも書記言語は無理があるのだ、と言ふのだが、例外はあるものであつて、例外を例外のままにしてあるならば問題はなく、ことさら強調すべきものではない。
また、ここでは、見るからに異様な論理が展開されてゐる。「ことばの変化を認め、表記もそれに従わざるを得ない」と熊沢は言ふが、発音が異つてゐても「墓」「海」「漢口」と同じ書き方をするのは当り前である、と熊沢は例を挙げて示してしまつてゐるのである。
ことばの意味は常に変わっていきますが、なるべく本来の意味に忠実であるほうが、ことばの使い方が正しいといえましょう。しかし多くの人が新しい意味のほうを取り、古い意味が忘れられているとき、なおかつ、本の意味に執着するということは正しい態度とは申せません。……。……、世の中には大まじめに、本来の形を保存尊重して、あくまで新しい使い方への移行をはばもうとする人がおります。またことばのうつり変わりはやむを得ないが、せめて文字の上だけでも本来の形が保存されることを望む人がかなり多いようであります。語源尊重論者とでもいうべき人たちでしょう。
斯うした「一見尤もらしい正論」を、国語改革の推進派は必ず用ゐるのである。しかし、「多くの人が新しい意味のほうを取り、古い意味が忘れられている」と云ふ事を、現実の国語改革ではどこまできちんと検証して、見定めて、改革の実行に反映させてゐたか。言ふ事は立派だが、やつてゐる事が非常に怪しいのである。それを言葉だけで取繕つてゐるのが、日本の言語学の専門家なのである。
わたしたちは過去から受けついだことばを内に持っています。しかしそれはただたいせつにしまっておくのではなく、これを同時代の他の人々と通じあうために使って行くのであり、行動を通してことばは動いて行くのであります。……
同時代、同時代、同時代。コミュニケーションのための道具としての言語、と云ふ事を熊沢は強調してゐる。これは戦後の国語改革を支持する人々が必ず言ふ事である。それは音声言語の性質に過ぎないのだが、彼等はまじめに「書き言葉は同時代の人々の間でのコミュニケーションにのみ役立つべきものである」と信じたのであつた。
★
なほ、本書は(手許にあるものは)非売品となつてゐる。国語の教材とともに教師・指導者に配布されたものと思われる。斯うした形で「現代表記」の「正当性」は教育界に広められて行つたやうだ。(野嵜健秀)
日本語における「正書法」の理論的根拠を紹介する本。
日本語の表記に関する理論・言語学の学説を数多く紹介し、かつて提案された各種の表記法について検討を試みてゐる。言語学の学説に拠りつつも、常識的・通俗的な解釈を説明には多く採用してゐる。知識を得るには便利。
表音化、漢字の廃止は、現実の傾向であると同時に、イデオロギー的に擁護される必要がある、との書き手の強い主張が見られ、内容には偏向が目立つ。小泉氏は、軍国主義への憎悪や反動ムードの助長に対する警戒を隠さない。
小泉氏は、「現代表記」は、矛盾も多く、不満の声も出ているが、「われわれ」は「これを単に旧に復するということはまったく無意味であるばかりでなくかえって有害であると心得ている」と述べる。将来、漢字が廃止される事は必然で、そこで生ずる問題をどう解決するか、考へる事が必要である、と云ふ書き方は、表音主義者の著作に良く見られるパターンである。(野嵜健秀)
松坂忠則は、昭和二年にカナモジカイに入り、昭和二十三年からカナモジカイ理事長を務めた表音主義者。国語審議会の委員として戦後の国語改革を指導した。
本書は、漢口攻略戦に参加した松坂が戦地で執筆した戦記で、主に野戦病院の様子を描写してゐる。初出は文藝春秋発行の「話」昭和十四年十月号である由。表記は財團法人カナモジ會が制定した「カン字五百字制限案」と文部省國語調査會が制定した「發音式カナヅカイ法」に従つてゐる。松坂は「あとがき」に斯う書いてゐる。
五百字制限のことについては、ここにいささか説明を加えておきたい。
世の中には、小學校を出ただけの、大多數の國民には讀めない字が、今もってさかんに用いられている。この現状を、何とか改めなければならぬと言うことについては、最早議論の余地は無いと思う。問題は、その方法にある。
今日の國民多數が「書ける」カン字の數は、色々の點から調べたものをまとめて見て、五百字前後と見ることができる。しかし、甲の人が書ける五百字と、乙の人が書ける五百字とは、數は同じでも文字そのものは同じでない。なぜならば、數限りもなく存在するカン字の中から、「知る」能力のウツワが滿つるまで、各自が勝手に「手もり」をするからである。
然るに、甲の文字と乙の文字とは、その利用價値は同じでない。かりに、利用價値が使用囘數と平行するものとすれば、かつて私らが新聞紙上に現れたカン字の使用囘數を調べた例においては、「新」の字が一〇〇五囘用いられている間に「笛」の字は十囘用いられているに過ぎない。だから、「笛」の字のたぐいを五十字も六十字もおぼえても、その實用價値は「新」一字におよばない。さらにかんがえて見るに、たとい、これまでの文章の例では多く使われた字でも、それだからと言って重要がることも、かんがえ物である。「頗」や「殆」などはずいぶん多く用いられている字であるが、こんな時は何もカン字で書けなくても、カナで濟ませて一向こまることがない。
「劈頭」を使わずに「最初」や「まっさき」で濟ませれば「劈」の字は書けんでもよくなるし、「披瀝」などと書けんでも「うちあける」と書けば、他に使い道もない「瀝」の字は不用にならう。「土瀝青」は「アスフアルト」でよいこと、言うまでもない。
狸、狐、狢の樣な動物の名、櫟、欅、韮、蓼の樣な草木の名など、みんなカナで書いてさしつかえあるまいと思う。
どうせ五百字程度しかおぼえ切れないのなら、一番利用の多い字をえらんで、むしろ外の字にそそぐ精力を全部五百字に注いで、その五百字を百パーセントに活用する能力をあたえる方がよい。
財團法人カナモジ會では、さきに以上の立場から――實はまだ色々、五百字制限の意義はあるが――五百字制限案を制定した。……
この松坂の発想が戦後の漢字制限に大きな影響を及ぼしてゐる事は、事細かく論ずる必要はないと思はれる。漢字を学習する手間を省けば他の教科の学習により多くの時間を割け、学習効率がアップし、児童・生徒の成績が向上する、と云ふ発想である。実際にはそのやうな事にはならなかつた。机上の空論である。
松坂は同じ「あとがき」の中で以下のやうに述べてゐる。
實は、私は、漢字を五百字に制限すれば、それで國字問題は解決されると思っているわけではない。特別な文章は別として、日用文は、すべてカナばかりで書くことにしなければならないと信じている。五百字制限案は、それにいたるまでの、一つのテダテとしての意義を持つものと思っている。
斯う云ふ考へを持つてゐた松坂が、戦後の漢字制限の先に何を狙つてゐたか――それは火を見るよりも明かな事である。
なほ、本書の巻頭には山本有三の推薦文が載つてゐる。山本は「わたくしは松坂氏の文字づかひに、全部賛成してゐるわけではありませんが、向かふ方向は同じです。ともどもに同じ方向に進んで行きたいと思ってをります。」と書いてゐる。表音主義者たちは当時、必ずしも意見が一致してゐたわけではなかつた。しかし、既存の体制を突崩す大目的のため、彼等は大同団結し、連帯してゐたのである。呉越同舟と云ふ言葉が想起される。(野嵜健秀)
松坂忠則は戦前から戦後にかけて活動した表音主義者。カナモジカイ理事長、第一期〜第五期の国語審議会委員を歴任。国語国字改革を推進した中心人物の一人である。
本書は、昭和三十年代後半に入つて、国語改革に反対する勢力の活動が活発化したのに危惧を覚えた松坂が書いた反論の書である。副題に「復古主義への反論」とあるやうに、松坂は国語改革の推進こそが正しいと信じ、それに抵抗して「漢字もかなづかいも戦前の状態にもどせと主張する論」は「保守論」ではなく「復古論」である、と言つて排撃した。
国語問題の歴史を祖述するとともに、国語改革に反対する「復古主義者」への反論を多数収録してゐる。歴史的かなづかひ批判は典型的なものが多く、その後の改革推進派の主張の基調となつてゐる。松坂は国語問題において今に至るまで(改革推進の立場から)多大な影響を残してゐる。
松坂は「コトバや文字の変革を押さえようとすれば押さえられるものであるかどうか」と言つてゐる。歴史の趨勢として「国語の表音化」を信じ、その趨勢を積極的に促進しようと云ふのが松坂の主張だつた。文字の革命としての戦後の国語改革には不満が残るものの、反対勢力の抵抗で改革が頓挫してしまふのが松坂には恐ろしかつた。革命は遂行されねばならないからである。
しかしながら戦後の国語改革は見直しを迫られ、本書が刊行された頃を境に方針を転換する事となる。(野嵜健秀)
大久保忠利は言語学者で、『コトバの生理と文法論』等の研究書やS・I・ハヤカワ『思考と行動における言語』等の翻訳で知られるが、啓蒙的・教育的な著作も多い。
本書は教養的な著作の一つで、言葉についての雑多なエッセイが収められてゐる。第二部「書くこと・話すこと」の中に「国語論争の前進のために」と云ふ文章が入つてゐる。
国字問題について「注目すべき論文二つ」が最近出た、と大久保は書き始める。一つは山田孝雄「仮名遣の混乱を救へ」で、最う一つは福田恆存「国語改良論に再考をうながす」である。これらについて大久保は次のやうに評してゐる。
山田さんの論は「歴史的かなづかひ」を「旧来の正しい仮名遣」と呼び「現代かなづかい」を「占領政治」の「命じてさせたもの」で「日本を精神的に亡ぼすことを企ててゐたもの」だときめつけます。
福田さんの論は、やはり「占領政策」に結びつけながらも、特に「日本語の不安定性」と漢字・かなづかいとを結びつけて論じている点が重点です。しかし、例によって、巧妙なレトリックが目だちます。
要約の仕方としては如何なものかと思はれるのだが、これが当時の「常識的」な受止め方だつた事は否定しない。福田恆存の発言を、「巧妙なレトリック」と云ふ言葉一つで否定し去るやり方は、この頃の「議論」では必ず用ゐられたものだ。
しかし、この大久保の批評が「巧妙」なのは、引続いて、「論争のコトバづかい」の論評に移つてしまふ事で、山田氏・福田氏の文章の内容を直接検討するのでなく、言葉遣ひ・マナーの観点から一方的に批判を加へてゐるところにある。斯うしたやり口は、今でも多くの論者が踏襲してゐる。大久保は、如何にも公正な判定者であるかのやうに、以下のやうに述べる。
「論争」というものは、どうしても「感情的」になりがちなもので、相手の論を「論理的に論破する」ということと並行して(時にはあとの方に重点がおかれて)「相手の人間そのものをやっつける」という、人身攻撃がまじりがちです。
しかし、感情的になったり、人身攻撃の一カケラでも混ったりしたら、おちついて・冷静な論議は進められません。(この点、山田さんの論調は、特に「怒りの感情」でつらぬかれ、反対者に「怒っては話ができない」という感じを抱かせるのは惜しいと思います)わたしが「人身攻撃」と呼ぶコトバつかいは、次のようなものです。
国字改良論者側――(相手を呼ぶのに)保守・反動・ナショナリズム(右翼的国粋主義者の意味で)・無意味な漢字愛好癖など。
改良論反対者側――占領政策の便乗者・押しつけがましい 「親心」・粗雑な頭・特権意識・文化的危険思想など(以上、福田論から)
そのほか、改良論者のつかったコトバ・文字を「あげ足取り」式にやっつける手です。こういう要素は、一つもつかわないようにして論を進めようではないか、と提案したいのです。
一見たしかに御尤もな提案であり、だからこそ多くの人がこの提案に乗るわけである。が、他人を「あげ足取り」式にやつつけるな、と言ひながら自分は平気で人の揚げ足取りをやつてゐるのだから、大久保は自分でも実践できない事を他人に要求してゐるわけである。そして、斯うした無意味な「提案」で山田氏・福田氏の生の主張を隠蔽しつつ、大久保は「反対者の論点と反論」を箇条書きの形で示す。
次に、反対者の論点を整理してそれに反論を出しておきます(――の下がわたしの反論)
1 占領政策に便乗したのだから、白紙に返せ。――ちがう。むしろ、あの当時の日本の改革機運に乗って断行したのだ。白紙に返すよりも、九年間の実行という歴史的な実績に立って再検討するのが一そう現実的だ。
2 「旧かなづかひ」の方が合理的だ。――ちがう。改良の内容に〝矛盾〟が残っているとしても、方向としては「現代かなづかい」の方が合理的だ。むしろ現代かなづかいの〝矛盾〟をこそ前向きに改めていくべきだ(は・へ・を・ぢ・づ・長音の「う」など)たがいに「どちらがどう合理的か」を今後論じ合うべきだ。
3 漢字制限は書く人に不便だ。表現性を失わせる。日本語を不安定にする。――不便さもあろう。しかし、不便ばかりを数えあげてもしようがない。広く、国民大衆の「読み・書き」について考えれば、漢字を制限することは、人々を一そう文字に親しめるようにするからよい。(「特権意識によるほどこし」などというなかれ)表現性は漢字に頼らぬ工夫により一そう伸びる。むしろ漢字・「旧かなづかひ」に頼っていた安定性をこそ切りかえるべきだ。
4 漢字・「旧かなづかひ」も、習得困難ではない。教師の工夫が貧困なのだ。――ちがう。改良後の方が習得・使用ともに容易。教師の工夫に余分な負担をかけるべきではない。効果があがらないでしかも負担になることは、戦前の「旧かなづかひ」の時代に証明されている。
5 古典との文化のつながりを切るものだ。――ちがう。つながりは切れていない。現代かなづかいをつかう人も、古典を読むために「旧かなづかひ」を習得することは困難ではない。古典については別に考えるべきで、何百年も前の古典の漢字・かなづかいを現代生活に持ち込む方が無理。
6 外国語にも「つづり」習得の困難がある。――だから、外国でも困っており、改良案が出ている。(アメリカでは、単純化しつつある――例 through→thru, honour→honor)
「1」は見方の違ひを強調して見せただけに過ぎず、大久保の見方は単に国語改革に好意的であると言つてゐるに過ぎない。
「2」は話のすりかへ。「方向」が正しいからと言つて「現状維持」が正しいと云ふ事にはならないし、そもそも「方向」が正しいと言ふべき根拠が無い。
「3」は開き直りである。この論法では、「改革」を標榜してゐれば全て批判を却下する事ができてしまふ。
「4」については、教師への「負担」が「余分」であると極附けてゐる。しかし、そもそも教育は教育者にとつて全て「負担」なのであり、そこで安易に「余分」等と言ふ事は許されない。国語改革では、「余分」と云ふ言ひ方で安易に教育内容を削つてゐる。国語改革が「ゆとり教育」の先駆であるゆゑんである。
「5」は、誰が何う考へても古典と現代との連続は断たれてゐる。「旧かなづかひを習得するのは困難ではない」と言つて見ても、現実に「習得したい」と思はない人が・「習得する必要などない」と思ふ人が沢山出てくれば、「古典と現代との連続は断ち切られてしまつた」と見て良いのである。「現代かなづかい」は「古典は不要である」と思はせたから有害だつた。
「6」については、thruの例示を見れば、大久保の主張が誤であつた事は一目瞭然である。外国語では依然として綴りが保存されてゐる。
同じ章の「雑誌の用語」と云ふ文章で大久保は、「表現をやさしく」せよとの「(『世界』)読者からの希望」を紹介し、「ほんとにトオトイのだ」と述べてゐる。これに対する「高い内容をやさしい表現に盛ることはむずかしい」と云ふ編集者の返答については、「大きな思いちがい」があると言ふ。
学者たちは(その少ない例外をのぞけば)ふだんむずかしいコトバに慣れているから、むずかしいとも感じないし、やさしく書くなどという「むずかしい仕事」は手に負えないことが多い。(ほんとうは、そうではいけないのだが)だから『世界』などでも早く「書きかえ係」を養成し、筆者の許可を得て、高い内容をこわさずにやさしく表現することを次の号からでも実行すべきだ。もし、一般の文章をやさしく書いて内容がこわれたなどと言うなら、はじめから高い内容などは無かったのだ。
無茶を言ふものである。しかし、日本語の改造を主張した人々は、斯うした気楽な「統制」の仕方を、まさに善意で提案してゐたのだつた。
大久保は「現代文学と文体」で、インテリ派の文体と庶民派の文体がある、と指摘し、「インテリ文体」を激しく非難してゐる。大久保の言ふ「インテリ派」の文体の特徴を、大久保は斯うまとめてゐる。
1 ともかく、感じがインテリ臭いのだ。
2 表現が、漢字語や旧い文語的ヤマト語にたよっている。それらのあるものは、日常生活では耳にもしないような語や、日常生活語には入っていても、ほかにもっと一般的なものが並んでつかわれているものがあるのに、耳遠いしかつめらしい語のほうを選んでいる。
3 の組み立てが「話しコトバとはちがうんだ」という文章体でできている。つまり、「文学」は、用語や文章までちがうんだ、話しコトバと書きコトバはちがうんだ、ということをいつもアタマにおいて書いているようなのだ。……
「(「話しコトバと書きコトバが、どの程度一致すべきものか」という問題は、今後大いに揉まなければならないとしても)」と一部の結論を保留してゐるけれども、大久保は「話しコトバ」通りならば「やさしい文章」であると信じてゐるらしい。
……だが、「読むもの」ということが「文字の字ヅラ」にたよってもいい、ということと、同じ意味だろうか?
