今こそ知りたい!フランス王黨派の勢力
- 投稿日
- 2024年8月5日
- 著者
- 春眠猫 (@kotonopa_cat3)
- R
- パリのオリンピックの影響で、世界がフランスに注目してるわね。
- M
- あまりフランスにとって望ましくない形な氣もするけどな。
- R
- さういへば、開會式のマリーアントワネット處刑パフォーマンスに王家の末裔の方が抗議してたけど、なぜか三人位末裔の方がゐたわよね。あれ、一體全體どういふことなのかしら。
- M
- 面白いことに注目したな。では、今回はフランスの君主主義者の勢力について解説することにするぜ。
- M
- まづ、フランス革命後の歷史についておさらひしよう。
- R
- 革命して、王樣がギロチンにかけられて共和國になったけど、結局ナポレオンが權力を握って皇帝になったのよね。そして一時期はヨーロッパ中を手にするも、ロシアに敗北して島流しになりましたとさ、と。こんな感じかしら。
- M
- よく知ってるな。では、その後の歷史について話さう。ナポレオンが島流しになったあと、ルイ18世(處刑されたルイ16世の弟)が王になって一回王政に戻ったのぜ。しかし、彼の後に王位を繼いだ弟シャルル10世が極端に革命派を無視する政策をとったため叛亂が起こる。この叛亂(七月革命)は成功し、ルイ・フィリップが代はりに王になった。七月王政の始まりだぜ。彼はオルレアン家といふブルボン家の分家の出身だ。
- M
- だが、この七月王政も18年で終はり、一旦共和制となった後に權力を握ったのがナポレオン3世。かの有名なナポレオンの甥だ。
- R
- あっ、この人知ってる。プロイセンにボロ負けして捕虜になった人だよね。
- M
- 容赦ないこといふな…それまでは結構有能だったんだぞ。まあ、ともあれナポレオン3世による帝政が崩壞した後のフランスは、紆余曲折はあれどずっと共和制になってゐる。
- M
- さて、ここからはフランスの王黨派の三勢力を見ていかう。
- R
- 三つくらい王家が出てきたわね。ブルボン家(本家)、オルレアン家、ボナパルト家(ナポレオンの家)。
- M
- うむ。基本的のこの三つの王家の支持者がそれぞれ別の勢力となってゐる。まづはボナパルト家から見ていかうか。
- M
- ボナパルト家の支持者はボナパルティストと呼ばれる。本來ボナパルト家はコルシカ島の一貴族に過ぎないのだが、革命後、フランスが戰爭に連戰連勝だった時代の指導者の子孫であるからか一定の支持者がゐるやうだ。彼等が現在(2024年)推戴するのはこの男、ナポレオン7世…といひたい所なんだが、何故か父と息子でその位を爭ってるのぜ。
- R
- あらあら…あれ、この人ナポレオン1世の子孫でも、ナポレオン3世の子孫でも無いのね。
- M
- ナポレオン1世も、3世も、子供が若くして亡くなってしまったからな。今は弟の血筋だ。
- M
- さて、次はオルレアン家を解説しよう。
- R
- 七月王政の時の王樣がこの王家だったわね。
- M
- さうだ。系圖の通り、オルレアン家はブルボン家の分家だ。この家の支持者はオルレアニストと呼ばれる。彼等が現在(2024年)推戴するのがジャン4世だ。
- M
- 最後に、ブルボン家の本家を支持する人達について紹介しよう。彼等はレジティミストと呼ばれる。直譯すれば「正統主義者」だ。
- R
- 一番正統派な氣がするわね。
- M
- しかし、問題なのはブルボン家の本家を今名乘るべき家は一体今どこなのか?といふことだ。ある派閥は、それはオルレアン家の事だと言ひ、オルレアニストと同じジャン4世を推戴する。しかし、オルレアン家には一つ負の側面がある。それは、ルイ・フィリップ王の父、ルイ・フィリップ2世が最初のフランス革命に於いて革命側の人物だったことだ。しかもルイ16世の死刑に贊成票すら投じてゐる。
- R
- えっ、そんな人だったの!?元は同じブルボン家なのに、血も涙もないわね。
- M
- ああ。だから別の人を王に推戴する派閥があるんだ。その人の名は…ルイ20世、またの名をルイス・アルフォンソ。スペインの王族だ。
- R
- あれ、なんでスペイン人?フランスの王なのに。
- M
- スペインは…まあ色々あった結果、ブルボン家のまた別の分家が王家になった。彼の祖父、ハイメ王子は後天的な聽覺障碍によりスペインの王位繼承權を抛棄した…がその代はりに何故かフランスの王だと自稱し始め、孫のルイスの代となると結構な支持者がゐるらしい。ちなみにルイス氏、普段は會社の經營者らしいぞ。
- R
- あら…少々不思議だけど、ちゃんとフランス王家の子孫なのね。ぢゃあいいんぢゃない?
- M
- それがな、オルレアン家側にも言ひ分があって。といふのもユトレヒト條約によってスペイン・ブルボン家はフランスの王となる事が禁じられてるのだと。
- R
- ありゃ、そりゃまたなんで。
- M
- ルイ14世が孫のフィリップをフェリペ5世としてスペイン王にさせたのは、將來スペインをフランスに併合することを望んでゐたからといふ説がある。しかし、そんなことをされて大帝國を作られたら他の國にとってはたまったものではない。だからフェリペ5世がそのままスペイン王であることは認める代はりに、彼と彼の子孫はフランス王になってはならないといふ條項をつきつけた。かうしてフランスとスペインは、その後も別々の國として歷史を步んでいくこととなった。
- R
- ふーん。そんなことがあったのね。本家のフランスでは王政が滅んで、スペインでは王政が今でも殘ってるのは皮肉ね。
- M
- さうだな、まあスペインでも何回か王政が倒されたことはあるのだけどな。さて、この條約があっても、そもそもこんな理不盡な條約は無效だといふ人もゐる。さういふ人達がルイス…もとい、「ルイ20世」を支へてる訣だ。
- R
- なるほど。フランスの三つの王家のことがよく分かったわ。
- M
- うむ。さう言って頂けたら何よりだぜ。とは言っても、この文章は完全に素人が適當に調べて書いたものだから、皆さんでも色々調べてくれよな。
- R
- もっと調べることで、フランスや、それ以外の王家についても詳しくなれさうね。
- M
- うむ。さうすれば、君主國である我が國への理解もより深まるかもしれない。それでは、今回の話はここまで。
- R
- 最後まで讀んでくれてありがたうね~