ジャコバイト それでもカトリックを奉じた人々

投稿日
2024年8月5日
著者
春眠猫 (@kotonopa_cat3)
R
こんにちは、Rと
M
Mなんだぜ。
R
イギリスのチャールズ3世、一時期はどうなるかと思ったけど、すっかりいい王樣になったわね。
M
世代によってはダイアナ妃とのいざこざの記憶により彼をよく思はない人もゐるやうだが、そのやうな人がいふ程の惡人には見えないよな。
R
さうよね。ところで、イギリスって清教徒革命とか、名譽革命とかがあったと歷史の授業で習ったけど、當時の王室と現在の王室は關係あるの?
M
もちろんある。二回の革命はスチュアート朝の時代に起こったのだが、その後に王位を繼承してハノーヴァー朝を開いたジョージ1世もスチュアート朝の初代國王・ジェームズ1世の曾孫だ。そして現在のイギリス王室はハノーヴァー朝の子孫なんだ。
R
へー。でもなんで王朝が變はったのかしら?
M
實はそれには革命と大きな關係があるんだ。そして、この王朝交代に反對した人もゐた。それがジャコバイトだ。
R
ジャコバイトねえ。興味あるわ!その話もっと聞きたい。
M
よし。では今回はジャコバイトの話をしよう。
M
時は1642年。清教徒革命が勃発した。王權神授説をとったチャールズ1世を處刑し、オリバー・クロムウェルが指導者となって共和制を打ち立てた。さて、この清教徒はピューリタンとも呼ばれるプロテスタントの一派なのに對し、チャールズ1世は王妃がカトリック教徒で、自身もカトリックに寛容だった。宗教の違ひもまた、革命の原因と云へよう。
R
確かイギリス王室はイギリス國教會を奉じてたわよね。昔の王樣の變な方針のせゐでカトリックから獨立したとも聞いたけど。
M
ヘンリー8世のことかな。この王の治世までイギリスはカトリックの國だったが、この王の離婚をカトリック教會が許さなかったのが國教會獨立の一因と言はれてるな。一応國教會はプロテスタントに分類されることもあるのだが、他のプロテスタントと比べると異色の成立経緯であるのは確かだな。
R
なるほど。それで、その後チャールズ1世の息子・チャールズ2世が王政復古するのだけど、その弟・ジェームズ2世の時に名譽革命が起きるのよね。
M
ああ。その通りだぜ。名譽革命により、ジェームズ2世の娘・メアリー2世とその夫にして、自身もジェームズ1世の孫であるウィリアム3世が夫婦で王位についた。ジェームズ2世がカトリックなのに對し、ウィリアム3世はプロテスタント。ここでも宗教の違ひがあるな。
R
プロテスタントが議会政治派だったのに對し、カトリックは絕對王政派だったのね。
M
少なくとも同時代のイギリスでは、さうだったといふことになる。そして、カトリック側は名譽革命を認めず、ジェームズ2世こそが正當な王だとした。彼等こそ、ジャコバイトだ。ジャコバイトとは「ジェームズ派」みたいな意味なんだぜ。
R
いよいよ出てきたわね。
M
そしてこのジャコバイトは、半世紀もの間イギリスを惱ませた。このジャコバイト、スコットランドでは特に勢力が强かった。何故だか分かるか?
R
えーと、イギリスは4つ位の王國が合はさってできてゐるのよね。イングランドが南で…スコットランドが北。スコットランドはカトリックが强かったのかしら?
M
うーん、ちょっと惜しい。たしかにイングランドに比べれば强いのだが、そこまででもない。それよりも影響を與へたのは、スチュアート朝の出自だらう。實はスチュアート朝はスコットランド發祥の王家なんだ。
R
えっ、さうだったのね。そりゃあ確かに支持したくもなるわよね。
M
ジェームズ1世もあくまでイングランド王になった最初のスチュアート家の人間ってだけで、スコットランドではもっと昔から王家だった家だからな。しかもスコットランドは何かといふ度にイングランドに對立してきた。現代ですらEUを離脱するかしないかの方針で揉めた程だ。
M
さて、ウィリアム3世夫婦の死後、彼等には子供がゐなかったので王位はその妹のアン女王が繼いだ。しかしこの女王、何度も流產し、やっと得た子も皆夭折してしまったため、次代を誰にするか問題になった。さて、ジェームズ2世はと云ふと、同名のジェームズといふ息子がゐた。
R
ぢゃあその息子を王にすればいいだけぢゃないの?