ちがう。……
大仰で力強い言葉遣ひが目立つ大久保だが、何うもこの辺、非論理的で根拠を缺いた発言であると云ふ自覚があるからこそ、言ひ方が乱暴で高圧的になつてしまつてゐるのでないか。
一方、「話しコトバ」なら何でも良いかと言へばさうでもなく、大久保は「十代の隱語もてあそび」を憂慮してゐる。
こうした学生隱語はどこの国いつの時代にもある仲間意識と特殊な情緒の表現として問題にするにも及ばないといってしまえばそれまでですし、中には〝インポテ〟のような諷刺による切れ味の効いたものもありますが、コトバによっては、放っておけない危険な芽を含んでいる、ということにハッキリ気のつく必要があると思います。危険な芽というのは、こうした隱語が現実にある危機に対しての正しい感情的な反応を、コトバによる「笑い」によってまぎらせ、危機に正面から対決するのでなくそこから逃避してしまうという悪い習慣を、知らず知らずのうちに身につけてしまう、ということです。
大久保は高校生らが「高校四年生」のやうな言ひ方をするのに対し、「オカシミ」を感じてゐる許りでなく、それは「新興宗教的な気休め」でしかないぞ、との警告を発せずにはゐられない。さう云ふ言ひ方をして仲間同士で笑ひ合つてゐるのは、落第したり受験浪人になつたりする「現実」から「逃避」しようとするものだ、と云ふわけだ。「アルバイト」のやうな言ひ方にも「逃避とコトバによる合理化とを感じて反対したい」と苦言を呈し、「やはり、働きつつ学ぶ、その苦しさと矛盾、しかも「学ぶ」ことへの熱情を持った正しい日本語「苦学」という語の方が、どんなにいいかしれません。」とまで言つてのける(あれだけ漢字語を否定してゐた大久保が、である)。
斯うした道徳的な説教は、案外国語改革を唱導する人々にはよく見られる。
こうやって、日本語の本来の意味をもじって失わせ、また外国語をいたずらに流用することは、私たちの大切な共有財産である「日本語」を汚し、腐らせる行為にほかならないということを、親たちも青年たち自身もハッキリと自覚してもらいたいのです。……
大久保の考へる「正しい日本語」とは一体何なのだらう。(野嵜健秀)
池田弥三郎は国文学者。山本健吉の師匠である。
「日本語の乱れ」について池田は「それらは、混乱というのではなく、単に変化の姿にすぎぬ」「誤読が原因になっていることばの乱れも、そうやかましく非難はできない。もともと、漢字表記がわざわいしているのだ。」「しかし、こういう現象まで、目にかどをたてて、現代日本語の乱れだとして、さわぎたてる気は、わたしにはない。それは、スピーカー(話し手)がヒヤラー(聞き手)に対して、多少不親切だったのである」「たしかに「乱れている」と見える現象もある。しかしそれは、なにも、戦後の現代のみが責任を負わねばならぬことでもない。むかしだって乱れていたのだ」と述べてゐる。全篇この調子で通してゐると言つて良い。
池田は書き言葉が問題になる事それ自体が気に入らない。「国語問題と言えばほとんど国字問題で、漢字をどうするか、かなづかいはどうするかと言うことだけで、何十年来、よせたりかえしたりしている。」(「漢字障害」)
わたし自身は自分でも飽き飽きするほど、国字問題が国字問題に偏しすぎている、ということを言って来た。国語をどう書き表すか、そのために、漢字をどれだけ与えるか、さらには漢字を早く覚えさせるにはどうしたらいいか、そういったことばかりが先に立って、どこまでいっても、文字、文字、文字であって、少しも、文字のむこうにあることばそのものが論じられないのだ。
さう言ふ池田だが、国語改革に賛成で、新表記の不都合を指摘する声にも、耳を貸さうとしない。
問題は、そういう個々の不都合を並べたてて、だから戦後の改革はいけなかったのだというところまで、持っていってしまうつもりなのか、個々の不都合を修正しつつ、全体の方向は、戦後の改革の線に沿って行こうとしているのか、という点だ。わたしは、今になって、角のかっこうがわるいから、牛までついでに殺してしまえ、といういき方には、反対だ。
本書の書評でも改革反対派の扱に冷たさが見られる。福田恆存『私の国語教室』の「冷静」な部を褒めながら、池田は言ふ。
したがって、この書もまた惜しいことに、明治以来の国語国字問題の論争者の轍をふんで、反対意見の者に対してひどく感情的である。……。
石井勲『私の漢字教室』についても池田は冷たい。
第三部の、著者の、国語国字問題への意見になると、第一部第二部において、あれほど謙遜で地道な発言をしてきた著者が、にわかに飛躍的で具体的でない面を見せてくる。国語問題は、なぜに、どの陣営に属する者も、こうまで熱狂的に相手をせめねばならないのか。
国語審議会の構成メンバーを、一網打尽に、国語改革論者としてひっくくり、はなはだしくきめのあらい言い方で、主張を急ぐのは、この著者のためにおしいと思う。
斯うした池田の言ひ方は、「成熟した大人の立場」からの説教で、一見実に尤もに見えるからたちが悪い。しかし、冷静で公平さうな池田の発言が、ひどく意地の悪いものである事は、随所の記述で明かである。
わたしの休戦ラッパは、現在の当用漢字を少しふやしたらどうかということ。
ある人は十倍にせよと見得をきって、杜甫はせいぜい一万字だがと中国の専門家に言われてひきさがったが、やれ、総理大臣の佐藤の藤がないの、何がないのといっても、おそらく五百字までふやす必要はあるまい。
そのくらいの増加で、いわゆる表意派の大半がご満足なら、それでもいいではないか、というのである。
これが大変、人を馬鹿にした言ひ方である事は、当人、自覚がなかつたのだらうか。(野嵜健秀)
歌人・国文学者としても知られる土岐善麿は、ローマ字論者でありエスペランティストでもあつて、戦後の長い間、国語審議会会長をつとめた(五期・十一年間)。本書は表音主義者・土岐の絶頂期に刊行された随筆集で、「経済論壇」なる雑誌に連載された随筆を中心にまとめられたもの。巻頭に収められた「国語生活の合理化」からその主張を見てみよう。
国語の教育は、小学校、中学校、高等学校を通じて、かなりの時間が費されています。しかし正直のところ、わたくしくらいの年輩になってもなかなか使いこなせない漢字による日本語を、六年、三年、また三年のあいだに、いちおう学習しようということは、その労苦、その困難、まことに同情すべきものがあります。もしそれだけの努力をしないでも、もっとらくに国語の生活が営めるという方法があるとしたら、それを選ぶことによって、「エネルギーのムダ使い」を避けることができるということになりましょう。
こうしたことは、現在われわれがつかっている漢字やかなをおしえこむことにだけほねをおっている国語の教育をもっとひろげて、あるいはもっと徹底させて、どうしたらわれわれ日本人の国語の生活が、もっと合理的なものになり得るであろうかということに思いおよんでいくとき、現在の国語を改善していくという方向にそって、その具体的な方法が更に考えられなくはならないとおもいます。
国語の授業時間を減らして、その分を他の教科にまはせば、日本人の学力は向上する、と云ふ発想である。しかし、国語改革によつて日本人の学力が向上した、と判断できる調査結果はない。これは「ゆとり教育」の発想の元祖で、その失敗まで先取りしてゐた。
ところで土岐は、国語改革がうまくいつてゐない事実を一往知つてゐた。堺市が当時、「常識漢字」と称して、「教育漢字」にないが、日常生活で必要と思はれる漢字を百字リストアップし、小学校、中学校に配つた事を紹介してゐる。漢字教育で必要な漢字が教へられてゐないとしたら、漢字教育に問題がある――そして、その背景にある国語改革に問題がある、と考へて良い。ところが、世間では「教育漢字」ですらなかなか覚えられないのに、さらに漢字を教へられる余力があるとしたら、堺市の漢字学習は「よほどうまく、全国の水準以上におこなわれている」のだらう、と土岐は皮肉つてゐる。
土岐は絶対に反省しなかつた。彼は、国語改革がうまくいかない理由について、日本語が複雑過ぎる事が原因である、と何度も繰返し述べてゐる。さらに国語改革を進めなければ、問題は解決しない、と言ふのだ。この論法では、永遠に国語改革は止まらない――そもそも止める方法がない。「改革がうまくいかないのは、改革が間違っているからではなく、改革すべき日本語がひどく間違っているからだ」――土岐は、改革に対する批判があつても、改革の方向性は間違つてゐない、と強弁した。或は、詭弁で以て国語改革を守らうとしたのである。問題は、彼が自分の詭弁を詭弁と気附いてゐなかつた事だ。この点、大いに無邪気な人物であつたと言へる。
土岐が長期間、国語審議会の会長職に居坐れたのも、絶対にやめさせられない方法を採用した事が理由だった。閉鎖的で非民主的だつた国語審議会の問題が広く認識されたのは、五委員の脱退事件が起きた昭和三十六年――本書が出て二年後の事である。(野嵜健秀)
国語審議会の会長を長く務めた土岐善麿が『ローマ字文の書き方』と云ふ本を出して、「正しいローマ字文の書き方」を説明してゐる。田丸卓郎が大正九年にまとめた『ローマ字文の研究』に基き、内容を簡略化したもので、所謂「日本式」のローマ字である。土岐は日本式を支持するが、その理由について「はしがき」で以下のやうに述べてゐる。
つづり方は、すべて日本式を採つたが、文章をかくうえでは、いわゆる訓令式でも、またヘボン式でも、どれにも通用する。ただ文法的に説きあかすようなとき、日本式が日本語の性質に合つている關係上、最も説きあかしやすいので、日本式を採つたのである。
土岐氏の本は一つの方法の提言にすぎない。ローマ字は、澤山の人がそれぞれ別の方式を提言してゐて、未だに統一された方式がない。
規則の説明は約四十ページ。八十九項目ある。ローマ字文は「むずかしい」のではなく「正確に書ける」のだ、と土岐は釋明してゐる。續いて、「附録」として「簡単な文法字引」が載つてゐる。この「附録」が本の大半を占め、百六十ページある。ローマ字で書くとわかりにくい語は、わかりやすくなるやう「言いかえ」る事が指導されてゐる。意外にも歴史的かなづかひを多く殘し、「現代かなづかい」に從つてゐない。dutu、dya、dyuなどの項目がある。(野嵜健秀)
藤原与一は方言学を専門とする言語学者。国語教育への提言も多い。本書は国語教育を扱つた著作だが、国語生活を基本に考へ、生きた言葉を学ぶべき事を主張する筆者の立場から、従来の「文字本位」の国語教育に対する批判が生じてくる。
書きことばには、口ことばに近いものから遠いものまで、いろいろのものがある。場合々々にしたがって、いろいろの調子の文章が出る。が、おしなべて、漢語または漢字ことばにすがることの多い口語文がさかんである。人々がこの漢字ことばになれあっている度あいは、まことに大きいものがある。まいにちの新聞紙面を見るとよい。また、雑誌類の記事文を見るとよい。さらには随筆などを見てもよい。漢字ことばは、こうまで深く国語生活の中にくいいっている。日常のどの一つの文章からも、一センテンスからも、自由にいくつもの漢字ことばを見いだすことができる。中には、その一つや二つをほかのものとさしかえたのではどうにもならぬほどの漢語ばりのものも多い。これが平易な文章でないことは、もはやよく知られている。その改善運動はすでに多い。それでいて、今もなお、人がよって国語の問題にふれると、かならずこのなやみをとりあげている。
国語の中に、これほど漢語――漢字ことばが大きいはたらきをしているのは、そうとうに理由のあることにちがいない。しぜんになれてきた長いあいだの生活がこれである。おいめばかりではない。ずいぶん利用もしている。利益をうけている。こうなったのが、国語生活の発展でもあったのだろう。たしかに、これで、国語の表現手段が拡大された。しかし、今日としては、これからの生活のために、新しい用意をすべきではないか。これが人々の意見であるところから、漢字制限やふりがな廃止が問題になる。「平易なことばで」という心得は、多くの人の常識になりつつある。(「今日の国語」)
漢字のメリットを一往認めつつも、「使いすぎのデメリット」を挙げて漢字を否定する――よく見られる論法である。漢字・漢語を使はなければ言葉は「平易」になる、と云ふのである。しかし、漢字の多寡と言葉の難易の因果関係は、「既に明かである」とされるだけで、少しも検討されてゐない。そして、漢字を減らす事は「世の中の傾向である」と言つて、その「傾向」を手放しで受容れ、のみならずさうした「傾向」を推進しようとしてゐる。
藤原は「話しても、思わず漢字ことばにつられる。」と、それが恰も困つた事であるかのやうに言つてゐる。
……。多くの人、ことに知識人たちの話しことばは、書きことばにひかれている。これは大きな国語問題である。話しらしく話すべきである。「書くように話す」ことをやめて、『話すように話す』――話すために話すようにしなくてはならない。一方、田舎人たちが、あまりにも自然な話しことばの世界にただ安住して、知性のみがきをかけぬことも、大きな社会問題である。ほどよい話しことばの世界を確立することが必要である。(「国語問題」)
斯うした文句は、方言学や音声学を専門にやつてゐる人が必ず言ふ文句である。「話し言葉は書き言葉の影響を受けてはならない」と云ふ奇妙な信念が彼等にはある。彼等は、書き言葉が話し言葉に対して優越的である、と云ふ日本語の特質を、単に「特質」と、ありのままに認める事ができない。英語等と同じ性質を持たない日本語に劣等感をいだいてゐる。だから日本語を英語などのやうに話し言葉中心の言語に改造したいと思つてしまふわけだ。斯うした態度は往時の日本のインテリの間に屢見られたものだが、それが今でも多くの人の考へ方に多大な影響を残してゐる。
しかしながら、自然な話し言葉それ自体にも彼等は我慢がならないので、結局「知性」の重要さを説く事になる。「ほどよい話しことばの世界」と云ふ言ひ方が実に曖昧な内容をしか意味してゐない事は、指摘されて良い事だらう。
なほ、斯うした「理論」に対して、藤原は「実践」についても具体的に述べてゐる。「国語生活者の国語研究」を扱つた章で藤原は「さて、研究態度が高まれば、自分の漢字使用にだって、一つの基準を立てるようにもなろう。漢字ことばにいろいろあたまをつっこむと、どうにかして、きまりをつけたく思うようになる。」と言つてゐる。マニアの性質をよく捉へた発言である。(野嵜健秀)
新聞社の校閲部が採用してゐる文字づかひの基準に基き、新聞に掲載可能な「完全原稿」を書くためのガイド本である。新聞社のガイドラインを一般人向けに使へる基準として当り前のやうに提示してゐるのだが、その辺の注意書きはない。「常用漢字」が告示され、「現代仮名遣」があと一年で告示になる、と云ふ時期に出た本である(手許にある本は、「現代仮名遣」告示後の第二刷だからか、仮名遣の話が「現代仮名遣」に基いた解説になつてゐる)。
「悪文の治療法」から話を始め、慣用句、漢字、送り仮名、仮名遣、敬語……といつたテーマで言葉の解説をしてゐる。用例は豊富で、考へるとつかかりにするには便利である。解説は穏当で、書かれた指示通りに書けば社会的に無難な文章が出来上がる事は間違ひない。活字の字体の差、手書きの際の多少のゆらぎについて寛容になるべき事を説いてゐるのは、読売新聞社内で知識が引継がれてゐるのだらう。
仮名遣ひの解説は「現代仮名遣」の規則に基いてをり、「じ」「ず」「ぢ」「づ」の書分けについては国語審議会の示した用例の一覧表を掲載してゐる。長音の表記についても「現代仮名遣」の規則に従つて説明してゐるが、オ列長音については当然の事ながら批判的な記述が出てきてしまつてゐる。
「おほい」や「とほる」を「おうい」「とうる」としないのは、この音が長音としてではなく、「お・お」「と・お」のように母音を重ねたもの(連母音)として扱われてきたからだそうです。歴史的な経緯はともかく、私たちの耳に全く同じ音としか聞こえないものを書き分けねばならない不便さは、旧仮名遣いを知らない世代が増えるに従って一層重荷になるものと思われます。
エ列長音についても、「え」と書く例が「ねえさん」しかない事実に触れてゐる。
「言う」を「ゆう」と発音しながら「いう」と書く事についても説明を試みてゐるが、「動詞の語幹としての一貫性を保つため」と云ふ説明はまだしも、「いわない」を「ゆわない」と発音する人が増えてゐると指摘しながら「年配者にははなはだ耳障り」だから「文章語としてはまだ認めるわけにはいかないでしょう」と強くとがめるやうな言ひ方をしてゐるのは、書き手も理論的な苦しさを無意識のうちに感じ取つてゐるのであらう。
「遵守」「順守」、「仄聞」「側聞」については困つた「説明」を行なつてゐる。「当用漢字」に存在しながら「補正資料」では幾つかの文字が削除予定とされた。それらの文字を新聞社は使はない事とし、「遵守」を「順守」に、「仄聞」を「側聞」に書換へるやうに決めた。ところが、「常用漢字」では結局、「補正資料」で削除予定とされた文字は削除されずに残つた。そのため、「遵守」「順守」は「どちらも間違いではありません」と言ふのだ。新聞社の勇み足なのであるが、新聞社は自分が「間違ひをやらかした」とは認めないのである。
本書の附録には「現代表記の基準」の解説が入つてゐる。その冒頭には以下の説明がある。
ここでは新聞を中心に、官公庁、教科書などで採用している現代表記の基準を示しましょう。一般の人がこの基準にしばられることはありませんが、文章を書く際、これをよりどころとすれば、新聞や教科書からかけ離れない標準的な表記で統一することができます。
そりや統一は出来るだらう、としか言ひやうがない。
同じ附録の『「校閲日記」抄』には、人名の表記についての話が載つてゐる。嶋大輔の嶋がテレビの番組欄で「島」になつてゐる、との読者からの指摘に対する回答である。
電話のお嬢さん(読者)には変体仮名を例にとって説明した。
「い、ろ、は……の字がそれぞれに七種類も八種類もある。自由に選んで使えるのは楽しいけれど、覚える方は大変だよね。平仮名はそれを一つに絞っているから、ぐんと能率がいい。漢字の字体整理もそれに似た考え方なんです。理屈としてはわかるでしょう?」
「ええ、でもねえ……」
校閲部の記者よりも若い読者の方がまともなセンスを持つてゐたやうで、説明に納得してゐない。まともな人間が納得できないやうな事を、能率だの何だのと理屈を故事つけて強要するのが文字改革である。校閲記者は「文字改革には、百年単位の歳月が必要なのだ。」と威張つて書いてゐるが、ちよつと何うかと思ふ。「長い目で国語の平易化、能率化を考えると、字体の整理もおろそかにはしにくい」と言ひ、新聞が「長島茂雄」と書いてゐる事を正当化してゐるが、今の読売新聞では最早「長嶋茂雄」と表記するのが当り前になつてゐる。
「おわりに」で校閲部次長の金武伸弥氏が書いてゐる。
もし、新聞・放送はじめマスコミが、言葉の変化の流れに身を任せて、正しい使い方を守らないなら、たとえば千年かかる言葉の変化は、百年もかからないかもしれません。それは日本語文化の伝承にとって、好ましいことではありません。
一方、日本語を学ぶ外国人が増え、日本語の国際化が論議されている現代では、覚えやすく、わかりやすい、簡潔な日本語の創造が期待されています。日本語の正書法――標準的な表記法――の確立が必要であり、新聞界が国語審議会答申の線に従って、常用漢字、現代仮名づかい、新送り仮名などを採用しているのはその線に沿うものです。この本で、二種以上の表記のうち、望ましいものはどれかを考えたのもそのためにほかなりません。
ぱつと見ではどれもこれもそれ自体としては尤もらしい説明である。しかし、それぞれをつきあはせて考へてみると、何うも筋が通つてゐない。書き手が複数ゐる事も原因だらうが、そもそも新聞社の言ふ建前と、その本音とに、非道い懸隔があるのである。「言葉をやさしくする」事の社会的なメリットを言ふ時、実は新聞社自身にメリットがあるから言つてゐるに過ぎないわけだ。(野嵜健秀)
梅棹忠夫は『文明の生態史観』『知的生産の技術』などで知られた民族学者。国立民族学博物館の館長を務めた。ローマ字論者でありカナモジ論者でもあるが、基本は漢字嫌ひであり、漢字の廃止を主張した人物である。
本書は、言葉に関する随筆集で、よくある類のものだが、巻頭に回想録の形で日本のローマ字運動の歴を綴つた「ローマ字の時代」を収める。要領よく書かれてをり、知識を得るためには参考になる。梅棹の考へは以下の記述によく現はれてゐる。
問題は漢字なのである。漢字という複雑な字形と、膨大な字数を持つ文字体系をどうするか。これが問題なのである。この文字体系を使用しているかぎり、教育の普及はさまたげられ、情報の伝達はいちじるしく阻害される。……。
アジアの諸国でローマ字化が行なはれた、と云ふ話に続いて出てくる発言であるが、ここからすぐ日本の話に戻り、前島密の「漢字御廃止之議」の紹介に移つてゐる。梅棹は漢字を憎悪し、それでローマ字やカナモジに走つたと見ていい。もちろん、ローマ字にしたらしたで、方式の違ひ、大文字・小文字の遣ひ分け、分ち書きの方法など、問題が続出するし、それを梅棹は知つてゐるわけだが、漢字を廃止する事が先決だ、と梅棹は力説する。感情論としか言ひやうがない。
明治書院が「講座 正しい日本語」シリーズ(全六巻)を刊行した時、梅棹は推薦文を書いてゐて、それが本書に再録されてゐる。
日本語というのは奇怪な言語である。言語操作をもって業とする最高の知識人が、辞書なしでは手紙もかけない。しかも辞書をひいてみても、どれがただしいのかわからない場合がいくらでもある。現代の文明語で、これほど基準のたよりない言語が、ほかにあるだろうか。
一般に、ただしい日本語をまもろうという伝統の意識はなかなかさかんなのだが、ただしい日本語を確立しようという努力はすこしたりなかったようだ。……。
欧米で知識人が辞書を一切引かない等と言つた話は聞いた事がない。梅棹は欧米の知識人が辞書なしで全て済ませてゐると信じてゐたらしい。斯う云ふ認識をしてゐた人物の文明論とやらが、果して信用できたものか何うか。怪しいものである。
※「講座 正しい日本語」は第三巻が「表記編」となつてゐる。佐藤喜代治の「文字・表記法の基準」はまづまづ穩當な記述だが、斎賀秀夫「当用漢字表の問題点」、蘆沢節「当用漢字別表の問題点」、武部良明「現代かなづかいの問題点」は、内閣告示の解釈と敷衍の域に留まつてをり、論者の性質もあつて本質的な批判となつてゐない。(野嵜健秀)
日本語の語彙を検討したよくある「ことばの本」で、衒学的、或は官僚的な印象を受ける。著者の白石の来歴を考へれば当然で、もと文部省国語課の課長である。
著者は、言語のあるがままの姿、文法的処置を加えるに値する言語、文法的考え方によって整えられていく言語、そのための基本的な思考・作業を、すべて、文法以前ということのそれぞれの段階と考える。
著者は、そういう立場に立って、国語の現象をみつめ、それを解釈し分析して普遍的な国語としてふさわしいものを設定し、従来の文法学説にとらわれることなくそれらに考察を加え、文法の体系を得ることを念願とする。
一見、尤もな事を言つてゐるやうだが、国語改革を実施し、国語改革を保守しようとする人の発言である事を考へると、別の意図が透けて見えてくる。過去の文法学説に基いて成立してゐる歴史的かなづかひを廃し、新しい国語表記を創作した現代の日本人にとつて、現代表記を支持する新しい文法体系が構築される事は急務だ、と云ふのである。
本書の「二六章」は「言語と文字との基準――国語問題をめぐって――」である。この項のみそれまでと雰囲気が異り、講演速記によるとの事。段落が長く(二ページに跨がつてゐるものが多い)、内容も粘着質的で、意図がわかりにくい。よく読むと、「国語改革に問題があるにしても、そもそも国語問題は難しいものなのである」「漢字制限やかなづかひの変更にも理由がある」と言ひたいらしい気配が感じられる。(野嵜健秀)
武部良明は漢字節減を主張する国語学者。金田一京助の指導を受けたと云ふからその影響だらう。当然、現行の国語改革を支持・推進する立場である。本書の「まえがき」は以下のやうに始まる。
明治以来の漢字仮名交じり文は、決して易しいものではありませんでした。それについて、難しさの最大の原因が漢字使用の複雑性にあると考えられてきました。そこで、漢字制限を目ざした「当用漢字表」により、昭和二十一年に現代表記が発足しました。
その後、再検討を経て「常用漢字表」に変り、音訓・字種の制限は、目安に変つた、だから「各自の自由」となつたわけだが、『書くときには、「常用漢字表」に従って書きたいという方も多いでしょう』、そして、『どうしてそう書くのか、どうして改めたのか、そんな疑問を持つ方も多いでしょう』――「常用漢字表」で採用された字種・字体・音訓だが、全てそれなりの理由がある、それらを説明する事は記憶の助けにもならうし有益だらうと武部は述べる。
本は所謂FAQ。見開き二ページで「常用漢字」の「疑問」に答へてゐる。書き手の立場が立場だけに、全て「常用漢字表」の規定を――国語改革を――肯定する内容になつてゐる。漢字の説明は全て「常用漢字表」の記述を敷衍したものにすぎない。最初の項目「漢字と仮名の分担」には以下の記述が見られる。
当用漢字表から常用漢字表へ、そこには漢字の字種が九五字増えるとともに、「漢字制限」が「漢字使用の目安」に改められている。ここで目安というのは、この表を無視してかってに漢字を使用してもよいというのではなく、この表を努力目標として尊重することが期待される、ということである。……。
制限の強制ではなくなつたが、実質的には制限である(だから常用漢字表には黙って従いなさい)、と言つてゐるわけだ。この手の押附けがましいお役所的な説明が本文には頻出する。
本書は『なるほど現代表記』の姉妹篇。武部には同音異字・同訓異字/同音異義語・同訓異義語に関する辞典である『漢字の用法』(角川書店)のやうな著作もある。(野嵜健秀)
平井昌夫は日本式ローマ字論者。国立国語研究所に勤めた。この本は、「あとがき」によれば、「日常の国語生活」から材料を拾つて、ことばについて考へてみたものだと言ふ。本の内容は猥談が多く、「とんでもない風流」になつてゐる。
巻頭の「まえがき」は、風流どころかひどく無粋で、国語改革に反対する人を悪し様に罵るもの。それも相当酷い。
ある人が、マスコミで取りあげられている国語国字の問題について、こう言っていました。
「国語国字でメシを食っている人たちの発言が大部分で、国語国字を実際に使っている人たちの意見、国語国字を身につけつつある人の意見が反映していないのは、致命的な欠陥です。」わたしもまったくそのとおりだと思います。日本の国語国字の専門家のうちには、昔の国語国字をだいじにしすぎる人が多すぎると思います。したがって、生きた国語、われわれが現に使っている国語、総じて〝現代国語〟と呼ばれるものについての知識や常識がとぼしいこともあるのはやむを得ません。
国語改革を推進した人々の多くがローマ字論者・カナモジ論者であつたわけで、噓も休み休み言ふが良いと言ひたいところだが、平井はすぐ後で、改革推進派を批判する人間が「インボウだとかウソツキだとか独裁だとかの〝感情的なコトバ〟をいとも手軽に投げかけてい」る、とぼやいて見せてゐる。自分らが人を「感情的にさせてゐる」責任感がないのだが、これが改革推進派の常套手段である。
この種の詭辯が多い事にも注意が必要で、この「まえがき」の後半には典型的な統計データを使つた「詐欺」が見られるから言及しておきたい。平井は「今の国語政策については、国民の大多数はいちおう賛成していると考えていいようです」と言つてゐる。その「裏付け」として平井はアンケートの調査結果を紹介してゐる。
昭和三十一年(一九五六年)に文芸家協会が「教育、新聞で、当用漢字、現代かなづかいを採用している現状をどう思うか。」というアンケートをとったところ、賛成の側にはいる答えは七七パーセント、反対の側にはいる答えは一七パーセントでした。正確には、次のとおりです。
〔編註:転載図表省略。4ページ目参照〕
回答者の選択は文芸家協会が適当だと思う人をきめたのですから、客観性にとぼしいのです。それでも、とにかく認めているのが七七パーセント。
次にまた、昭和三十五年(一九六〇年)に言語政策を話し合う会が、「朝日年鑑」の人名録からランダムで一千名を選び、現在の国語政策についてのアンケートをとりました。三百四名の回答があって、結果は文芸家協会のに近いことがわかりました。こまかい数字は次のとおりです。
〔編註:転載図表省略。5ページ目参照〕
この平井の解釈には福田恆存があきれてゐたが、「やむを得ないものとして認める」と云ふのは「好ましくないと思ひつつも改革が既成事実なので諦めてゐる」のだし、「今のまま」は「これ以上改革を推進されたら迷惑だ」と云ふ立場であるわけだから、いづれも国語改革に反対の立場と看做さなければならない。さうなると、文芸家協会のアンケート結果は、改革賛成四十三パーセント、反対五十一パーセント、と云ふ事になり、言語政策を話し合う会のアンケート結果は、漢字体については、これ以上の改革を求める人が三十六パーセント、それに反対する人が五十二パーセント、現代かなづかいについては、これ以上の改革を求める人が三十五パーセント、それに反対する人が五十三パーセント、と云ふ風に解釈されなければならない。
データが幾ら正しくても、データを使つて噓を吐く事は幾らでもできてしまふ。改革推進派の人が、統計データを使つて自分に都合のよい結論を導き出してゐる事は屢々ある。
また、平井は意外にも、「言葉は生きてゐる」といつた言ひ方を認めてゐない。
〝ゴネドク〟と使った編集者は、コトバは生きているのだから、まちがいでも認めていかなければならないという考えの言いわけを書いていました。この「コトバは生きている。」という考え方も実はあいまいです。〝生きている〟というような生物学的な用語をコトバのような歴史的で文化的なものに使うと、それによって何を言おうとするかがわかりにくくなるからです。しかし、それはそれとして、コトバは生きているものなら、当然故障を起こしたり、負傷をしたり、病気になったり、非行をはじめたりということを認めなければなりません。そして、そうしたことに気づいたなら、すぐに適切な対策(修理、手当て、治療、保護)を講じなければなりません。
生きているコトバに対する適切な対策は、まちがった使い方にならないように、ぴったりしない使い方がひろがらないように、下品な使い方におちいらないように、正しく美しいコトバとして末長く使われていくように、みんなで努力することです。そのために、学校での国語教育があります。そのために、一流の新聞雑誌が正しいコトバによる文章をのせなければなりません。そのために、小説家は自分の文章に責任を持たなければなりません。(「三ぺんだけしか関孫がないわ」)
一見尤もらしいが、よくよく考へてみると実に怪しい。これは平井の言ふ「正しい」と云ふ言葉の意味があいまいだからである。平井は何を基準に言葉の正しさが定まると考へてゐるのだらうか。平井は「正しいコトバ」「美しいコトバ」と言つておけばいいだらうくらゐにしか考へてゐない。この程度の発想しかできない人が国語改革を実施し、推進してゐたのだから、「現代表記」の内容が好い加減なものになつてゐるのは当り前である。
言葉の正しさは常に先例によつて決められるものだし、さうやつて決めるしかない。「昔からさう言つてきたからさう言ふのである」――しかし、それは、書き言葉でも話は同じである。もしこの事を国語政策の担当者が理解してゐたならば、国語改革のやうな事は絶対にできなかつた筈なのだ。(野嵜健秀)
一言で言ふなら「漢字は、いらない!」と云ふ意見を様々な理由を挙げて述べた本である。そして、日本語は難しい漢字に頼つてゐるのが悪い、漢字に頼らない表記こそが日本語を豊かにする、としてゐる。一見良ささうに思へるが、実はそんなに甘くない。
漢字が国語学習の大きな障碍となつてゐるのであれば、アルファベット二十六文字の英語はいとも簡単に覚えられる筈だし、漢語よりもカタカナの方が覚えやすい筈だ。ところが実際には漢字が苦手な人よりも英語が苦手な人の方が多いし、カタカナ英語はわかりづらいから漢語で訳してくれと言ふ人も多い。