M
うむ。さう思ふのももっともだ。しかし、彼はカトリック側の人間。折角革命で得た議會政治をもしかしたら無かったことにされてしまふかもしれない…とプロテスタント側は恐れた。
R
あっ、だからジョージ1世が王に。
M
さうだ。そこで、議會で「王はカトリックの人間であってはならない」といふ法律を作り、ドイツからゲオルクなる人を連れてきた。彼は英語風にジョージと呼ばれ、イギリスの王となった。
R
急にドイツ人が王になるなんて…イギリス人は納得したの?
M
議會側からしたら、英語をよく知らない國王はむしろ好都合だった。王があまり政治に口出しして來ないからね。しかし、勿論納得しない人はゐた。それこそジャコバイトはその代表例だ。
R
なるほどね。
M
ジャコバイトは、名譽革命の直後から、フランスと手を結んで叛亂を起こしたり、ウィリアム3世の暗殺未遂にまで手を出したりした。ジェームズ2世の息子ジェームズを「ジェームズ3世」と言って仰ぎ、一時はスコットランドのほぼ全てを占領すらした。この「ジェームズ3世」は後に老僭王と呼ばれる事になる。
R
僭王ってことは、今は王とはみとめられてないのね。
M
そりゃあ、ジャコバイトに敵對した側の王室の子孫が今のイギリス王室だからな。さて、この後もジャコバイトはクーデター未遂を起こして魔女狩りの原因を作ったり、老僭王の息子チャールズ若僭王を擔いで叛亂を起こしたりした…が、ついに名譽革命の結果を覆すことは叶はなかった。ちなみにこのチャールズ若僭王、支持者には「チャールズ3世」と呼ばれてゐた。現在の王樣チャールズ3世、實はこの王と一緒にされない爲に王としてはジョージを名乘るのではと言はれてゐた時期もあったのだが、結局それはなされなかったな。
R
その後ジャコバイトはどうなったのかしら。
M
色々あって、老僭王の子孫は絕えた。ジャコバイトも最早ほとんど忘れ去られた存在となった。現在も猶イギリスの現在の王室とは別の血筋の人間を正當な王と主張する人はゐるやうだが、最早叛亂を起こす力は持ってないやうだ。
R
なんか寂しくもあるわね。それで、ハノーヴァー朝は今でもイギリスの王室なのよね?
M
それが少しややこしくてな。ハノーヴァー朝最後の王、ヴィクトリア女王はドイツの貴族であるザクセン・コーブルク・ゴータ家のアルバートと結婚し、その息子エドワード7世が王位を繼いだ。特に斷絕が起こった訣ではないのだが、男系の祖先を考へると今までのハノーヴァー家からザクセン・コーブルク・ゴータ家に變はったので王朝交代とも云へるんだ。そのためエドワード7世からはサクス・コバーグ・ゴータ朝となった。ザクセン・コーブルク・ゴータの英語讀みだな。
M
しかし、エドワード7世の息子、ジョージ5世の代になると、一次大戰が勃發。イギリスとドイツは敵國になってしまったため、敵國由來の王朝名を變へようといふことになった。かうしてイギリスの王朝はウィンザー朝と名を改めて今に至るわけだ。
R
あれ、ぢゃあエリザベス2世からチャールズ3世になったときも王朝交代が起こったってこと?
M
見樣によってはさうなる。實際に區別する時はチャールズ3世以降をマウントバッテン・ウィンザー朝と云ふぞ。まあ、今の時代あまり氣にする人はゐないらしいが…
R
はえー。私達はもしかしたらイギリスの王朝交代といふ歷史的瞬間に立ち會ったのかもね。ところで今のジャコバイト王の後繼者って誰なのかしら。
M
異論もあるが、ドイツはバイエルンの舊王家のフランツ氏らしいぜ。もっとも本人はそのことをどうでもいいと考へてゐるやうだが。
R
隔世の感があるわね。
M
もはや王のゐない國すらも當たり前になったからな。といふ訣で、ジャコバイト、如何だったかな?カトリックと王權神授説の爲に戰った彼等。畢竟彼等の願ひは叶はなかったが、歷史に一定の傷跡を殘しはしたといえるだらう。
M
この解説は例によって素人が書いたものだから、興味を持った人は鵜呑みにせず色々調べて見て欲しいんだぜ。
R
それでは、じゃあね~