そして、日本語は漢字が複雑で覚えづらいが、欧米の言語はたつた二十六文字なので便利だ、と云ふのも、単なる「無い物ねだり」ではないか。確かに文字の数は減るが、日本語が漢語の語彙に依存してゐるのと同じやうに、欧米言語も、異なる体系を持つギリシャ語やラテン語に由来する語彙に依存してゐる。英語は発音と綴りの関係が日本語の歴史的仮名遣よりも複雑だし、フランス語やスペイン語をはじめ多くの言語は、厖大な不規則動詞の活用表を見るだけでもうんざりする。どこかが簡単な分、別の部分が難しくなるのだ。
かと言つて、「日本語使用者の自覚によって、漢字でかかなければわからないような単語は、つかわないようにしよう」と云ふのも、実現性に乏しい机上の空論にしか思へない。漢語を使はない分、和語で置き換へ語を作るとなると、長い言葉になるだらうし、かと言つて、伝統を捨ててまでも英語由来のカタカナ語だらけの日本語に大改造するくらゐなら、潔く英語に乗り換へた方がマシと云ふものである。
なほ、著者はかつてNHK放送用語委員や、日本語文字コードの一九八三年改定(83JIS)に携はつてゐる。我が国で国語の研究や指導をしてゐる人々は、「国語の伝統を守り、正しい国語を愛する人々」だと思はれがちで、まさか「旧来の国語を破壊して新しい国語を創り出さう」と云ふ野望を胸に抱いてゐる人が交ざつてゐるとは想像だにしないだらうが、実態はかうである。(押井徳馬)
歴史的仮名遣の研究者は二種類ゐる。歴史的仮名遣を現代文に使ふ事を肯定する人と、否定する人である。後者は、国語改革以前の文章に使はれる歴史的仮名遣なら愛してゐるが、国語改革以後の現代文表記としての歴史的仮名遣を憎悪する。「現代文には現代仮名遣いを使うべきだ」とか「現代文に歴史的仮名遣を使うのは時代錯誤で衒学的だ」と非難する。
著者は自分を「歴史的仮名遣い否定論者」とみなすのは「誤解」だとする。しかし、著者の認める歴史的仮名遣とは、国語改革以前限定である。「現代仮名遣いのほうが、現代社会の文字生活に適している」「歴史的仮名遣いは、現代語表記の規範とするにはあまり適していない」と、早く完全に「リストラ」「お役御免」にしたい事が見え見えである。そして、「近代以前の仮名遣いと明治の歴史的仮名遣いは歴史的に繋がっていない」事の「証拠」を挙げた上で、「歴史的仮名遣いは国語の伝統ではない」と結論付ける。
確かに、説明の中で部分的には真実を語つてゐる。ところが、折角正確な事を理解してゐるのに、何故そんな結論に結び附くのだらうと残念に感じる部分も少なからずある。
特に、仮名遣の歴史に関する説明は、部分的な説明は正確でも、あまりにも仮名遣の種類を細かく分断し、別々のものに見せ掛ける傾向がある。そして、「藤原定家の時代の仮名遣と江戸時代の仮名遣と明治以降の歴史的仮名遣とは全くの別物で、しかも明治以前は雅文にしか仮名遣いの規範が適用されず、通俗文に仮名遣の規範など全くないも同然だつた」かのやうに印象操作してゐる。
確かに、「定家仮名遣」「契沖仮名遣」「(明治政府の)歴史的仮名遣」で内容は変つてゐるし、「良薬」を「れうやく」、「老い」を「をい」とした江戸時代のいろはがるたは、それらにきちんと従つてさへゐない。しかしそれでは、昔の人は表音式で書いてゐたのだらうか。「仮名遣の乱れて」ゐた江戸時代の庶民でさへ、いろはがるたのやうに「発音通り」ではなく、むしろ「昔つぽく」書いてゐたので、戦後教育を受けた現代人はその時代の仮名遣に少々違和感を感じるくらゐである。さう考へると、国語改革以前は、仮名遣の規範の細かな違ひや、それにどれだけ忠実に従つてゐるかに関はりなく、大原則として「昔の表記と思はれる物を手本とする」事だけは共通してゐたのではないかと私は思ふ。根本原則を「昭和時代の標準語の発音通りの表記」に丸ごと入れ替へたのが「現代かなづかい」である。
そもそも、「歴史的仮名遣は明治時代以降の伝統」といふ理窟が通用するのなら、「ひらがなは変体仮名の整理された明治時代以降の伝統」と呼ばないのはどうしてだらう、といふ疑問も残る。
著者は文部省の教科書調査官だつた経験から、国語教科書の歴史的仮名遣の説明について、「歴史的仮名遣いが発音の規則であるかのように誤解させること」「歴史的仮名遣いが古文専用の仮名遣いだと誤解させること」の問題点を指摘してゐるが、「お前が言ふな」と言ひたいところである。特に「歴史的仮名遣は古文専用」と云ふ誤解が広まつたのは、著者の主張のやうな「現代語には現代仮名遣いを使うべきだ」と云ふ風潮から生まれたのだから。(押井徳馬)
雜誌「聲」創刊號(昭和三十三年)〜第五號(昭和三十四年)に連󠄀載された記事をまとめたもので、戰後の國語改革を主󠄁導󠄁した國語改良論者の主󠄁張、特に「現代かなづかい」を批判󠄁し、歷史󠄁的󠄁假名遣󠄁を擁護する本。
第一章『「現代かなづかい」の不合理』では、表音󠄁主󠄁義を趣旨としながらも筋の通󠄁つてゐない例外だらけである事を暴いてゐる。第二章「歷史󠄁的󠄁かなづかひの原理」では、歷史󠄁的󠄁假名遣󠄁の原則を「表記法は音󠄁にではなく、語に隨ふべし」と說く他、表音󠄁主󠄁義者による批判󠄁への反論を擧げ、「たとへ表音󠄁文󠄁字を用ゐても、私たちの內部には、語としての表意󠄁性への志向といふべきものが、ほとんど本能的󠄁に働いてゐる」と說明󠄁する。後の章では歷史󠄁的󠄁假名遣󠄁の習󠄁得法や文󠄁法的󠄁な解說、そして最終󠄁章では國語改革の歷史󠄁的󠄁背景について解說する。
行き過󠄁ぎた戰後國語改革の有り樣に一石を投じた本であり、國語國字問題を扱󠄁つた本として決して外す事の出來ない一册。歷史󠄁的󠄁假名遣󠄁を擁護する人々は著名人から無名の個人まで數々ゐるが、その殆どがこの本の影響󠄂を受けてゐると言つて過󠄁言ではないだらう。そして戰後敎育世代が大半󠄁を占める時代となつた二十一世紀の現代でさへ、そんな若い世代がこの本を讀んで歷史󠄁的󠄁假名遣󠄁使󠄁用者に轉向する姿󠄁を度々見掛ける程󠄁、今なほ影響󠄂力の强い本である。現在では文󠄁春文󠄁庫として復刊されてゐるので、まだお讀みでない方には基本の一册として是非ともお薦めしたい。(押井德馬)
著者の吉田富三は、「吉田肉腫」を発見し、国産初の抗がん剤を開発した事で知られる癌研究の権威。昭和三十六年から国語審議会委員を務めた。吉田氏の認識として、日本の国語問題は「全く世界に類のないもの」であり、特に「当用漢字表」「現代かなづかい」の制定は「漢字全廃による日本語ローマ字化の意図を内に蔵した国語改良論が、初めて国の国語政策として実施されたもの」である。戦後の国語改革は、明らかに日本語の表音化を目指すものであつた。問題は、さうした狙ひを改革の当事者が隠蔽し、意図をぼかし続けてゐた事である。国語審議会の委員に就任して以来、吉田氏は国語政策の性格を明かにする事を目指し、第六期の国語審議会でひとつの提案を行つた。それは審議に入る前に、主流派の委員に握り潰された。
吉田氏は昭和三十九年三月十三日の第七期国語審議会で改めて提案を試みた。「国語審議会が審議する「国語」を規定し、これを公表することに就いて(提案(一))」である。これは第六期に於る提案を改めて提出したものだつた。
議案
国語審議会が「国語」に関して審議する立場を、次の如く規定して、これを公表する。
「国語は、漢字仮名交りを以て、その表記の正則とする。国語審議会は、この前提の下に、国語の改善を審議するものである。」
吉田氏は「これを国語審議会の名で世に公にすることが出来るか」と迫つた(昭和四十年十二月九日 国語審議会総会)。
これに加へて、吉田氏は「現代かなづかい」制定の基本方針について(提案(二))」を提出、国語審議会にその立場を明かにするやう迫つた。
議案
「現代かなづかい」は、日本語の新しい仮名遣ひを創造することを企図したものか、歴史的仮名遣ひを基準として、その不合理、不備の点等を正すことを方針とするものか、何れであるかを明かにすること
これら二つの提案に加へて、吉田氏は「小学校の漢字教育について(提案(三))」、「国語に於ける伝統の尊重について(提案(四))」を提出。いづれも審議会主流派はまともに取合はうとしなかつた。最終的に、この時の国語審議会会長・森戸辰男は以下の新聞発表を行ふ事で事態を決着させようとした。
国語審議会においては、今日まで漢字かなまじり文を前提として審議を行なってきたのであります。文部省においても漢字かなまじり文を対象としてきているので、漢字全廃ということは考えられません。
過去の国語政策に関する認識としては明かにをかしいが、兔も角もこの発表によつて漢字全廃が目標であつた戦後の国語改革は一大転機を迎へた。昭和四十一年、中村梅吉文部大臣の諮問に基いて第八期国語審議会が始まるが、「大臣あいさつ」には「今後のご審議にあたりましては、当然のことながら国語の表記は漢字かなまじり文によることを前提とし」と云ふ文言が盛込まれた。その後、従来の「統制」的な「当用漢字」は、「目安」としての「常用漢字」へと改められる事になる。
本書にはこれらの所謂「吉田提案」と、昭和四十年十二月九日の総会に於る「提案(一)の趣旨について再度の説明」が収録されてゐる。随想集の趣旨に合はないとの事で、やや小さな活字で印刷された「資料」として収められてゐるが、歴史的な意義のある献である。(野嵜健秀)
大修館書店から沢山出てゐる「言葉に関する随筆集」の一冊。著者の魚返善雄は支那語・支那文學を專門とし、漢文に造詣の深い人物である(『漢文入門』等の著作がある)。国語政策絡みで、どの団体・組織にも所属してゐない。本書では「自由な意見」を述べたと言つてゐる。
日本語の表音化を推進する主張には批判的な立場をとる。国語改革を皮肉つて斯う述べてゐる。
漢字の問題は相当にむずかしく、わたくしなども二十数年ほとんど専門に勉強しながらよくわからないので、漢字に縁の深くない人たちが自信をもって「当用漢字」を決定する能率のよさには敬服している。しかし決定されたものの能率がよいかどうかは別問題である。このごろ当用漢字が赤ん坊の名つけに不十分だとかで、新しく追加しようという意見が出ている。当用日記にはカボチャのつくりかたまで出ているのだから、当用漢字表にも赤ん坊の名ぐらい出ていてよかったはずである。
責任を気にする人たちは、いったんきめた当用漢字を変更するのはイヤなのか、選ばれた字の読みかえをすすめているが、いかにも貧乏国の指導者らしい。洗面器にタクアンを入れても食えるじゃないかという能率主義であろう。だが、洗面器がツケモノ鉢になると、それだけ用途が複雑になる。単純化を目ざす能率主義者らしくない逆のやりかたである。いくら貧乏人でもツケモノ鉢ぐらいはほしい。(「貧乏国の文字」)
魚返は、漢字制限の非を鳴らすが、漢字を濫用して読み辛い文章を書いてゐるのではなく、寧ろ読み易い文章を書いてゐる。さう云ふ人が、急進的な国語改革論者の発想・手法を批判し、合理性の欠落を指摘してゐるのである。世間の人はもつと注意を払つて良いだらう。(野嵜健秀)
地名、人名、外國語の飜譯、詩歌等樣々な話題を扱ふ。人名用漢字について「平易は善、難解は惡」といふ風潮には、畫數の多い漢字は片假名や平假名よりも覺えやすい、愛著も湧くと反論する。また、漢字排斥運動の始まつた明治時代の、傳統的な國語表記の受難の時代に於いて、あの文語譯聖書の名譯が生まれた奇跡について、そしてその飜譯の何處が美しいのかについても具體例を擧げて說明する。
本書は引用文を除き全て正字正かなで組まれてゐるが、著者も漢字制限と現代假名遣に反對の立場である。公文書や新聞だけならともかく、文藝にまで及ぶのは、繪畫の色を制限するのと同じ位に、作品の本質に關る深刻な問題だと非難してゐる。(押井德馬)
「学校では教えてくれない日本語の秘密」(二〇〇五年、芸文社)を加筆修正した文庫版。
特に戦後の国語改革に至つた歴史的経緯を詳しく説明してゐる部分は、興味深くストーリーが展開していくので、これまで知らなかつた人も、既に或る程度知つてゐる人も、引き込まれる事間違ひ無しである。
そして、かつて漢字廃止の危機があつた事、現代かなづかいが実際には歴史的仮名遣に依存してゐる事、交ぜ書きや「同音の漢字による書き換え」の弊害など、国語改革にまつはる問題をわかりやすく説明する。国語国字問題について知りたい人がまづ最初に読むべき入門書として推奨したい。(押井徳馬)
四十八ページのパンフレット。「現代かなづかい」の「よくある疑問」を解説したもの。「現代かなづかい」の規則に基いて書き方を定めて見せるのみならず、規則を通して「現代かなづかい」の性格を明かにし、考へ方を示唆したり、新たに導入された概念を説明したりしてゐる。
巻頭、まづ「現代かなづかいに對する反對論または批判論にどういうのがあるか」と云ふ質問が示され、その回答として十一の意見が八ページに亙つて列挙されてゐる。ここは参考になるのでそのまま引いておかう(語の例示を一部省略した)。
(一)歷史󠄁的󠄁かなづかいがむずかしいとか、それを學習󠄁するために多大の時間と勞力とを要󠄁するとか、その時間と勞力とを他の學習󠄁にふりむければ、わが國の文󠄁化󠄁は從來よりも更󠄁に向上するであろうから、かなづかいを發音󠄁式にあらためるがよいというような說は、國語敎育の怠慢をかなづかいに轉稼したもので、安易主󠄁義・便󠄁宜主󠄁義に墮した愚論である。……
(二)本案は、現代語音󠄁にもとづいて、現代語を、かなで書きあらわす場合の準則を示したものであるから、從來のかなづかいの改訂でなく、現代語音󠄁の音󠄁韻の識別に基礎をおくという新しい準則に立っているのである。これは、文󠄁語と口語とを二元的󠄁に考えることであって、許されないことであるばかりでなく、その結果は、かなづかいの混亂をひき起󠄁こし、學習󠄁上の負擔を增し、ひいては本案の權威を疑わしめる理由の一つともなっている。
(三)現代語の音󠄁韻意󠄁識によって書き分󠄁けるという表音󠄁主󠄁義にもとづいてかなを用いるということになれば、いきおい、かなづかいの根柢は、記載者各自の音󠄁韻意󠄁識の反省に存することになり、これを徹底させると、同一の語も地域的󠄁に異なる場合が生じ、また、時と場合とで相當の差異が生ずるのは必然である。いわば、表音󠄁主󠄁義は表記の不斷の創作とならざるを得ないのである。これは、古典かなづかいの困難をすくおうとして、さらに、表記の不安定という問題に逢󠄁著したことになる。本案の主󠄁張する表音󠄁主󠄁義は、實は表記の際における準則として考えられるべきことでなく、舊かなづかいを改訂する場合の改訂の準則として立てられるべきものであったのである。(古典かなづかいを出來るだけ現代語音󠄁に接近󠄁さすように考えなければならない。)
(四)歷史󠄁的󠄁かなづかいの基礎になった上代かなづかいは、いまだ語とそれの表記との間に固定かなかった(原文󠄁のママ)時代、すなわち、かなづかいの傳統が成󠄁立しなかった時代に、全󠄁く新しくかな表記をこころみようとしたところに成󠄁立したもので、そこに表音󠄁主󠄁義が成󠄁立するのは當然である。ところが、現在は全󠄁く事情󠄁が異なっていて、すでにかなづかいの傳統が成󠄁立している。言語において傳統を無視することは、いわば、言語の本質の否定に外ならない。問題は、與えられた傳統を如何にして言語の變遷󠄁の事實に合致させるかにあるのである。この點からも、かなづかいの解決は、表音󠄁主󠄁義という舊かなづかいとは何のかかわりもない新しい準則によって成󠄁しとげられるべき問題でなく、傳統に對して如何に手を入れて行くべきかによって解決せられるべきことなのである。……
(五)かなづかいには、改訂して差支えのない部分󠄁と、そうでない部分󠄁とがある。その限界が理論的󠄁にはっきりされていない。
(六)表音󠄁主󠄁義かなづかいということが、國語の民主󠄁化󠄁を意󠄁味するが如き錯覺に陷っている。そして、一方そのような錯覺を利用するが如き傾向すら認󠄁められる。
(七)現代かなづかいを用いると、古典に用いられているかなづかいと緣がきれ、したがって、古典との連絡を絶つことになる。
(八)現代かなづかいが現代語音󠄁を基準とするからには、現代語音󠄁そのものの標準を確立しなければならない。つまり、標準語の標準音󠄁をけっていしなければならない。然るに、現代においては、これがまだできていない。不確定なものを基準にするところに無理がある。たとえば、「命令」「經營」「衞生」は、「メーレー」「ケーエー」「エーセー」であるか、「メイレイ」「ケイエイ」「エイセイ」であるか、「クワ」と「カ」、「グヮ」と「ガ」、「ジ」と「ヂ」、「ズ」と「ヅ」は、それぞれ區別があるのかないのかの如きはその例である。個人により、土地によって書き方が違󠄂っているようなことは、かなづかいとしては不徹底である。
(九)歷史󠄁的󠄁かなづかいとの調󠄁和がよくとれていない。準則とか本則とか言って、統一すべきかなづかいの中に、なお統一されていないものか(原文󠄁のママ)ある。現代語音󠄁にもとづくと言いながら、從來の書き方を保存し、新體制の中に舊體制を交󠄁え、新と舊とがなれあっているのは、急󠄁激な變化󠄁をさけ、感情󠄁的󠄁ななじみを重んじたによるのではあろうが、不徹底であり、不合理である。……
(一〇)舊い歷史󠄁的󠄁かなづかいを知らなければ書けないもののはいっていることは、新舊混同で、よろしくない。
……
(一一)語原の知識や、語の複合意󠄁識をもたなければ書けないようなものがはいっているのは、不都合である。すなわち、二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」は、「ぢ」「づ」と書き、同音󠄁の連呼によって生じた「ぢ」「づ」は「ぢづ」と書く、という例外は、もし徹底させようと思えば、一語一語についてその書き方をきめておかなければならない。たとえば、「著しい」は「いちぢるしい」と書くのか、「いちじるしい」と書くのか、また、「ちぢみ」「つづみ」は、果して、同音󠄁の連呼なのかどうか、一般人には判󠄁斷がつかない。
(一三)かなづかいは、單語の書き表し方に關するもので、語によって一定していなければならない筈のものである。個人によって、または土地によって、書き表し方が違󠄂っているようなことであってはならない。だれか(原文󠄁のママ)書いても一樣でなければならない。したがって、現代語音󠄁にもとづくものと、從來の書き方にもとづくものと、二つの原則がまじっていても、それが同一語に關するものでないかぎりは許せるが、しかし、同一語に關する書き方に、許容的󠄁な取扱󠄁とは言いながら、地方によって、また人によって、違󠄂った書き方をしてもよいと認󠄁めたのは、かなづかいの本質にかんがみて許し得ないことと思う。
現代かなづかいは、決定的󠄁なものではなく、妥󠄁當なかなづかいに落ちつくまでの過󠄁渡的󠄁なものであり、當用的󠄁な性格をもつものであろう。しかし、現代かなづかいに、語の書き方を一定しようといふ(原文󠄁のママ)强い精神の見られないことは、まことに物足りない。
以上は本書の記述をそのまま転記したものだが、これらの指摘について、直接の回答は与へられてゐない(どんな批判があるのか、と云ふ質問への答だから)。
続いて、「現代かなづかいの中で、發音とこれを書き表わすかな文字との間に、くいちがいのあるものには、どういうのがあるか。(つまり、發音どおりに書かず、書いてあるとおりに發音しないものに、どんなのがあるか。)」と云ふ質問が現れる。ここから先は全て「現代かなづかい」の規則の紹介であり、「現代かなづかい」の性格を説明(弁明)してゐるだけだから、類書と何も変らない。それらの説明が、「現代かなづかい」で結果として定められた各々の語の書き方を正当化するだけのための、辻褄合せに終始してゐる事は、改めて言ふまでもない。
しかし、「八 動詞の下についている「う」は、助動詞であるのか、それとも長音記號なのであるか。」と云ふ質問の回答では、「現代かなづかい」の規則に基いた説明がしどろもどろになつてをり、結局「「う」は、一方においてオ列長音の表記であると同時に、助動詞ででもあると言う二元的なものとなるのである。これは、かなづかい整理としては、決して好ましいことではない。故に、こういうあいまいさに陥らないようにするために、オ列長音の表記そのものを別の表記に改める必要があると思う。」と著者の意見を表明せざるを得ない羽目になつてゐる。
「一三 同じ漢字が、ある時は「ち」「つ」のように清音によまれ、ある時は「じ」「ず」のように濁音によまれる場合がある時、その濁音表記は「ぢ」「づ」と書くのか、「じ」「ず」と書くのか。」と云ふ質問についても、一往、「現代かなづかい」の規則を「理論的」に説明してはゐるが、やはり著者としては違和感があつたらしい。
以上のようなわけであるが、ほんとうに徹底的󠄁に考えることになれば、二語の連合であろうが、同音󠄁の連呼であろうが、語原にとらわれることなく、發音󠄁どおりに書くようにすべきであると思う。これは、將來現代かなづかいが再檢討される時には、十考えて合理化󠄁しなければならぬ點の一つである。……
著者・木枝は、表音主義を支持する立場の人物であり、「現代かなづかい」を始めとする国語改革にも協力的な態度を示してはゐたが(本書の直前に『解説 現代かなづかいと當用漢字』を刊行してゐる)、理論的には満足してゐなかつた。書き方にも公正であらうとする姿勢がよく見え、比較的良心的な学者ではあつた、とは言へよう。
巻末の「あとがき」では津田左右吉の「いはゆる『新かなづかひ』に對する疑ひ」を叮嚀に紹介し、「傾聽すべき議論であると思うが、同時に、この中には、愼重に考えなければならぬいろいろな問題が含まれているので、簡單にこの疑いを處理するわけにはいかないと思う。」と述べてゐる。表音主義者としてはやはり歴史的かなづかひを擁護する意見には賛同したくなかつたらしい。(野嵜健秀)
世界の言葉から説き起こし、その中における日本語の位置を定めてから、日本語の発展を概観、現代の日本語のありやうを観察して、最後にこれからのあるべき日本語の姿を考へる。著者は言語学を専攻し、主に北欧文学の研究・紹介に尽力した文学者で、児童文学の翻訳でも知られる。「あとがき」で「体系的な学術書ではない」と断つてゐるが、多くの資料を用ゐて、一貫した概説書に仕立ててゐるのは立派。
話の流れから当然、最後は国語問題に触れてゐる。著者ははつきり国語改革を非とし、強い言葉で非難を浴びせてゐる。
ここでひとつ、文字やカナづかい、送りガナといった、書きことばの問題に目をうつそう。といえば、そんなものはことばを書き表わす外形的なものにすぎないんだから、大した問題でもあるまい、と言う方もありそうだ。ところが、大違い。文字やカナづかい、送りガナなども、特にわれわれの日本語の場合には、ことばの体系全体に深いかかわりをもっているのだ。かりに、漢字の制限ということだけを例にとってみても、いろんなことが考えられる。たとえば、ある漢字が制限されて使えなくなったばっかりに、それを別の漢字で書きかえたり、さらに別のことばに言いかえたりしなければならないものだから、語彙がかなりの変動をみせることになる。しかも、どんなに別のことばに言いかえたいと思っても、言いかえられないということもちょいちょいある。そうなれば、おのずと語彙の貧困化ということも考えねばならない。そればかりか、漢字制限の結果、どうしてもカナ書きが多くなるため、単に単語の言いかえばかりでなく、いろいろと違った表現をしなければならない場合も生じてくるのだ。
矢崎は、日本語の特質として、書き言葉が日本語と云ふ言語の成立に深くかかはつてゐる事実を指摘してゐる。書き言葉の改革は、即座に日本語全体の改造に直結する。漢字制限が実施されたわけだが、その結果として日本語が大きく変るであらう事、場合によつては漢字制限以前よりも悪くなる事もあり得ると述べてゐる。
漢字制限について、矢崎は全否定するわけではない。「みんなの気持で、自然に、スムースに進んでゆくのならば」漢字制限も音訓整理も賛成だ、と言つてゐる。しかし、現実の国語改革は、そこが問題だつたわけだ。
いったい、漢字の数がどのくらいあるものか、わたしは知らない。中国の「康熙字典」には、四万五百四十五字あるようだ。けれども、われわれがじっさいにふだん使っているのは、だいたい三千から四千字ぐらいのところだろう。明治以後に、漢字の使い方がいちじはぐんと激しくなったが、「古事記」あたりでも千五百字ちょっとだし、「万葉集」でも二千五百字余りしか使っていないらしい。こんなことをいろいろとにらみ合せれば、いちおう、みんなの目安となる基本漢字として二千五百字ぐらいを選ぶのは、大いに意味のあることだろう。けれども、すぐ後で話す「現代カナづかい」にしても、「送りガナのつけ方」にしてもそうなのだが、こういったことばや文字の問題を、だれもが納得できるような線できめるということは、並大抵のことではない。ことに、漢字を千八百五十字に限るなんてのは、最初からだれをも満足させることは望みもつかないことなのだ。「当用漢字表」の字数をどうして千八百五十にしたか、そしてどういうふうにしてそれを選び出したかという、科学的裏づけとか根拠というものは、まったく示されていない。これでは、いまだにケンケンゴウゴウたる有様であっても仕方がない。聞くところによれば、「魅力」の「魅」という字は、元来はいらないはずだったが、山本有三さんから、「魅」がぬけると、日本語に「魅力」がなくなると言われたから、入れたという話だ。そうなれば、「明瞭」の「瞭」という字がないからこそ、目本語の「明瞭」さは失われてしまったのだと言いたい人も出てこようというものだ。これでは、行きあたりばったりの審議の結果だと、非難されても当然だ。
こんなしだいだから、わたしなども、漢字制限の方向はいいとは思うものの、確実な理由づけのないものを、戦後のどさくさにまぎれて、ご丁寧にも外部の力をかり、頭から圧しつけるというやり方は気に入らない。理想的には、むしろ二千五百字ぐらいを基本的な漢字として参考までに発表し、それを中心として二千字ぐらいを中学の終りまでに習わせ、あとは適宜みんなにまかせて、しばらく使い方をながめたうえで、必要なものは加え、いらないものは捨てて、そこでまた案を立て直すべきだったろう。もちろん、かなりの時間的余裕をもって。しかし、そんなことを言っていれば、いつまでたったって漢字制限なんて実行できつこない。それでなくてさえ、漢字を制限すると言いだそうものなら、やれ日本の美しい伝統を破壊するものだとか、やれ表現の自由をうばうものだとか騒ぎたてて、まっこうから反対する人も大勢いるのだから。と言われるかもしれない。だが、それなら、ますます気長にやればいい。なにもあわてることはないではないか。けれども、いまはこんなことを言ったって、後の祭りだ。では、現実にもどろう。
ともかく、上からの圧力という、こういう思いきったことをやったからこそ、当用漢字がこれだけ実施されるようになったのは事実だ。だが、どんな形にもせよ、漢字を制限すれば、それにつきまとってかならず起ってくる問題がいろいろとある。つまり、さっきもちょっと触れたように、当用漢字が制定されたおかげで、われわれのことばの生活も大きな影響をこうむっているのだ。たとえば、「編輯」の「輯」が使えないために、「編集」と書きかえたり、「瀆職」の「瀆」がやっぱり当用漢字表にないために「汚職」と言いかえたりしなければならなくなる。こういったことは、しょっちゅうだ。もっとも、こういう言いかえによって、耳ざわりのいい、やさしい和語が新しくどんどん生するのなら、かえって、もうけものということにもなるのだが。
可なり長く転載したが、実に尤もな意見だと思ふからだ。「現代かなづかい」批判もなかなかきつい調子である。
たとえば、「ぼくは学校へ行って、本を読む」のように、助詞の「を」はもとのままに書き、「は」と「へ」も、もとのままに書くのを本則としてしまった。もっとも、「は」と、「へ」は、「わ」、「え」と書いてもさしつかえないという。そこで、「お買物は伊勢丹え」(わたしの住んでいる祖師谷の伊勢丹寮に、こういう広告がデンと出ている。)などという書き方も生じている。それから、オ列長音やオ列拗長音も、「おうじ(王子)」だの、「とうきょう(東京)」だのといったぐあいに、「う」を使うのが本則となっているが、いっぽう「とおい(遠)」などのときには、「お」を使えという。さらに、「はなぢ(鼻血)」とか、「つづく(続)」のように、二語の連合や、同音の連呼によって生じた「ぢ」、「づ」は、やはりもとのままに書く。「言う」にしても、活用形の関係から「ゆう」とせず、「いう」と書く等々。
これで、「現代カナづかい」は表音式をねらってはいるものの、これに対する反対を恐れて、従来のカナづかいとかなり折り合っていることが、お分りになるだろう。この点、「現代カナづかい」は、たしかに便宜的なものだ。新しくカナづかいを習う小学生にとっては、こっちのほうが、「旧カナ」をおぼえるよりはずっと楽だろう。そのかわり、「歴史的カナづかい」を離れるために、古典への親しみがぐっと薄れてゆくことも否定できない。さらにいっぽうでは、政府でいったん定めたカナづかいを、百年とはたたないうちに、そうあっさりと変えるのはいかん、という声も聞かれる。そうして、もうひとつ、なによりも面白くないのは、やっぱりこれも、「当用漢字表」と同じく、他力本願で政府が強制的に圧しつけたということだ。といったところで、いまでは、この「現代カナづかい」の「まえがき」に、「主として現代のうち、口語体のものに適用する」とあるとおり、法令、公用文はもとより、教科書や新聞、雑誌にまで用いられてしまっているのだから、いまさら何をか言わんやかもしれない。だが、こういう折衷的便宜的なものを、一時の政策として押しつけられてばかりいてはたまらない。すぐつぎにつづく「送りガナ」の問題にしても同じことだが、どうも官僚は功をあせりすぎるきらいがある。ことばや文字の問題は、もっとじっくりと気長にかまえていくことが必要だ。事情は多少違うとはいえ、英、米などの「綴り字改良」の問題は、わが国よりはるかに古い歴史をもっているが、いまだに論議をつづけているではないか。
送り仮名の問題についても矢崎は言及してゐる。さすがに送り仮名の統一は無理があつて、原則が立てられるわけもないから、それを強行しようとすれば非難の声があがるのも当然だ。一往三つの原則があるやうだが、「慣用通り」なる「くわせものの原則」があるからややこしい。ここまでややこしいと、面倒臭くなつてカナだけで書くやうになる人も出てくるかも知れない。さうなれば送り仮名の規則を制定するのも「漢字追放の一手だ」との臆測が出てきても仕方がない。云々。
「くりかえし言うけれども、ことばの問題、文字の問題はむずかしい。ことばも、文字も、背後に長い歴史をもっている。人の手ではどうにもならない自然の歴史を。国語、国字の問題は、むろん、ある程度の調整を加えることは必要だろうが、あまりにも露骨に政策がましく、高所から折衷的なものばかりを圧しつけるべきではあるまい。」――矢崎の主張はこの一点に尽きる。(野嵜健秀)
鈴木孝夫は言語学者。『閉ざされた言語・日本語の世界』『武器としての言葉』等の著作で知られる。井筒俊彦に師事した。
本書は、著者が還暦を迎へるに当つて出版された回想録のやうな本で、全篇口述筆記による。独特の発想に基く鈴木氏の言語学について、氏の考へる日本文化の型と云ふものについて、そして、氏の生き方・考へ方について、氏自身の言葉で語られてゐる。
鈴木氏は、ヨーロッパの各言語や日本語について、それぞれ特質がある事を述べ、日本語の書き方には特徴がある、それもヨーロッパの言語にはない優れた点がある、と述べてゐる。
……。つまり、文字というのはせっかく発明して、紙の上に書く。文字というのは本質的には目に訴える。目というのは耳にくらべて記号弁別能力は百倍もあります。だから馬車よりも能力が数百倍あるという自動車です。ところが目を使っていながら、ヨーロッパ人のアルファベットというのは音で聞けるものしかあらわさない。旗振りの後を走る自動車です。ところが日本語では目は耳以上の能力があるから目の能力も使いましょうということで、聞いて分からないけれども、目で見ればわかるという二重構造にした。人類の進化から言うと断然一歩先を行っていると考えられる。
斯うした日本語の特質を、鈴木氏は「テレビ型言語」と称してゐる。
ヨーロッパの言語では、似たやうな発音だが意味の異る語は両立しない。英語で言へば、「いい女」「女王」を意味するqueenと、「あばずれ」「商売女」を意味するqueanがあると、queanが標準英語からはじき出されてしまふ。「見る」のseeと「海」のseaが、同じ発音になつても両方残つたのは、動詞と名詞で、分布が違つたから。
ところが日本語の場合は分布が同じだからわざと字を変えるということをする。それによって造語力が増す。「入場料」という語が松江のお城なんかに行くと「入城料」となる。「遊園地」を豊島園では「遊園池」、「池」だというふうにむしろまぎらわしい時にこそ同音語を作りたがる。
一方、フランス語には抽象性が高い特徴があり、ドイツ語には具体性に富むと云ふ性質がある。シャルル・バイイ『一般言語学とフランス言語学』から鈴木氏は例を引いて説明する。
「人間が位置を移動して行く」ということに関しては、フランス語は aller つていう動詞一つ。一方ドイツ語は、まず「歩いて行く」(gehen)、「車に乗って行く」(fahren)、「馬に乗って行く」(reiten)。このreitenとfahrenとgehen、「人間の位置の移動」という抽象的な部分は共有していてただ手段が違う。フランス語の場合はその共通部をカッコでくくり出して、因数解して aller とまず言う。そうしておいて、具体的に言いたい時は à pied (足で) とか à cheval (馬で) とか en voiture (車で) と言う。フランス語は現実に違った動作なり事物のもってる共通項に着目して、その共通項に言葉を当てはめる。ドイツ語に比すと、抽象的だというわけです。別の言い方で言えば分析的。ドイツ語は具体的、つまり歩き方と移動手段の化合物を出してくる。もちろん全語彙を比したのではなくて、主に動詞をやった。
例外は勿論あります。……
取敢ず、言語における抽象的・分析的な表現と具体的な表現の違ひはわかると思ふ。抽象的・分析的な表現では、表現されるべき内容を細かく分析して、要素を説明的に追加して表現する。具体的な表現は、一語に豊富な内容を盛込む。
フランス語は、そのために語彙数が少なくなってくる。少ない単位の組み合わせ方式ですから全体数は少なくて済むわけです。ところが、ドイツ語は一つ一つの具体的な状況・場面にことばを合わせるから、どうしても動詞の語彙数が増えますね。
そこで、今度は日本語を考えてみる。日本のやまと言葉っていうのは、非常に抽象的なんです。日本人は「宇宙の中で空気が振動する」という現象を大ざっぱに二つに分けるんです。片一方は「なる」、もう一方は「なく」です。どうもコグネット(同語源)らしい。「雷が鳴る」「地鳴りがする」「太鼓が鳴る」とか、「無生物が振動して空気に音が出る」場合には「鳴る」で、生物の場合は、全部「なく」なんです。……「赤ん坊がなく」、「犬がなく」、「ニワトリがなく」、「ウグイスがなく」、全部「なく」です。おなかがすいてきてグーって言ったとき、「腹の虫が」と言うと「なく」、「腹が」って言えば「なる」。同じ空腹の音を、「虫」ととらえれば「なく」で、そうでないときは「腹がなる」。
ところが御承知のように英語では、赤ん坊がなく、犬がなく、鳥がなく、ちょっと調べただけで五〇位の動詞があります。それを一言聞くと、何がどんな風にっていう具体性がもりこまれています。
yap は子犬がキャンキャンなく、whimper は悲しそうにヒュンヒュン犬がなく、bark となるとやかましく吠える、さらに cry は声を出して、weep は涙を流して、あるいは whinny はうれしくてなく。小鳥の鳴き声でもwarble ならウグイスのような鳥がなく、twitter となるとスズメがないている。chirp コウロギがなく。honk 白鳥がなく、squeak ブタがなく。bleat 羊がなく。牛がなくには三つ位ある。子供は moo 、大人だと bellow 、または low と言う。馬がいななくは、neigh あるい はwhinny 。それらを日本語に訳すときは「なく」を使って、「チュンチュン」とか「うれしそうに」とか状況描写が入る。つまり、分析的で抽象的な言語は、ある与えられた状況を描写するときに長くなるという傾向がある。具体的、個別的な言語はひとこと言えばそれだけで状況が全部頭の中に浮かんできます。英語型、ドイツ語型、いわゆるゲルマン系は後者ですが、古代中国語は英語型、ゲルマン型の傾向が強いんです。
そこで日本人は、日本語の音節数の少なさを補うために日本語を漢字で表記することによって、英語型の個別具体性の強い要求と、フランス語と共通の、抽象的な使い方とを一つに合体したんです。……
鈴木氏は、例として、「かたい」と云ふ事について述べる。日本人は、抽象的に「かたい」と把握した事を、「堅」「固」「硬」「緊」等の漢字で書く事で「どういう風にかたいか」を字面で理解できるやうにした。「これは、科学・学問のやり方です」と鈴木氏は言ふ。「かたい」と云ふやまと言葉しかない場合、各種の「かたさ」について言ひ分けようとすれば、「輸入牛肉みたいに嚙んでも嚙みきれないかたさ」のやうな長たらしい説明的な言ひ方をするしかない。しかし、漢字で「硬」「堅」「固」「牢」「難」と書き分ければ、簡単に分かる。「それを「かたい」を漢字制限で「固」ひとつにしますよ、と言われると、やまと言葉に戻ってしまう。」
……実は、日本人は、自分達の、非常に南島的な、考え方によっては抽象的な、語彙の少ないタイプの言語を宿命的にさずかった。ところが、たまたま隣りに中国というおよそ日本と真反対の意味論的世界をもつ言語があったのでそれをうまく利用したわけです。
だからこそローマ字とか仮名書きでやっては駄目だと言うんです。それをやってしまうと、その中国的良さが全部はじき出されてしまうからです。文字改良論者とか、漢字制限論者は、そこまで考えているとはとても思えません。
言語に対する深い考察から、鈴木氏は日本で行なはれた国語改革に反対の立場をとつてゐる。
★
鈴木氏は、国立国語研究所に対しても、手厳しい事を言つてゐる。以下、その件りをそのまま転載する。
私は、この間の改選で国立国語研究所の評議員になりました。何か御意見はといわれたのでこういう話をした。
国立国語研究所は、行革によってだんだん人員が減らされてお先真っ暗、このままのテンポでいくと、数年後には人員新規採用がゼロになるという話ですが、国立国語研究所というのはそもそも設立の趣旨が究極的には日本語をやめて英語にする、そうもいかないから、せめて日本語をローマ字化する、それのための、科学的なデータを集める政府研究機関が要るということだった。つまり漢字制限、ローマ字化、英語化のための米国の、戦後日本教育改革の方針に沿って出来たものです。『アメリカ教育使節団報告書』というのが講談社学術文庫にありますけれども、その中で、近代の文明国で、これほどの言語的無駄を国民に強いている国は珍しいとか、何とかしてローマ字を採用することが望ましいとか、日本語を近代化するために、国立の研究機関を設けろとか、そういうことが書いてある。それを受けて国立国語研究所が出来た。だから、この研究所はそもそも日本語をつぶすための隠れみのの研究所なんだから、だんだんそうやってつぶれるというのは、むしろ時代の趨勢であり、望ましいことなんだ。
しかし、せっかく出来たものをゼロにしてしまうことはない。これを「日本語研究所」と改めなさい。研究所は法律で出来ているんですから法律を変えればいい、と。それで「国立日本語研究所」というふうにすれば、全く違った精神と方向と視野が開ける。くり返しますが、国立国語研究所の設立の趣旨は、要するに日本語をアメリカ流に近代化し、民主化することだった。だから当然漢字を減らす。国立国語研究所は、戦後初期の国語審議会の当用漢字制定の動きと軌を一にするんです。だから出発から間違っている研究所はなくなってしかるべき運命を持っているんだという話をしたわけです。それは私の持論「国語から日本語へ」から出てくるんで、我々の言語を「国語」ととらえるか「日本語」ととらえるかでそれはもう視野が全く違ってくるということと関係がある。……
(野嵜健秀)
いはゆる「舊漢字」を百十六個紹介し、その漢字を使󠄁つた名文󠄁、熟語、蘊蓄を紹介する。卷末には本文󠄁で紹介されなかつたものも含め、新字體と正字體の對應表も揭載されてゐる。
後書きによると、昭和二十年代は讀み物の類は殆どが舊字舊假名だつたが、當時の少年少女はほとんど何の抵抗も無く讀んでゐたと云ふ。現代のいい年した大人である我々が、當時の少年少女に負けるのも何だか悔しい話である。
なほ、本書の手書き文󠄁字部分󠄁は、飽󠄁くまでも活字體の形を手で書いて覺える爲のものと割󠄀り切つた方が良いだらう。實際には、手書きの正字體の傳統的󠄁な書き方は、活字體と違󠄂ふ事もある。(押井德馬)
交ぜ書き語の問題を専門に扱つた本。当用漢字表外であつても「どうしても使い続けたい」といふニーズから交ぜ書き語が生まれたと云ふ紹介に始まり、意味を表す漢字の一部を音を表すかなに書き換へた事で、漢語の構造を破壊し意味がわかりづらくなる欠点がある事、どれが表外字なのか暗記するのは非現実的である事、見慣れなかつたり画数の多い漢字でも必ずしも難解でない事、使用頻度が低くても重要な言葉はある事などを解説する。交ぜ書きではなく振仮名を、と云ふ著者の提言に私も同意する。
なほ、第二章・第三章は、交ぜ書き語の実例と本来の語の成り立ちの解説、そして交ぜ書き語約七百語を載せた小辞典も掲載してをり、参考になる。(押井徳馬)
「幼児に漢字は難しい」と思ひ込んでゐる大人は多い。しかし著者は「幼児にとっては、漢字はかなよりずっと覚えやすい」と言ひ切る。ピアノやヴァイオリンや英会話の幼児教育は広く知られてをり、見事な成果を挙げてゐるが、それは漢字についても同じ事が言へる。私の実体験からしてさうだ。
私自身は石井式の漢字教育を受けた事がないものの、四歳で漢字に興味を持ち始め、半ば独学で小学校に上がる前に小学六年間の教育漢字の読みだけは殆ど覚えて仕舞ひ、小学生も半ばになると大人の本を普通に読めるまでになつた。
しかし、私の幼少期の漢字の覚え方と、石井式での漢字の覚え方には違ひがある。私はひらがなとカタカナを先に覚えた上で、漢字とその読み仮名で覚えると云ふ、小学校と同じ方法で覚えたのだが、石井式は仮名に頼らず、いきなり漢字カードを見せて、漢字で物の名前を教へる。
とは言へ、試験で百点を取る為に覚える漢字教育ではなく、見た漢字を日常生活で使つていきながら自然に覚えていくと云ふ部分は共通してゐた。考へてみると、自分の友達の名前に学校で習はない漢字(時には旧字体でさへある)があつても、生活の中で自然に覚えたのではないだらうか。著者はこれを「〝漢字を教える〟漢字教育ではなく、〝漢字で教える〟漢字教育」と説明してゐる。
また、「漢字は難しい」は間違ひだ、「ひらがなは簡単」は迷信だ、とも説く。ともすると我々は、子供がすらすらと本を読んでゐるだけで満足する傾向があるが、子供が意味もきちんと読み取つてゐるとは限らない。「かなが易しいというのは、五十音を学べば、どんな文でも読める、と誤解しているからです。こういう人は、おそらく、ローマ字を学べば、英語やフランス語が、読めたり、書けたり出来る、と考えるのではないでしょうか。」と痛烈に非難してゐる。一方、「漢字は、読めて書ければ、国語も読めたり、書いたり出来るようになるのです。同じ〝字〟という名が付いていても、漢字とローマ字の働きは全く違っていることを、はっきりと認識しなければいけません。」と述べてゐる。確かに、表音文字であるラテン文字や仮名と異なり、表意文字である漢字を学ぶ事は、単に文字を学ぶ事に留まらず、一つ一つの漢字の意味も同時に学ぶ事になる。
私は著者の主張には殆ど同意するものの、一つだけ気附いた事があつた。石井式は過去の私のやうな独学者に向いてゐるかどうかである。独学で振仮名の無い漢字を読む場合は、漢字の形と意味はわかつても発音がわからない、まるで我々が中国語の看板を目にした時のやうにならないか、少々不安である。とは云へ、実際にはそこまで心配するには及ばないだらう。一旦「取つ掛かり」が出来れば、後は私もさうだつたやうに、修学前の子供であつても子供向けの辞書で自ら調べるに違ひない。
また、言ふまでもない事だが、幼児教育に於いて、ノルマを設定してのスパルタ式の「おべんきょう」は却つて逆効果で勉強嫌ひを生む事になるし、著者もそのやうな教育法を勧めてゐる訣ではない。しかし、その一方で、幼児が漢字に興味を示してゐるなら、「あなたにはまだ早い」ではなく「いつやるか? 今でしょ!」こそ適切な言葉である。日常生活で実践しながら自然に漢字を覚えていくことで、ただ発音するだけではなく、意味を的確に捉へる事が出来るやうになる。国語は全ての学問の基礎であるが、故・井深大氏の著作を捩つて言ふなら「小学校では遅過ぎる」。(押井徳馬)
読売新聞社会面に連載された記事をまとめた本。漢字の画の止め跳ね等、字形の細かな部分にこだはる指導への賛否両論、看板等に見られる異体字、漢字教育、一部地域でしか用ゐられない方言文字、当用漢字制定の経緯、字体整理・音訓整理・送り仮名の問題等について扱ふ。特に、国語改革の背景が詳しく描かれてゐるのが興味深い。
この本の発行された当時は戦前教育世代も多かつた事が感じられるが、それでも「明治生まれの老人」が「旧漢字世代族は一時的な不便をしのんでも、当用漢字の普及に協力すべきである」と、公共機関の表外漢字を「摘発」する運動を行つてゐる事を紹介してゐる。確かに当時の戦前世代は正字正かなで書き続ける人がゐたのと同時に、「現代表記」にすつかり宗旨替へした人も結構多かつたのを思ひ出す。(押井徳馬)
漢字教育の指導方法を述べた本。漢字の成り立ちについて説明し、具体的な漢字教育の方法を示しつつ、現実の教育における誤を指摘し、日本の国語政策の問題を論じてゐる。『先生と母親の漢字教室』の題で出版され、二年後に内容と題名を改めた。著者は大東文化大学教授。石井勲の漢字教育を参考にしつつ、長澤規矩也の助言を受けて、本書を著はしたと云ふ。
著者の立場ははつきりしてゐる。「まえがき」の冒頭に以下の記述がある。
漢字は日本人の生活から切り離すことができない。これから数千年もの先のことはいざ知らず、さしあたり、数百年ぐらいの間は、日本人の生活から漢字はなくならない、と断言することができる。そうときまれば、日常生活にどうしても必要な漢字は、少しでも早くマスターするのが得策である。ところが、漢字というものは、あまりにも、われわれ日本人に密接な関係を持ち過ぎていたためか、従来は、その覚え方とか、教え方について、格別のくふうが、試みられたということはなかった。……。
現代では、多くの教科で合理的な教育方法が採用されてゐる、しかし、漢字教育では旧態依然たる書取りが繰返されてゐる許りである、漢字の特長を利用した効果的で能率的な教授法が研究されねばならない……斯うした考へから著者の原田氏は長澤氏との共著で『漢字漢語の常識』を刊行した。当時は「当用漢字」が制定され、漢字を軽視する風潮があつたが、それが今では逆になり、みなが漢字教育に熱心になつて、行き過ぎや誤解が目立つやうになつてしまつた。だから、改めて漢字教育についての正しい認識を持つて貰ひたい、と云ふ事で新しい本を出したと言ふのである。
さうしたわけで、著者は先づ、漢字の性質を明かにすべく、漢字の成り立ちを説明する。もつとも、全ての漢字の成り立ちが判明してゐるわけでもないから、それほどつつこんで子供に説明する必要はない、と述べてゐる。(「だから、わからないのは、わからないとしておいて、少しもさしつかえない。むりにこじつけて説明するようなことは絶対に避けてほしい。」)子供に興味を持たせ、楽しく覚えさせる事が重要なので、教師が説明の手間を厭ふやうな事はあつてはならない、俗流の解説でも漢字を覚えるのに役立つならどんどん採上げるべし、との指摘も見られる。そして、漢字の成り立ちを教へるには新字体は不都合が多く、旧字体に戻す事も考へるべきだ、と著者は主張してゐる。
……。当局も最初から修正の含みを持っているのだから、不合理な点は、どしどし改めるべきである。国語審議会は、久しい間、ローマ字論者が会長であり、漢字についての専門家が全く除外されていたので、当用の意味があいまいになっていた。ほんとうに改革するならば、改革すべきものについての十二分の知識のある人が参画していなければ、その成果は期待し得ないことは読者におわかりであろう。
「一点一画をきびしくするな」「ふりがなのついた漢字をたくさん読ませよ」等々、著者の指摘は常識的なもの許りであるが、漢字教育では長年をかしな指導が続いてきたのである。
漢字の教へ方については、石井勲の方式を採用してゐる。生活の中で漢字に触れさせる事が重要なので、漢字の「難易」に拘るべきではない、との指摘には傾聴すべきものがある。
「正字と俗字」の項は「当用漢字」の字体批判である。康煕字典や説文解字に出てゐるからと言つて正字と言ふわけには行かない、と著者は説き起こす。
そして、一方には、従来は俗字・略字といわれていたものが、当用漢字の字体として定められている。が、しかし、当用漢字字体表の前がきには、「この表は、当用漢字表の漢字について、字体の標準を示したものである」とあって、正字を示したものとは、うたっていない。つまり、標準の字というものはあっても、確かな学問的裏付けのある正字というものはないというわけである。……。
学問的に正字と言ふのは難しいが、当用漢字字体表の漢字もまた正字と言ふ事はできない。
……。ところが、日本人の通弊として、何かの標準が示されると、それだけが絶対で、ほんのわずかでも違えば誤りと決めたがる。それが漢字教育の上にも、非常識な行き過ぎが生じている原因である。
著者は、現在でも出版社や印刷所で旧漢字を正字と呼んでゐる事を指摘し、当用漢字の新字体は俗字・誤字扱ひにされてゐるわけで、「愉快なことである」と言つてゐる。「現在のところ、当用漢字字体表の字を正字と呼んでいるのは一部の小中学の先生だけらしい。」ただし、著者は飽くまで漢字教育の観点からのみ物を言つてゐるにすぎない事に注意が必要である。一見、国語改革に反対の立場のやうで、必ずしも著者は国語改革を否定してはゐない。
中共では民間俗用の字体を積極的に取り入れて、文字改革を断行したが、わが国の当用漢字新字体は、字体表の作者が、極秘とされていた某書によっただけで、民間通用の字体を広く採用しようとはしなかったという、非民主的な産物なのである。
しかし、現実には「いつの時代においても、幾とおりの字体も心得ていなければならないという、字における二重生活三重生活は、避けようとしても、避け得られないものである。」と著者は説教してゐる。
だから、当用漢字字体表以外の字、つまり表外漢字を制限漢字などと称して、まるで仇敵視して、使うまい、使わせまい、とするのも行き過ぎであり、また、一方、当用漢字新字体を敗戦漢字と称して毛嫌いし、新字体を廃して旧漢字に復したい、と希望している者もあるが、それも愚である。字というものは、その発展の過程を案ずるに、一度、やさしくなった字が、再びむずかしいものに返る、ということは、絶対にあり得ない。そればかりか、将来は今の字体よりは、さらに簡易化の道をたどることであろう。
歴史の傾向を述べるのはいい。が、歴史の傾向を促進する必要は全くないから、その促進を主張する人間を愚であると言ふのは良い。が、歴史の傾向に反撥する人間を「愚である」と極附けるのは何うだらう。この著者の考への甘さが垣間見える記述である。
この記述に続けて、著者は「漢字の統一」は不可能だ、と述べる。
これは、漢字の字体を統一して、国民の使用する字体を一つにしようと図った、当用漢字字体表制定の精神とは反することであるが、もともと、人為的に統一しようとしても、できないことを、考えなしに、できると妄信した産物であり、無益な労である。そのままにしておけば、さしたる混乱がないものを、統一しようとしたために、さらに無益な混乱をまき起こしている面もあるのだからやむを得まい。わが国でも、古典の出版は旧漢字でなされるものが多く、シナ本土でも、啓蒙書以外は、すべて旧漢字を用してゐる。だから、印刷所では、新旧ふたとおりの活字を用意せねばならず、それが、印刷所の大きな負担になっている。
著者は、漢字の字体を統一する事は不可能だ、と述べるが、これは旧漢字と新漢字の双方を認める、と云ふものではない。旧漢字はなくなるに決つてゐるが、さらなる略字は増えるだらう、支那の簡体字が入つて來る事も「覚悟していなければならない」、今後のさらなる漢字の簡略化を前提に、「漢字には、いくとおりも書き方があるのだ、ということを理解させる」必要がある、と述べてゐるのである。
以下、漢字の歴史や校正の方法等についての説明があり、実用書としての体裁は整つてゐる。終りの辺に「中華人民共和国の略字と日本の新字体」なる章があり、「中共の文字改革」「漢字の簡略化」「新字体と簡体字との違い」等の説明がある。字体の変更は歴史上、何度となく繰返されてきた、と述べる著者は、「新字体や簡体字も、後の世から隷書のように遇せられるときも来るのではあるまいか」、かつて軽蔑されてゐた隷書体ものちに典雅な文字と看做されるやうになつたが、新字体や簡体字にもさう云ふ見方の変化が生ずるのでないか、と考へてゐる。
それゆえ、筆者は、隷書が再び篆書に、楷書が再び隷書に逆戻りしなかったように、当用漢字の制定のいきさつには無理もあり、新字体については非難すべき点も多いが、簡略化した字が一度行われてしまえば、再び複雑な字には決して戻らないものと信じる。
歴史に傾向がある事は否定しないが、良し悪しの観点から著者が意見を述べられないでゐるのは、この著者の限界である。一往、結末の部分も引いておく。
なお、中共では、簡体字を用いているとはいっても、いっさいの刊行物を残らず簡体字にしているのではなく、新聞・雑誌や民衆に対する知識普及用の書物だけに限られており、古典の研究書は、すべて旧来の正字で出版されている。わが国では、古典を収載している文庫本や、国語・漢文関係の専門書でさえも、新字体で出版したり、原文だけは正字でも、注解や通釈には、新字体を用いるというような、非常に面倒な印刷をしているが、中共では、そのようなことはなく、古典の研究書は、最近の出版物でも、注釈・解説までも、すべて正字を用いている。そして、中共政府の文部大臣ともいうべき郭沫若氏などが、毛筆で書いているものは、やはり正字で書いているところから見れば、簡体字を採用しているとはいっても、正字をすべて抹殺してしまうという考えは全然ないようである。それよりも、簡体字は子どもや大衆の用いる字、正字は知識階級の字というように考えているのではないかとも、想像されるふしがある。このような中共の文字に対する態度は、わが国の学校教育で、正字(旧漢字)をかたきのようにみなしていたために、国文専攻の大学生でさえも、舊・辯・黨などの正字を満足に読めないものがあるようにしてしまっている現状について、大いに反省すべきであると思う。
漢字の状況をそれなりにしつかり捉へてゐるとは思ふのだが、どのやうにあるべきか、良し悪しの判断の部分で、この著者にはぶれがある。恐らく、著者自身にはその辺の自覚はあるまい。斯うした自身の判断の曖昧さが自覚されないまま、多くの書き手が国語問題を論じてゐる。その結果、無闇に高圧的で居丈高なお説教が頻出するわけである。本書は全体に不整合が多く、部分的には大いに賛同したい指摘もあるが、決して良く書けてはゐない。推薦の辞を寄せた宇野精一はその辺、可なり目をつぶつてゐるらしい。(野嵜健秀)
安本美典は言語学者。歴史学や言語学の問題を統計データをもとに検討、より確からしい結果はどれか、を明かにしてきた。邪馬台国論争での発言が著名。
統計データを用ゐるので、歴史的事実を明かにする、と云ふ観点から言へば、その結論は常に明瞭である。
安本は一九七〇年代末辺から日本語の「系統論」論争を検討してゐる。
ヨーロッパの言語はラテン語を祖語とし、祖語たるラテン語から各国語が岐れてゐる。これに対し、日本語は多くの言語が交ざつて成立してゐる。だから日本語の場合、「流入論」「成立論」として検討されねばならない。
印欧語族系の比較言語学は「失われた祖語の再建」を目標としてゐた。それに対して日本の国語史研究は、日本語に流入した日本語とは異る言語が存在する事を意識しなければならない。この結論に、安本は長年の計算の末に辿り着いたさうだが、しかしこの事は時枝誠記が『國語學原論續篇』で指摘されてゐた。安本は「時枝氏の洞察力のまえに、ただただ、脱帽するほかはない」と述べてゐる。
日本語の起源をレプチャ語に求めた安田徳太郎『万葉集の謎』は大野晋によつて否定された。しかし、その大野が今度は日本語の起源をタミル語に求めるやうになつてゐる。それを安本は統計による分析で検討してみた。その結果は簡単で、日本語とタミル語とははつきり「関係がある」とは言へない、同じ程度の「距離」の言語はいくらでもある、と云ふものであつた。
〔編註:転載図省略。『日本語はどのようにつくられたか』P.107 参照〕
事実を明かにするのには、統計学的手法は有効であらう。しかし、価値観の問題にまで統計学を持込んでしまふのは如何なものか。
老境に入つた安本も、多くの大家と同じく、「文章の書き方」のハウトゥ本に手を出してしまつた。ここでも安本は得意の統計データを振りかざすのだが、「統計でこう出ている」から「こうすべきである」と云ふ論法が目立つ。
「センテンスは短いほうがよい」――しかし、この分析が意外と曖昧である。
シャーマンによれば、英語の評論の文章では、時代がくだるにつれて、センテンスの長さが短くなってきているという。エリザベス朝時代は一センテンスの長さが、平均五〇字ぐらいであった。それが、一九世紀には、平均二四字になっているという。
安本は、短いセンテンスの文章(ハードボイルドの翻訳)をとりあげて、その平易さや効能を説いてゐる。が、この辺の記述は統計学と何ら関係がない。
ついで「短文化はこれからも進む」と言つてゐるのだが、ここがもう怪しい。
わが国の明治以後の口語文の小説のセンテンスの長さを、数量的に調べてみると、時代がくだるにつれてセンテンスの長さが短くなるという現象は、漢字の使用度が減少している現象ほどには、はっきりとは認められない。それにもかかわらず、これまでとくに、センテンスの短い文章例をみてきたのは、次のような理由による。
それは、これからの文章は、しだいに短文化する可能性が大きいと思えることである。
本は読まない。しかし、仕事などのために、文章は読まなければならない、などという層が増えている。そのような層の人びとは、やさしい文章を求めている。また、生活がスピード化してきている。文章にも、あるていどのテンポの速さが求められているといえる。……
ここで安本は、最早統計データを用ゐてゐない。ただ「現代は文章にかぎらず、すべてのことにおいて、スピードとダイナミックであることが求められているといえる」と述べてゐる。
短文化への傾向は、社会的な要請であるように思える。……
ここで、価値観の問題を扱ふにあたつて、安本は個人的な意見を、「社会的な要請」に言換へて、読み手に示してゐる。
漢字の使用頻度についての安本の検討も、かなり不自然な印象がある。安本は一九〇〇年以降の「年月の経過による漢字の使用度の変化」を示し、漢字の使用が一直線に減少してゐると述べてゐるが、これが怪しい。
なお、当用漢字、常用漢字、教育漢字の制定など第二次大戦後の漢字制限は、漢字の使用度に、若干の影響をおよぼしているようであるが、とくに極端に、漢字の使用度を減らしているというほどではない。
〔編註:転載図省略。『説得の文章術』P.111〕
だが、一九四五年までの漢字の使用度を見る限り、減少傾向があつた、とは認められない。一九〇〇年から一九〇五年にかけて漢字の使用が減少してゐるけれども、その後は横這ひだつたと見て良いだらう。そして、一九四五年以降の減少傾向について、安本は国語改革の影響を無視して解釈してゐるが、社会的な制度「改革」があつた以上、その影響を考慮しないわけには行かない。国語改革が行なはれなければ横這ひの傾向が続いてゐただらう、と推測して行けない理由はあるまい。
安本は、漢字を減らしさへすれば良い、とは述べてゐない。梅棹忠夫『知的生産の技術』と清水幾太郎『論文の書き方』をとりあげて、安本は斯う書いてゐる。
結論的にいえば、私たちは、文章力があれば、かなを多く使っても、あるいは漢字を多く使っても、読みやすい文章を書くことができる。読みやすさは、その人の文章表現力とも、かなり関係している。とすれば、私たちは、かなを多く使って読みやすい文章を書く努力をしたほうが、よいように思う。
なぜか「かなを多く使って」書く事を、安本は勧めるのである。統計学もへつたくれもない。ここでは「思う」とはつきり言つてしまつてゐる。
この本に限つては、統計学に基いた客観的な議論と、安本個人の主観的な意見とがごつちやになつて、説得力を欠く結果になつてゐると評さざるを得ない。(野嵜健秀)
元々縦書きだつた日本語に、いつから横書きが取り入れられたのかに関する歴史を、豊富な図版と共に解説する。
特に、右から左に書く横書き(右横書き)よりも、左から右に書く横書き(左横書き)が多数派に転じた経緯について興味深いと思ふ人は多いだらう。我々は漠然と、前者は明治時代あたり、後者は終戦後とするかも知れない。中には、「戦前は全ての横書きが右横書き」と思ひ込んでゐる人も多い。
しかし、実際に当時の出版物を調べてみると、右横書きは縦書きと併用する為のものである事が多く、楽譜、科学、経理、語学など一部の世界ではむしろ左横書きが一般的だつた事がすぐわかる。この事に驚く現代人はきつと多いはずだ。(押井徳馬)
振仮名の起源を解説すると共に、「振仮名は自分だけの読む日記に使用しない事から判る通り、他人に読ませるためのもの」である事を説明し、振仮名の役割毎に分類してゐる。
単に漢字の読みを子供に示したり、漢字の複数の読みの一つを指定する目的だけに留まらず、註釈、翻訳、詩的表現等においても用ゐられ、選択された語が主でルビが従である事も、その逆もあり得る。
また、山本有三の振仮名廃止論についても簡単に述べられてをり、そのすぐ後の当用漢字表の「あて字は、かな書きにする」「ふりがなは、原則として使わない」といふ条項によつて振仮名の使用が制限されたと説明する。表外の漢字だからと漢字を消してかな書きにするのではなく、振仮名を活用すれば良かつたのに、何とも勿体ない話である。(押井徳馬)
大正一四・一五年に発行された「圖案化󠄁せる實用文󠄁字」「繪を配した圖案文字」を合本した覆刻版。早い話が、本の題字や看板等のレタリングのサンプル集である。約九十年前のものとはとても思へない程、今見ても明るくてモダンなデザインである事には驚かされる。
この時代なので勿論文面は正字正かなだが、当時でさへ「伝統的な国語表記には、伝統的な毛筆書体で」と云ふ先入観に囚はれる事なく、時には略字や異体字を駆使しながらも、文字をお洒落にアレンジしてをり、現代の我々にも非常に参考になる。勿論、レトロ調のレタリングに興味のある人には是非お勧めしたい。(押井徳馬)
「序」で著者は以下のやうに書いてゐる。
私は、昭和十六年三月、水野秀雄の旧名で、岩崎書店の前身、慶応書房から、社長岩崎徹太氏の好意によって「校正及び送仮名の仕方」を出版した。
その書中、送りがなは日本語のスペリングの一つであることを述べたが、これはいまもなお変わらぬ私の信念である。
しかし、どこの国の国語でもそうであるように、スペリングというものは決して固定して動かざるものではない。日本語のスペリングの一たるかなづかいにしても、いろいろの径路を経て歴史的かなづかいが定立され、それが近年、大幅の変動をとげて現代かなづかいが採用されることとなった。元来、スペリングの変化は自然の推移にゆだねるべきものであるが、今回の現代かなづかい(新かなづかい)の決定には、人為的な面もかなり著しかったようである。
……。
本文は「現代かなづかい」「当用漢字」関聯の規定を敷衍した一覧表と解説で、類書と同様の内容であり、特に見るべき点はない。しかし、発行時期を考へれば、序文にこれだけの事を書いてのけた事は評価に値する。巻末に校正入門を収載。(野嵜健秀)
「現代表記」のガイドブック。大体この手の解説書は国語改革の当事者が監修に当つてをり、「まえがき」などでコメントしてゐるから、国語問題を研究する際には参考になる。
「当用漢字」と簡単に呼ばれてゐるものも「当用漢字表」「当用漢字別表」「当用漢字音訓表」「当用漢字字体表」の集合体であり、一般人にとつて全貌を把握するだけでも面倒な代物だつた。そこで本書のやうな簡易的な一覧表が作られて頒布されたわけだ。
本書は発行から十年で百版を数へてをり、なかなかよく売れてゐた事を示してゐる。江守氏も認めるやうに、「現代表記」は難しかつたのだ。内容は訂正・修補が繰返されてゐたやうで、初版発行以後に表された「当用漢字補正資料」や「送りがなのつけ方」が手許の本書百版には収録されてゐる。(野嵜健秀)
新聞社は文部省の国語改革に真先に賛同し、紙面で実施したのみならず、一般向けの啓蒙活動を盛に行なつた。本書はその一例。「当用漢字表」「現代かなづかい」の一覧表だが、「送りがなのつけ方」「制限漢字の代用語」の項目を独自に立ててゐる。
本書の性質――そして国語改革の現実的な性質――は、解説の文章によく現れてゐるから、転載しておかう。先づははしがきより……。
国語審議会は、当用漢字、現代かなづかいの制定に引続き、昭和二十二年九月には音訓の整理を発表し、また昭和二十三年五月には当用漢字最後の仕上げともいうべき字体の整理を行い、大体の骨組みだけであった当用漢字千八百五十字に、肉と皮を与え、完全な人格者に作り上げたのである。これに血を通わせ、霊を吹きこみ活動させるのはわれわれ国民であるから、とりもなおさず、われわれ国民がこれを運用し、愛育して、その持って生まれた国語改革という重大使命を全うさせねばならぬのである。
国語改革については、何人も異論はないが、その手段としての当用漢字、現代かなづかいには、議論があるようだ。この論争は今後も続けられるだろうが、それは将来の問題として、よりよき国語を作り上げるうえには、かえって望ましいことである。しかし新しい国語は、その好むと好まざるとにかかわらず、すでにスタートは切られたのである。小学校の教科書はもちろん公文書にも採択され、新聞、雑誌もこれで編集しているものが多いのだから、現実の問題としては、この習得を怠り、一日その運用を遅らせることは、文化国家の建設を一日遅らせることになるのである。伝統に輝くわが国語に捨てがたき愛着を感じるのは当然のことだが、時代の要求によって生まれたこの新しい国語にも理解と愛着をよせ、世界に誇る立派な国語に育て上げることはわれわれのつとめではなかろうか。
初めて学ぶものには、新制国語は、その本質からいって覚えやすいが、古い国語を習得しているものには、過去の国語に持つ愛着のきずなを断ち切る、その移りかわりに、めんどうを覚えるのである。このわずらわしさを少しでも緩和し、楽しく習得できるようにと公刊したのが本書である。
……
今となつては大仰な印象で、改革の実行者としての自負或は驕りすらも感じ取れる文章である。反対の意見もあるだらうが、改革は既に始まってしまつたのだから、もう諦めて、支持をしたまへ――議論や批判は有益だが、それは改革推進の立場で行はれるのが望ましい、と云ふもので、改革を止める事は少しも考へられてゐない。国語改革は最初から方向性が定められてゐたのである。
本書はただの一覧表だから、細かい部分を見ても仕方がない。ただ、各項には冒頭に短い解説がついてゐる。「制限漢字の代用語」の項についてゐる解説は、凡例の域を超えて踏み込んだ記述をしてゐるから、その頭の部分を転載しておきたい。
從來五、六千に近い漢字を使つておつたのが、一千八百五十字制限されたのだからかなり窮屈となつた。
窮屈ではあるが、今日の國民生活の上に無理なく実施できることを第一條件に制定された当用漢字だからこれでまかなえないことはない。
要󠄁は必要󠄁以上に使われておつた漢語の整理である。漢語をそのまま、かなに換えたのでは意味がない。すなわち代用語の研究である。次ぎにいろいろの角度から檢討された代用語を集めておいた。もちろんこれが全部ではなく、一應の目安に過ぎない。他は利用するものの研究に待ちたい。……。
表記は原文のまま(從來、國民、條件、要󠄁は、檢討、一應、が旧字体)。はしがき等は新字新かなで統一されてゐるが、ここだけはなぜか改革に追附けてをらず、混乱が見られる。
漢字制限が窮屈である事は書き手も承知してゐる。しかし、「当用漢字」の「精神」から言つて「これでまかなえないことはない」と極附けてゐる。戦中の精神論を引きずつてゐるやうな雰囲気が感じられる。実際、この時点では敗戦からまだ四年しか経つてゐない。民主化を標榜した各種の運動にも戦中の居丈高な態度が相当残つてゐた時代である。(野嵜健秀)
明治二十二年に初版が発行され、昭和初期まで著名な作家を含め大勢の人々に愛用されてきた国語辞典である。特に、語源の豊富な解説が載せられてゐるのが最大の特徴である。
この同人誌で漢字や仮名遣の確認が必要な時には幾つかの辞書を必要に応じて使ひ分けてゐるが、この「言海」は、戦前の国語を知る上で大変参考になつてゐる。私は昭和四年に重版された小型版をずつと愛用してゐたが、さすがに古くてボロボロなので、覆刻版が発行されたのは嬉しい。
「ん」が「む」の並びである事、漢字の音読みは字音仮名遣である事、見出しや本文に一部変体仮名や合略仮名が使はれてゐる(たゞし種類は少なめで覆刻版の後ろに解説もある)事等に最初は戸惑ふが、使ふうちにすぐ慣れるだらう。(押井徳馬)
常用漢字表(対応する正字体は字形差の大きなもののみ掲載)、常用漢字の筆順、同音異義語の使ひ分け、「同音の漢字による書き換え」、人名用漢字、現代仮名遣い(歴史的仮名遣との対応も掲載)、公用文作成の手引き、ローマ字表、外来語表記、表外漢字字体表等、一冊あれば新字新かなで文章を書く際の参考資料として重宝する本である。内容が盛り沢山の割に七〇〇円と安いのも魅力。
こんな本が何故正かな同人誌の文献紹介にあるかと云ふと、実は「目的外利用」も出来るからだ。新字体に対応した正字体の概要を知つたり、「同音の漢字による書き換え」の元の形への戻し方を知る参考資料にもなる。(押井徳馬)
2021年に第九版が発売されてゐる(税込定価九九〇円)。
清国の康煕帝により編纂され、一七一六年に完成した漢字辞典。この字典の本来の目的は、飽くまでも漢字の意味や発音(注音や拼音ではなく反切といつて、二文字の漢字を挙げて母音と子音を示す方式で書かれてゐる)を調べるためのものである。
とはいへ、当初の意図からすると目的外ではあるが、漢字文化圏で正字のガイドラインの一つとして使はれてゐるのも現状である。ただし、日本で戦前広く用ゐられてきた標準的な字形とは異なる事も時々あり、皇帝の名前に使はれてゐる漢字をそのまま使ふのは畏れ多いと「玄」を含む漢字の最後の画を欠いた字体が使はれてゐたりと、問題点も色々あるので、「絶対の指針」として使用するのではなく、飽くまでも参考資料の一つに留めた方が良い。
昔の本を覆刻した影印本が色々出てゐるが、日本国内で発行されてゐるものは一万円を超える事があり、気軽に買へるものではない。私の場合は台湾のネット書店で探したのだが、色々な会社から出てゐて、価格も七百〜九百元台(つまり日本円だと二千〜二千五百円位)と、送料を含めても手頃に入手出来る。元々の本の問題なのか、潰れてゐる字が多い等、印刷の品質は今一つなのが玉に瑕だが、このやうな入手方法もある事を参考までに挙げておく。(押井徳馬)
〔編註:転載図省略〕
内閣文庫にある版は「国立公文書館デジタルアーカイブ」で閲覧可能。
1780年の日本飜刻版は 2607959 で閲覧可能。
白川静の名を知つたのは何時のことであつたか。ともかく、評者は其所等の漢和辞典の類だけ眺めてゐるのが詰らなくなり、是非筆者の手に成つた字書が欲しいと思つて、厚く重い本字書を買うて帰つた。爾来、漢字について疑問を抱いた時は本字書を持ち出してゐる。無論、筆者の説は飽く迄一説と思ふべきであるから、他の字書も机上に置いてゐる。
白川静は改めて言ふ迄もなく、漢字の成り立ちについて、甲骨文や金文といつた古い時期のものに着目し、許愼の『説文解字』に拠る字形学的解説の批判を試みた人である。本字書は著者の漢字についての学究の一つの終着点と言へよう。筆者の説で全てが決着するものではないが、学問的意義は大きいのではないか。素人には其の当否を判ずることは出来ない。ただ、大体に於いて当を得てゐるやうに感ずるのみである。
序に於いて、筆者は、漢字は国字であると断じてゐる。此所では国字といふ言葉は、和製漢字を差すものではなく、国語表記に使ふ字全般を差す。我が国の文化は漢字に支へられてゐるとも述べ、漢字を用ゐることが新しい時代の言語生活に適合しないといふ考へ方があることを殆ど斬り捨ててゐる。音訓を併せ用ゐるといふ方法に因つて漢字は完全に国語表記の方法となつた。其れは単に漢籍を自家薬籠中に収めたのみならず、外的刺戟に対応する知的訓練の獲得にも資したと論じてゐる。評者は此れに反対出来ない。或る程度纏まつた日本語の文章を、漢字を使はずに書くなど不可能であると思つてゐるし、カタカナ外来語の使用にしたつて、漢語使用の経験があつてこそ成り立つてゐる部分があると言はれたら、或はさうであらうと思ふしかない。
字の義や成り立ちを調べる為に本字書を眺めるのは、知的好奇心を満足するといふ点でとても愉しい。漢字は個々別々に在るのではなく、実に良く組織されてゐることが分る。どうして此の宏大無辺な智識の体系を矮小化せねばならなかつたのか、筆者は漢字制限や廃止の意義に疑問を呈してゐる。(名賀月晃嗣)
表題は『漢字』とあるが、単に漢字についてのみ書かれた書物ではない。勿論漢字其のものについての概説もあるが、ざつと一読した後、評者が抱いたのは、広く古代支那がどういふ世界であつたかについて、端的に纏めたものといふ印象であつた。漢字は寧ろ古代支那に切り込む為の取つ掛かりであるとすら思つた。
しかし、其れは決して漢字が棚に上げられてゐるといふことではない。古代支那に始まる支那文明、更には漢字文化圏といふものを説明する為には、漢字は必要不可欠な要素であることを示してゐる、其れだけのことである。考古学的に古代支那に迫らうとすれば、出土品に刻まれた甲骨文や金文を理解する必要が絶対にある。筆者は、甲骨文や金文が発見から左程時を置かず解読に至つたのは、漢字が甲骨文の頃から基本的構造に於いて変化しなかつたことに因るとしてゐる。
他の古代文字、例へばヒエログリフや楔形文字と異なり、漢字が命脈を保つた理由についても触れておくべきであらう。本書に拠れば、漢字が現れたのは、ヒエログリフや楔形文字よりも新しいと言ふ。ところが後二者は結局亡びて只の遺物となつて了つた。筆者は、漢字が生き長らへてゐるのは、背景たる支那文明が断絶を免れたことと、支那語を書き表すに漢字よりも適当なものが終ぞなかつたことにあると述べてゐる。対して、古代エジプトでは、アルファベットを採用するのに大きな困難がなかつたからであらうとも推論してゐる。其の是非は評者には分らない。
注目すべきは、支那文化は文字文化といふ推論であり、支那語をアルファベット表記にするのは大いに困難であり、其れを為さば厖大な古典が断絶の危機に瀕するといふ説である。此れは決して他人事ではない。日本語についても妥当すると筆者は言ふ。さうであるなら、日本語を表音文字だけで書かうとするのは、難儀だけ多く、得るものはない。筆者はあとがきに於いて、国字問題としての漢字について、また、漢字教育の問題についても意欲を示してゐるが、然もありなんと思ふしかない。(名賀月晃嗣)
漢字について、大きく十個、小さく百個に分けて述べた書物。其の最初に掲げられたのは「漢字と映像」といふ一篇である。ソシュールの、音声言語が主で文字言語は副次的なものであるとする理論は、引いては漢字を言語学、文字論から除外して了つた。日本の学者は左様な西欧の研究者の態度に追随し、結果として漢字廃止や漢字制限の根底となつたことについて触れられてゐる。しかし、其れは音声言語の領域に留まれば、の話である。言語学の方が其の儘には留まらず、諸々の認識と表現の領域を併吞し、絵画、映画、演劇までも表現たるの言語の一部と看做すやうになつたとき、漢字には映像を文字としたものとして、新たな位置付けが与へられる。漢字が単に音声言語を写す為のものではなく、寧ろ視覚に訴へるものであつたことを脇に遣つてはならない。
筆者は色々な例を挙げて、古代の漢字の字形、構成、字義について説明を加へてゐる。其れは単に漢字の説明に留まらず、古代支那の宗教や呪術についても入り込んでゐる。評者が考へてみるに、甲骨文は抑も卜占の時に神に訊ねる為の言葉を書いたものであるし、金文も青銅器に刻んだものであるから、単に実用上の文言を連ねたものではない。であるなら、漢字は其の初めに於いては、人と人との意思疎通の為のものに非ずして、人が神に申し述べる為のものであつたと思ふ方が良いかも知れない。
筆者は支那語の語が単音節であり同音異語が多いので、「同じ音系の語は同じ意味を持つ」とする音義説を濫りに採るべきではないとする。藤堂明保の所謂単語家族説も、此の音義説の系に属するものとし、特に取り上げて一部ながら批判を加へてゐる。
また、筆者は、「国字としての漢字」、「漢字の問題」と題して、日本に於ける漢字の問題、殊に、国語改革に於いて漢字を歪めたことについての不快を述べてゐる。細かい部分を一々取り上げるよりも、根幹の叙述を引用する方が適当と思ふので、さうしておいて此の稿の纏めとしたい。
漢字を借りもののように思うことが、根本の誤りである。古代オリエントに発する文字を、いまアルファベットとして用いるものが、それを借りものとは考えないように、漢字を音訓の方法で用いるのは、決して借りものの用法ではない。漢字は音訓の用法において国字である。それは漢字をわが国で用いはじめた当初からのことであった。それで音訓の自由化ということが、国字政策としても要求されるのである。常用字数の問題などは、必要の有無によって増減することであり、意味成体としての文字みずからが、自然に定めることである。
(名賀月晃嗣)
漢字の廃止された二十三世紀の世界を描いた空想科学小説。
でたひと→きよし
きよし「おくれちゃうにょ」
どうがサイトみてたら ねぼすけ←だめっこ
いきなりちこくは やばっ
こうえんぬけたら
おなのことごっつん☆
で始まる「きらりん! おぱんちゅ おそらいろ」と云ふ物凄い作品が「正統派文学」として扱はれる未来から、二十一世紀にタイムスリップし、最終的には国語から漢字の消えた謎が解明されると云ふ、コメディタッチの物語。読む人を選ぶ作品で、萌え系のオタク文化のお約束に慣れてゐる人向け。(押井徳馬)
一九八〇年代末から発表されたヤングアダルト向けのファンタジイ。初期の角川スニーカー文庫を牽引したシリーズである。全十五巻。壮大な「世界観」にギャグとハードなエロ要素が盛込まれ、ルビを濫用した特徴的な文体で話題を呼んだ。
秋津氏のルビは、漢字の読みにとらはれないフィーリングに基いたもので、要は遊びである。シリアスな内容を笑ひのオブラートに包む役割もあつた。一方、読みやすさには十分配慮されてをり、ルビを追つても、元の文章だけを眺めても、一貫して読める内容になつてゐた事には注目すべきである。
過去の翻訳SFでも屢々ルビが用ゐられたが、文章の流れにうまくはめこまれてをらず、不自然なものが多かつたものである。本作のルビはさうした従来の試みとは一線を画す。文章の密度は極めて高く、内容の充実もあつて、当時の「改行だらけ」と評されたライトノヴェルの中で異彩を放つてゐた。
読み手にはただ「読みやすい」だけの文章でも、執筆には相当な手間がかかつてゐたと云ふ。秋津氏もこの文体にはてこずつたらしく、執筆は遅れがちになり、〆切に間に合はない事態が続く。編集者の不祥事もあつてイラストレータから見切られ、シリーズの進行が停頓󠄁。作者も改行を増やした文体に切換へて創作活動を続行する事になる。しかし、その後発表された作品は文章の勢ひがなくなつてをり、人気は急落してしまふ。(野嵜健秀)